2022. 10. 10 (月・祝日) 14 : 00 ~ 紀尾井ホールにて
<カヴァコス・プロジェクト 2022>
~J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン ソナタ・パルティータ 全曲演奏会 【2】~
J.S. バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第1番 ト短調 BWV1001
:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002
:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004
(アンコール)
J.S. バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005より ラルゴ
:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006より ガヴォット
:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005より アレグロ・アッサイ
:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第2番 イ短調 BWV1003より アンダンテ
ヴァイオリン:レオニダス・カヴァコス
もう11月になろうとしておりずいぶん前の10日に行ったコンサートの記録です。
私が現役ヴァイオリニストの中で最も大好きといっても過言ではないレオニダス・カヴァコス(Λεωνίδας Καβάκος / Leonidas Kavakos,1967.10.30~)。
私が彼を初めて聴いたのは、2017年11月にブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の来日公演の時で、1日目はブラームスを、2日目はメンデルスゾーンのコンツェルトをそれぞれ聴いた。私にとってはどちらも衝撃的な演奏で、それ以来大・大好きなのです
3度目に聴いたのは2019年の8月。スイスのルツェルン音楽祭で、ベートーヴェンのコンツェルトを聴いた(ヤニック・ネゼ=セガン&ルツェルン祝祭管)が、これがまた超素晴らしくって。
そして今回が私にとって4回目のカヴァコス
このカヴァコス・プロジェクトはほんとなら2020年にはベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲を、2021年にはブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲を、そして今年がバッハを、という ”3Bプロジェクト”の予定だったのだが、2020年のベートーヴェンは新型コロナのため中止となってしまった。昨年のブラームスは行けず、今年のバッハも2日間行く予定だったのだが 1日目がラトル&LSOの北九州公演と重なってしまい、すごく悩んだ末に2日目だけ参戦することにした。九響のマーラー「復活」の2日公演、ラトルの北九州公演、そしてこのカヴァコスと4連チャン!
ラトルの翌日に上京、その足でホールへ行って聴いた。そして初の紀尾井ホール!
J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ 全6曲 (BWV 1001-1006) (wikipedia) をカヴァコスは2020年7月27日~31日と12月2日~5日の2回に分けて、ベルリンのルーテル福音派「聖十字架教会」で録音した。
BACH SEI SOLO KAVAKOS
カヴァコスほどの人がまだこの作品を録音してなかったのか!と思うが、彼は自らこの作品を演奏することをほぼ封印し、10年の歳月をかけて探求してきたのだそう。
このブックレットの冒頭にカヴァコス自身の言葉が書いてあった(渡辺正氏訳)ので引用する。
(太字にしたのは個人的に印象的だった箇所です)
『 ハーモニーのリズムとリズムのハーモニー。生きるという経験の中でカタルシスつまり魂の浄化を得ることを目指す個人的な旅に乗り出すたびに、この2つは決定的に大きな力になってくれる。そしてそうやって、テオーシス(神化・神成)つまり人間が神の性質を得た状態へと近づく門の扉を開いてくれる。
バッハはパルティータ第3番のプレルディオをオルガンと管弦楽用に書き直してカンタータ第29番冒頭のシンフォニアに使った。カンタータ第29番には「神様、私たちはあなたに感謝します」というタイトルが付けられたが、このタイトルは6曲のソナタとパルティータすべてのタイトルとしても使えそうだ。3曲ずつの2組からなるこの作品は、偉大なトーマスカントルによる無類の構成を通じて、私たちの共同時空間にとって絶対に欠かせない構成要素である人間の、そのひとりひとりが担う責任 ( Sei Solo = 6つのソロ = あなたはひとりだ)というものを明かしてくれている。
――― レオニダス・カヴァコス 』
なるほどカヴァコスはこういうことを考えて演奏していたのだな。
”あなたはひとりだ” という”ひとりひとりが担う責任”・・コロナ禍や不穏な世界情勢の現在にぴったりの言葉ではないだろうか。
私はカヴァコスの演奏はこれまでコンツェルトしか聴いたことがなかったのでソロは初めて聴いたが、こんなに芯の太い音を奏でる人だったのか、と驚いた。紀尾井ホールの音響が素晴らしいというのもあるだろうが、ものすごく響いてきた。
コンツェルトでの私の印象はどちらかというと繊細で線の細い音色だった。そして人がまるで口笛を吹いて歌っているかのように音楽を奏でる人のように思っていた。
バッハのこの作品だったからというのも大きいのかもしれないが、重々しく私の心にずしんと響いてきた。
でもだからといって、決してバッハを弾いて聴かせてますよ~的な仰々しく弾いているわけでもなくあくまで自然体。身体もほとんど動かすこともなくサラサラとこともなげに弾いていく(曲によっては足をダン!と踏み鳴らしながら弾いていた)。
カヴァコスさんを聴いたときによく思うんだけど、楽器を演奏している、というより楽器とあまりに一体となっていてまるでヴァイオリンを通じて彼自身の心が謳っているみたいだ。
きっとそれが彼の魅力なのではないかとあらためて思った。
私が一番聴いてみたかった最後のシャコンヌ(パルティータ第2番の第5曲)。
本当に素晴らしかった 冒頭のギュイ~ンっていうとこ、割とあっさりと弾いていた。でもそこから曲が進むにつれてどんどん深みを増していく。文字ではうまく表現できないが、彼のシャコンヌで色んな深淵を見せられた気がした。
あと今回驚いたのが、弓を引き終わってるのにもかかわらず音が聴こえてきた!(ように思えた)これ決して残響うんぬんじゃなくほんとに聴こえてきた(と思う)!
終わったあと弓を掲げたままずいぶんと長い間の静寂。1分以上あったのでは、と思うくらい。誰も微動だにしない。そうしてさざ波のように拍手が沸き起こった。
(今日のお客さん、めっちゃ静か!カヴァコスが登場する前からし~んと静まり返っていた。子連れの人も多かったんですけどね。紀尾井ホールのお客さんって皆いつもこんなにすごいんだろうか・・すごい。)
アンコールの2曲目のガヴォット、これこないだ辻彩奈さんのアンコール曲で聴いたばかりで辻さんの演奏もとてもよかったのだが、カヴァコスの演奏を聴くとやっぱりすごい。う~ん、なんだろ、とにかくサラッと弾いているのにもう全然違うのだ。
アンコールを3曲終わったあと、カヴァコスが英語でお話をされた。
大体のことを書くと・・・
「今日は”バッハの旅”をともにしてくれてありがとうございます。皆さんの素晴らしい集中力、献身 (devotion)に感謝いたします。音楽は”静寂” (silence)から始まり、”静寂”に終わります。
ただ日ごろ現実の世界では”静寂”を感じることはあまりありません。これから最後の曲、(ソナタ第2番から)アンダンテを演奏します。演奏が終わったら拍手やブラボーは要りません。静寂のまま終わって、どうかそのままその”静寂”をお持ち帰りください。」
というような内容だったかと思う。(細かいとこ違ってたらすみません)
そうして演奏された最後の曲、アンダンテ。ゆったりと奏でられる最弱音がたまらなく愛おしかった。
最後の一音が消えていって、またしばらくの静寂。
で、カヴァコスのスピーチ通りにそのまま終わり、と思いきや、拍手が沸き起こったんですよね~ カヴァコスが「弾きおわったら拍手やブラボーは要りません」って言ったときに笑いさえ起こってたので、皆理解してるんだなとばかり思ってたんですけどね・・
カヴァコス、拍手が起こったのですごく残念そうに両肩をすくめてそのまま舞台袖へと消えていった・・・ 舞台は暗転したまま。 そして客席も暗がりのままお客さんも退席し始めた。
いやはや、最後の終わり方がなんとも残念なことになってしまった
カヴァコスさんもわざとゆっくりとした英語でしゃべってくれたんですけどね・・
通訳がいればよかったのかもだが、これが海外だったらきっとこんなことにはならなかっただろう。日本人のわかってないのにわかったかのような愛想笑いはやめた方がいいと思うなぁ。
いずれにせよ、演奏はとても素晴らしかったのでわざわざ上京してよかった!
来年は2020年に中止になったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会が実現するかもみたいなので、もうしそうなったら絶対行きます!
紀尾井ホール1日目の演奏の様子
(画像はAMATI公式ツイッターよりお借りしました)
日本でのバッハ無伴奏ヴァイオリンリサイタルで大きな感動を与えてくれた #カヴァコス は次の公演地韓国へと旅立ちました。 次回の来日は来年10月を予定しています。詳細発表までしばらくお待ちください。 pic.twitter.com/eI7DS3AHED
— AMATI(アマティ)【公式】 (@AMATI_Inc) October 11, 2022