3月18日 ~ オペラ歌手 カルーソー、初録音 (?) | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

皆さま、今日もお元気でお過ごしでしたか?

 

「今日はなんの日」のコーナーです。

参考にしたのは、近藤憲一氏著 「1日1曲365日のクラシック」という本で、それをお題に書いています。

 

今日、3月18日は・・・ 「歌劇王エンリコ・カルーソーが初めて録音を行ったとされる日」 だそうです。

 

Enrico Caruso: 1873.2.25-1921.8.2; イタリア出身のテノール歌手

(画像はwikipediaよりお借りしました)

 

イタリアのナポリ出身のエンリコ・カルーソーは、伝説の”歌劇王”として知られ、オペラ史上最も有名なテノール歌手のひとりといわれています。 

 

彼は約60作品のオペラや約500曲の歌曲をレパートリーとしており、彼はレコード録音を盛んに行った最初のスター歌手といわれています。 彼のたくさんの録音により、円盤型蓄音機が普及し、それがまた彼の知名度をさらに高めました。

彼が行った大衆的なレコード録音と彼の並外れた声、声域の広さ、声量と声の美しさによって彼は当時の最も著名なスター歌手となりました。(以上wikipeidaより)

ただ、残念なことに彼は1921年に48歳の働き盛りで亡くなりました。

 

 

そして今日は、1902年にエンリコ・カルーソーが初めて本格的な録音を行ったとされる日、だそうです。(ただ、4月11日など諸説あるようです。)

 

彼については、8月2日の彼の命日に記事に書いています。下差し

 

 

イギリス・グラモフォン社のプロデューサーのフレッド・ガイスバーグ (Fred Gaisberg)は、1902年にイタリアのミラノ・スカラ座で当時29歳だったエンリコ・カルーソーに出会いました。 彼の声の美しさに感激したガイスバーグは、さっそくカルーソーに声をかけ、自分のホテルに招いて2時間かけて10曲、ピアノ伴奏だけで録音を行いました。

 

ただ、こういう話もあります。

ガイスバーグとスタッフがミラノへ行き、カルーソーに録音の交渉をすると、カルーソーはまず自分の歌を聴いてくれといって彼らをミラノ・スカラ座に招待した。しかし、その予約した席はあるイタリア貴族の定席だったため、あやうくその貴族と決闘さわぎになりかけた、というのです。 結局決闘は回避され、録音はホテル・ディ・ミラノのガイスバーグの部屋に録音機材を持ち込んで行われました。

(ただし、この決闘の話はレコードの売り上げを増やすためのでっち上げの話ともいわれています)

 

この翌年の1903年に、彼は渡米しニューヨークのメトロポリタン歌劇場に出演、それに合わせてレコードも発売されると、あっという間に人気者になりました。”世界初の人気レコード歌手”となったのです。

その後彼はアメリカに移住し、メトロポリタン歌劇場の看板スターとして18年間活躍、レコードの売り上げにより巨万の富を築きました。
彼はオペラや歌曲だけでなく、民謡や当時流行りのポピュラー・ソングも録音したのであらゆる階層から人気があり、アイドル的な存在だったそうです。

 

 

 

それでは今日の曲です。マイアベーアの歌劇「ユグノー教徒」より、「アルプスの雪より白く」です。

 

マイアベーア:歌劇「ユグノー教徒」(Les Huguenots)より 第1幕「アルプスの雪より白く」(Bianca al par di neve Alpina)   (4分5秒)

/ エンリコ・カルーソー (ten)、ビクター・オーケストラ

 

 

2000年にBMGより「カルーソー2000」(”Caruso 2000”)というCDが発売されたそうです。これは最新技術によってSPレコードの雑音を除去してカルーソーの声のみを抽出し、そこへ1999年に新たに録音したウィーン放送響の音をミックスしているそうです。
そのアルバムより1曲。

 

ロッシーニ:小荘厳ミサ曲 (Petite Messe Solennelle)より 「神なる主よ」(Domine Deus)  (5分10秒)

/ エンリコ・カルーソー、ゴットフリード・ラブル&ウィーン放送響  (Caruso 2000より)

(元々のカルーソーの録音は1920年9月16日)

 

雑音の入ったカルーソーの声(これはこれでいいんですけどね)に慣れているので、これもまた斬新でいいですね音符