オットリーノ・レスピーギ:「ローマの噴水」「ローマの松」 | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

今日、九響で念願のレスピーギの「ローマ三部作」のうちの2つ、「ローマの噴水」と「ローマの松」を聴いてきたんですが、これを機会にこれらの作品のことについて備忘録のために書くことにしました。

 

作曲者のオットリーノ・レスピーギ (1879-1936)については彼の生誕日の7月9日に書いたことがあります。下差し

 

 

 

  ローマの噴水 Fontane di Roma

 

 上記の記事内にも書いていますが、イタリアのボローニャ出身のレスピーギは、1900-01年と、1902-03年の2度のシーズンにわたって、ロシア帝国劇場管弦楽団の首席ヴィオラ奏者としてペテルブルクにに赴任し、イタリアオペラの上演に携わりました。その際リムスキー=コルサコフと出会って5か月間作曲の指導を受け、大きな影響を受けました。

その後サンタ・チェチーリア音楽院作曲家教授に就任した彼は、1913年にボローニャからローマに移住、ここで受けた刺激を基に”ローマ三部作”を作曲、その第1作が「ローマの噴水」で1916年に作曲されました。

スコア冒頭の序文には以下のように書いてあるそうです。

 

『 ローマの四つの噴水から得た感情と目に映った姿を表現しようとし、そのためにそれらの噴水の特徴が周囲の風物と最もよく調和している時刻、あるいはそれらの美しさが眺める人にとって最も印象深く感じられる時間帯に注目した。 』

 

 この作品は古典的な交響曲の4楽章構成をとっており、各々は「夜明け」「朝」「真昼」「黄昏」の時間帯とローマの名所4か所の噴水が当てはめられています。1917年3月の初演時には評論家の嘲笑をかっていたそうですが、1918年2月にトスカニーニによる再演が大成功、その後再演されるようになりました。

以下各曲について書きます。(参考:「気軽にクラシック」, wikipedia, こちらのサイトなど)

 

 

第1部 夜明けのジュリア荘の噴水 ( La fontana di Valle Giulia all'alba )

 

 ジュリア荘の噴水から霊感を受けたもので、ローマの夜明け方の中を家畜の一群が通り過ぎていく、のどかな田園風景を描いている。
 ジュリア荘は、ローマ市内にあるボルゲーゼ公園の北西にある、教皇ユリウス(Julius)3世の別荘として1550年頃に建てられたもので、現在はヴィラ・ジュリア国立博物館になっているそうだが具体的にどこの噴水かははっきりしていないとのこと。

 

 

第2部 朝のトリトンの噴水 ( La fontana del Tritone al mattino )

 

 トリトンの噴水はバルベリーニ広場にある噴水。

 

トリトンの噴水

(画像は前述のwikipediaよりお借りしました)

 

 1643年にジャン・ロレンツォ・ベルニーニ (1598-1680)によって造られた噴水で、海神ポセイドン(ネプチューン)の息子のトリトンがほら貝を上に向けて水を噴き上げている。トリトンは人間の上半身と魚の下半身を持つ姿をしており、このほら貝で嵐に荒れ狂う海を鎮めたそう。

冒頭ののパ~パパ~という高らかに鳴るホルンはこのトリトンのほら貝を表現しており、朝日を浴びて踊るナイアデス(泉やせせらぎなどのニンフ)とトリトンを描いている。

 

立ってるのが父親のポセイドン (ネプチューン)で股の間からほら貝を吹いているのがトリトン

これもベルニーニの作品(「ネプチューンとトリトン」)

(画像はwikipediaよりお借りしました)

 

そういえばトリトンは映画「リトル・マーメイド」のアリエルのお父さんとしても登場してました。下差し

(画像はDisney DAILYよりお借りしました)

 

 

第3部 真昼のトレヴィの噴水 ( La fontana di Trevi al meriggio )

 

 「トレヴィの泉」といえば有名な観光名所ですよね。私も実際に訪れたことがありますが、ガイドさんからはここはスリの名所なので要注意といわれたなぁにやり 泉に背を向けたままコインコインを投げ入れるともう一度来ることができるとかいわれたような。

 

トレヴィの噴水

(画像は前述のwikipediaよりお借りしました)

 

 中央に海神ポセイドン(ネプチューン)、左に豊饒の女神ケレース、右に健康の女神サルースがおり、足元には頭の海馬とそれを操るトリトンの彫刻がある。古代ローマ時代の建築家ニコラ・サルヴィの設計で現在の形に完成したのは1762年。

 

勇壮で壮大な旋律は女神たちを従えたポセイドンの凱旋。厳粛な主題は木管から金管へと移り勝利のファンファーレとなる。トランペットが鳴り響き、ポセイドンに曳かれた馬車はセイレーン(半人半鳥の海の妖精)とトリトン達を従えて堂々と行進していく。その後行列は遠くから再び響くトランペットの微かな音の中を消えて遠ざかっていく。

 

こんな感じでしょうか

(画像はontomoマガジンよりお借りしました)

 

 

第4部 黄昏のメディチ荘の噴水 ( La fontana di Villa Medici al tramonto )

 

メディチ荘の噴水

(画像はwikimedia commonsよりお借りしました)

 

 メディチ荘は、1576年にメディチ家が建設途中だった土地と建物を購入して完成させた別荘で、フェルディナント1世・デ・メディチ (1549-1609)が建築、ボルケーゼ公園に隣接している。この建築物はナポレオンも所有した。作曲家の登竜門として有名なフランスのローマ大賞の受賞者にはイタリア留学の特典があり、このメディチ荘に滞在することができたそう。

 

 第1曲はオーボエで始まるが、終曲の冒頭はコーラングレで始まる。郷愁ただよう夕暮れの様子が、ゆったりとなる晩鐘の響きや小鳥のさえずり、木々のざわめきなどがグロッケンシュピールやヴァイオリンソロなどで奏でられる。ローマの街にゆっくりと夜のとばりがおりていく。

 

 

 

レスピーギ:「ローマの噴水」(17分47秒:第2曲;4分51秒~、第3曲;7分36秒~、第4曲;11分14秒~)/ ユライ・ヴァルチュハ&hr響 (2022年3月11日)

 

 

  ローマの松 Pini di Roma

 

 この作品はレスピーギが45歳の時、1924年に作曲しました。前作の「ローマの噴水」がトスカニーニの再演により好評を博し、名声を得たレスピーギは1923年にサンタ・チェチーリア国立アカデミアの教授から昇進して院長へ就任、その翌年に書いた作品です。

 前作と同じく4つの部分により構成され、各々異なった松と場所、時間を得意の色彩的なオーケストレーションで表現しています。1926年1月15日に彼自身がフィラデルフィア管を指揮して演奏する際に彼はプログラムに以下のように記しています。

 

『「ローマの噴水」では自然に接した印象を音によって再現しようと試みましたが、「ローマの松」では、私は記憶や過去の情景を呼び起こすために出発点として自然を用いました。ローマの風景を極めて特徴的に支配している樹齢何百年もの松の木は、歴史上ローマで起こった様々な出来事の証人なのです。』

 

 つまり彼は松という自然を通じて古代ローマに想いを馳せ、ローマの往時の幻影に迫ろうという意図をもってこの作品を書いた。このためこの曲にはグレゴリオ聖歌など古い教会旋法が好んで使われ古い時代への郷愁と過去への幻影が効果的に活かされています。

 ちなみにこの作品の題材の「松」はイタリアなど地中海沿岸を中心に自生する「イタリアカサマツ」のことだそう。(wikipediaを参考、他は上記のリンク先のサイトを参考)

 

 同年ローマで初演、途中ブーイングが起こったものの最後には大喝采を浴びたそうです。トスカニーニは出版社にこの作品のアメリカでの5年間の独占演奏権を要求、1926年ニューヨークのカーネギーホールでアメリカ初演が行われた際にはレスピーギ夫妻も列席、終演後はトスカニーニとレスピーギは熱狂した聴衆に何度もステージに呼び戻されたほどの大喝采だったそうです。

 

 この作品ではレスピーギは興味深い楽器を指定していました。下差し

 

ブッキーナ:変ロ調のソプラノ・テナー・バスのフリコルノ(サクソルン)(第4部で使用)

 

ブッキーナとは古代ローマ帝国軍が使用したとされる金管楽器の一種で、トランペットやトロンボーンの祖先とされる。現在の楽器でいうとテノールチューバ(ワーグナーチューバ)やユーフォニアムの音域や音色。レスピーギがブッキーナに指定したフリコルノはイタリアにおける円錐管系金管楽器で、ソプラノ・テナー・バスはそれぞれ現在のフリューゲルホルン、バリトン、ユーフォニアムに相当。

 

ブッキーナに指定されたフリコルノ・バッソ(左)とテノーレ(右)

(画像は前述のwikipediaよりお借りしました)


夜鳴きウグイス(ナイチンゲール)の鳴き声の録音(第3部で使用)
:楽譜出版社のリコルディ社からテープが発売されていて、普通はこの出版社のパート譜の貸し譜についてくるのだそう。水笛で代用する場合もあり。

以下各曲について書きます。

 

 

第1部 ボルゲーゼ荘の松( I pini di Villa Borghese )

 

ボルケーゼ公園の松並木

(画像は英語版wikipediaよりお借りしました)

 

『 ボルゲーゼ荘の松の木立の間で子供たちが遊んでいる。彼らは輪になって踊り、兵隊遊びをして行進したり戦争している。夕暮れのつばめのように自分たちの叫び声にひどく興奮し、群をなして行ったり来たりしている。突然、情景は変わり、第二部に曲は入る。 』(レスピーギによる解説)

 

 ボルケーゼ公園は、枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼが1605年にボルゲーゼ荘と庭園をつくったことに由来、ローマで2番目に広い公園でジュリア荘などいくつかのヴィラを含む。のちにイギリス式庭園に作り変えられたが長い間非公開の庭園となっていた。1903年にローマの自治体が買い取ってから一般公開、その20年後にレスピーギがこの庭園をみて作曲したことになる。ボルケーゼ荘はかつては貴族の邸宅でしたが現在はボルケーゼ美術館となっているそう。

 

 この第1部はボルケーゼ公園の松並木で遊ぶ子どもたちの情景をホルンの高らかな響きや彩鮮やかで派手なオーケストレーションで活き活きとした雰囲気の曲。

 

 冒頭からのミュート付トランペットの細やかなタンギングと軽やかに走り回るような木管群の鮮やかな旋律に導かれて奏でられる活き活きとしたメロディは子どもたちの歌うわらべ歌がモチーフとなっている。

レスピーギの妻エルザが子どもの頃ボルケーゼ荘で歌っていた民謡のうちのひとつだそうで、ローマで古くから伝わるわらべ歌「マダマドレ」(Madama Dorè)です下差し

 

わらべ歌「マダマドレ」(Madama Dorè)がモチーフとなった旋律

 

 

そしてその後に続くメロディも同様にわらべ歌「ジロジロトンド」(Giro Giro Tondo) から取られているそう(原曲のわらべ歌は前述のサイト「気軽にクラシック」をごらんください)。 これらのわらべ歌は松の木立でにぎやかに遊ぶ子どもたちを表現するために用いられた。

 

 この曲ではあえて低音楽器はほとんど使われず、高音部中心のオーケストレーションで楽しくにぎやかな雰囲気をかもしだしている。

ちなみにトランペットのアンサンブルなどは技巧的にも難しく、オーケストラのトランペット奏者のオーディションの課題曲に指摘されることもあるそうだ。

最後はあわただしく盛り上がったあと、ピアノの派手な下降グリッサンドで突然雰囲気が変わり第2部へと入っていく。

 

 

第2部 カタコンブ付近の松( Pini presso una catacomba )

 

ローマ市内にあるカタコンブ・ディ・サン・カッリストと入り口に生えている松

(画像はwikimedia commonsよりお借りしました)

 

『カタコンブの入り口に立っている松がつくる暗がりが目に入ってくる。その深い奥底から悲しげなの聖歌が響いてくる。そして、それは、荘厳な賛美歌のように大気にさまよって、しだいに神秘的に消えてゆく。』(レスピーギによる解説)

 

 カタコンブ(カタコンベ)とは古代ローマ時代の初期キリスト教徒が死後埋葬された地下墓所のこと。キリスト教が公認されたのは西暦313年でそれまで長い間迫害されていたキリスト教徒たちはこのカタコンブで礼拝を行ったり祈りを捧げて信仰を守っていた。

現在もヨーロッパのあちこちに当時のカタコンブが残っている。この曲のモデルとなったといわれる上記写真のカタコンブは観光名所となっている。 カタコンブといえばムソルグスキーの「展覧会の絵」にも登場しますよね~。

 

 突然の静寂がおとずれ低弦が厳かに奏されたあとホルンが静かにグレゴリオ聖歌の断片を奏でます。ハープの伴奏でのフルートのあと舞台裏から(バンダ)トランペット・ソロ🎺の美しい賛美歌が聴こえてくる。同時に奏されるヴァイオリンの高音と相俟ってまるで天上の音楽キラキラのよう。

 

バンダで演奏されるトランペット・ソロの旋律

 

レスピーギは院長を務めていたサンタ・チェチーリア国立アカデミア所蔵の膨大な古い時代の楽譜を研究していたそうで、この旋律も古い聖歌がモチーフになっているといわれている。

 

 やがて狭い音域を行き来する音形(祈り声を暗示しているともいわれる)が執拗に繰り返されつつ音楽は次第に高揚していきます。ここででてくる連続した5度の和音の旋律も古代の教歌からインスピレーションを受けたと言われているそう。この5度の和音が執拗に繰り返される中、再び同じ賛美歌がトロンボーン→ホルン→フルート→ファゴットで奏でられ静かに終わっていく。

 

 

第3部 ジャニコロの松( I pini del Gianicolo )

 

ジャニコロの丘にあるガリバルディ騎馬像の周辺の松

(画像は4travelよりお借りしました)

 

『 そよ風が大気をゆする。ジャニコロの松が満月の明るい光を浴びてその輪郭をくっきりと浮かび上がらせている。ナイチンゲール(夜鳴きうぐいす)が鳴いている。 』(レスピーギによる解説)

 

 上の写真の騎馬像のジュゼッペ=ガリバルディはい足りた王国統一に貢献した人物で、ここには統一運動で命を落とした兵士たちの記念碑もあるそう。

 

 ローマ南西部にある「ジャニコロの丘」はローマにある丘の中で2番目に高い(1番目と書いてあるものもあった)丘で海抜88m (82mと書いてあるものもあった)。丘の上からはローマの街を一望できるので今でも有名な観光スポットとなっている。

 

ジャニコロの丘から眺めたローマの街

(画像はwikimedia commonsよりお借りしました)

 

 ジャニコロ (英語:Janiculum)の名前の由来は古代ローマ神話の神ヤーヌス (Janus)の神殿があったことに由来しているといわれています。ヤーヌスは前後に2つの顔を持つ双面で出入口と扉の神とされ、英語の1月、Januaryの語源だそうひらめき電球

 

 カデンツァ風のきらめくような美しいピアノの旋律(そよ風を表しているとか)のあとクラリネットが静かにソロを奏でる。このときの弦の響きもなんともいえず幻想的。月の光の中に浮かび上がる松の木が神秘的です。

 

 

 

ピアノのあとのクラリネット・ソロの部分

 

 その後フルート→チェロ→ヴァイオリン・ソロとグロッケンシュピール→オーボエとハープ→チェロ・ソロなどを経て全体がやや盛り上がったのちに再びピアノが冒頭と同じ旋律を弾き、再びクラリネット・ソロが冒頭の旋律を吹くのだが、ここでレスピーギは本物のナイチンゲールの鳴き声を録音したテープ(初演時はレコード)を流すように指示している。スコアにはレコード番号まで付された指示下差しが書いてある。 それまで多くの作曲家たちが鳥の鳴き声を木管楽器で描写(ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」とか)していたが、作品の中で実際の鳥の鳴き声を録音したものを流す、という手法はまったく斬新なアイディアで初めての例といえる。 

現在は水笛 (鳥笛) を使用することもある。

 

作曲者によるナイチンゲールの鳴き声の指示(レコード番号まで記している)

 

最後にはハープが旋律を弾き消え入るように終わっていく。

 

 

第4部 アッピア街道の松( I pini della Via Appia )

 

アッピア街道の遺跡と松並木

(画像は英語版wikipediaよりお借りしました)

 

『 霧のかかった夜明けのアッピア街道。一本松が不思議な風景を見まもっている。絶え間ないリズムのいつ終わるとも知れない足音。詩人は過去の栄光の幻を見る。トランペットが響き、新たに昇る太陽の輝きの中を執政官の軍隊がウィア・サクラ(聖なる道)に向かって行進し、意気揚々とカンピドリオの丘に向かって登ってゆく。 』(レスピーギによる解説)

 

 アッピア街道は紀元前312年に古代ローマ軍によって建設が始まった最初のローマ街道。

建設責任者だったアッピウス・クラウディウスの名にちなんでいる。ローマから南へのびる560キロに及ぶ進軍道路として使われ、その石畳は現在も残っている。現存するローマ街道の中でも最も有名な街道で「街道の女王」の異名を持つ。

 

アッピア街道の道筋

 

ローマ近郊のアッピア街道州立公園

(画像はいずれもwikipediaよりお借りしました)

 

 ちなみに紀元前71年に起きた奴隷スパルタクスの乱では反乱軍に加わった約6000人の奴隷が捕虜となり、このアッピア街道沿いに生きながら十字架に磔にされそれらはポンペイにまで達したという話が残っています。
また、カンピドリオはローマの「七つの丘」のひとつで、ローマ神の最高神であったユピテル(ジュピター)などの神殿があり、現在もローマ市庁舎があるそうです。

 

 曲の雰囲気は一転し、ティンパニ、ピアノ、コントラバス、銅鑼などが心臓の鼓動のような不気味なリズム(=「軍隊の行進」)を刻む。これは曲の終わりまで続き、徐々にクレッシェンドするので古代ローマ軍の行列が遠くから少しずつ近づいてくるかのような錯覚を起こす。

 

 バスクラリネットやホルンの響きが不気味 → バスクラとクラリネットによる進軍ラッパの音 → イングリッシュホルン(コーラングレ)・ソロの旋律がなんだかアラブのへび使いヘビのようでw これも不気味、それにファゴットやバスクラも加わる → ホルンのファンファーレ。バンダのブッキーナ(前述)が別のファンファーレで応え、ここからバンダが加わっていく (このあたりから曲調が”不気味”から”勇壮”な明るい感じへ)→ ファンファーレが次第に数を増し全体が強奏 → 突如目の前が開けたような、光が降り注ぐかのような感じ(ここらへん個人的には「アルプス交響曲」に似ている気がする・・・にやり

 

 最後のあたりでバンダとオーケストラのトランペットが5連符のファンファーレで呼応し合います下差しが、ここの5連符の息をいかに合わせるかがこの曲最大の見せどころだそうです。

 

 

バンダとオケのトランペットの5連符のファンファーレ部分

 

 最後はファンファーレが一つとなり圧巻のフィナーレを飾ります。

繁栄を極めたローマ帝国の輝かしい栄光を眼前に再現されたかのようです。

 

 

  

レスピーギ:「ローマの松」(23分55秒 (演奏は21分30秒まで):第2曲;2分49秒~、第3曲;9分40秒~、第4曲;16分19秒~)/ ユライ・ヴァルチュハ&hr響 (2022年3月11日)

 

 

今回これらの作品のことを調べていたら、実際にローマの噴水&松 巡りをしていらっしゃる方々のブログも拝見しとてもうらやましかったです。

あ~ 私も将来ローマに行く機会があったらこれらの噴水や松を見てみたいですラブ