10月31日もとい29日 ~ 名テノール、コレッリ 没 | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

今月も今日で最後です! 今月も無事に過ごせたことに感謝です~笑い泣き

そういえば、今日はハロウィーンハロウィン  

ハロウィンのほんとの趣旨もわからない若者たちの例年のようなバカ騒ぎがないといいんだけど~、と思ってたら、こちら福岡の中心街の天神ではさっそくバカ者たち、いえ、若者たちが大勢集まっているもようです~おばけ

・・・といいつつ、自分もはしゃいでます~音符

 

かぼちゃの馬車に乗ってシンデレラ気分です音譜

 

 

ここ、ひとんちだった~!(不法侵入w) すんごいお庭ですラブ

 

 

 

 

さてさて、今月最後の!「今日はなんの日」のコーナーです。

参考にしたのは、近藤憲一氏著「1日1曲365日のクラシック」という本で、それをお題に書いています。

(写真はwebからお借りしました)

 

今日、10月31日は・・・テノールの貴公子 「フランコ・コレッリの命日」 です。

って出典本には書いてあったけど、これ10月29日の間違い・・ですよね!? どれを調べても命日は29日となっています。 なので10月29日として書きます。 

近藤先生~~前もジョルジュ・サンドの命日を間違えとったよぶー

 

 

Frannco Corelli: 1921.4.8-2003.10.29; イタリアのテノール歌手

 

10月16日の記事ではテノール歌手のマリオ・デル・モナコのことを書きましたが、デル・モナコが”テノールの帝王”と呼ばれた一方で、今日のフランコ・コレッリは”テノールの貴公子(Prince of Tenors)”と呼ばれたそうです。

写真を見たらわかるように、映画スターのような端正な顔立ちと180センチを超す長身、長い足、という外見からも女性からの人気も絶大だったようです。 もちろんその美声、力強い歌唱、輝かしい高音などでも聴衆を魅了してやみませんでした。

 

 

フランコ・コレッリは、1921年4月8日にイタリアのアドリア海沿岸の港湾都市アンコーナで生まれました。

彼の祖父アウグストもテノール歌手であり、二人の叔父はアンコーナのテアトロ・デッレ・ミューズの合唱団に所属していたそうです。 しかし彼の父親はイタリア海軍の造船業者であり、フランコもその後を継ぐべくボローニャ大学に進学し海軍工学を学んでいました。ボローニャにいたときに友人の勧めで歌のコンテストに参加し、優勝はできなかったものの審査員は彼の声に感銘を受け、適切なトレーニングを受ければプロ歌手としてキャリアを積むこともできると彼にアドバイスを与えました。

 

そこで彼はペーザロ音楽院に入学し専門家の指導を受けますが、自分の歌唱の向上には役立たない(かえって逆効果になる)と考えた彼は、ほとんど独学で声楽を学んだ他は、マリオ・デル・モナコがかつて師事した教師(メロッキのことかな?)にアドバイスをもらい、デル・モナコと同様の独特の歌唱法を身に付けました。

 

1951年(30歳)にフィレンツェの5月音楽祭の声楽コンクールで優勝した後、同年スポレートのテアトロ・ヌオーヴォで「カルメン」のドン・ホセ役を歌ってデビューしました。

1954年(33歳)にはミラノ・スカラ座でマリア・カラスとスポンティーニ作の「ヴェスタの巫女」で共演し、一躍有名になりました。(このときの公演は録音されリリースされています)

 

マリア・カラスと

 

1958年(37歳)にローマオペラハウスでソプラノ歌手のロレッタ・ディ・レリオと出会い、結婚。彼女は歌手としてのキャリアを断念し、夫の秘書兼マネージャーとなりました。

 

1961年(40歳)にはヴェルディの「トロヴァトーレ」のマンリーコ役でメトロポリタン歌劇場にデビュー。

メトロポリタン歌劇場では以後15シーズンにわたって365回も出演(役柄は19にわたる)したそうです。


独特の粘った歌い口やあくの強い表情づけ、独特の歌唱法などから批評家の評価は分かれた面もありました。

1957年(36歳)にロンドンのコヴェント・ガーデンのロイヤルオペラハウスでデビューした時、「トスカ」の第2幕のカヴァラドッシの「ヴィットリア!」という叫びを12秒も伸ばし、批評家からは非難されました。

 

また、気が短かった彼は、名ソプラノ歌手ビルギット・ニルソン (1918-2005)とも有名なエピソードがあります。メトでの「トゥーランドット」で彼女と共演したコレッリ。第2,3幕のふたりの高音の競演が話題でしたが、ある夜ニルソンは第2幕の高い「ド」の音でコレッリより長く高音を保つことに成功し、満場の喝采を浴びましたが、一方コレッリは憤慨しましたプンプン

怒り冷めやらぬコレッリは、休憩時間にメトの名総支配人ルドルフ・ビングに「もう公演を続けるつもりはない!メラメラ」と詰め寄りました。 コレッリの癇癪のあしらい方を心得ていたビングは、続く第3幕のフィナーレの二重唱のときに、ニルソン演じるトゥーランドット姫にキスするかわりに首を噛んで報復したら、と提案、結局コレッリは彼女を噛みませんでしたが(一説には耳に噛みついたという話もある)ビングのアイディアを喜んで、ニルソン本人にも話しました。するとニルソンは「狂犬病に感染したので」とビングに電報を打って、続く2回の公演をキャンセルしたのだとかびっくり

 

また、別の逸話では、その後コレッリは第3幕のアリア「誰も寝てはならぬ」を歌い上げ、聴衆の喝采を取り戻し、引き続く二重唱でニルソン歌うトゥーランドット姫が、「我が (mia) 栄光の時は過ぎ去りき」と歌うべきところを、「あんたの (tua) 栄光はもう終わったのよ!」とあてつけたとか。さらにをれを受けたコレッリは本来の歌詞通り、「いいや、これから始まるのです!」と受け流したとか。びっくり  う~んどちらの逸話が本当としてもこ、こわい汗  

ふたりは何十回となく舞台で共演したそうで、共演というよりも競演でしょうか、様々な意地の張り合いのエピソードがあるようです。(ニルソンもすんごい気が強い女性みたいです。カラヤンとのエピソードも色々とあるようで・・)

 

ビルギット・ニルソン (1918-2005)

 

また彼は本番前は非常に神経質だったそうです(そういうオペラ歌手多いですよね)。公演に先立ってはレモン汁と生のニンニクをそえたタルタルステーキステーキを準備することも劇場側の契約項目の中にあったそうです。

容姿端麗な彼は雑誌の洋服のモデルもこなし、また高級車やカメラを集める趣味もありました。一時期は彼の車庫にはジャガー、アルファロメオジュリエッタ、リンカーンコンチネンタル、キャデラックがずらりと並んでいたそうです。また高級カメラは12台ほど所有していたとか。

 

これは「ナポリ民謡」を歌ったアルバムのジャケ写ですが、これも彼の所有車ですかね~。

 

 

彼は3度来日も果たしています。1971年(50歳)と1973年(52歳)にはリサイタルを行い、1975年(54歳)にはメトロポリタン歌劇場の初の日本引っ越し公演に参加、「ラ・ボエーム」のロドルフォを歌いました(ロドルフォはパヴァロッティとのダブル・キャスト)。

1971年の初来日のときの公演の様子はDVD化されています下差し会場は大盛り上がりだったそうです。

 

「Franco Corelli-1971 Tokyo Concert」(DYNDVD33515)

フランコ・コレッリ、アルベルト・ヴェンチュラ&NHK交響楽団

(1971年11月18日 厚生年金会館)

 

 

声量、声質などまだ十分に活躍できると思われていた1976年(55歳)に引退

一節には舞台恐怖症が原因ともいわれていますが、自分の歌唱力の衰えを感じて厳しい批判にさらされるのをよしとしなかったという話もあります。

ただ、引退後もプライベートな集まりなどでは、その変わらない歌声を披露していたようです。

 

フランコ・コレッリは、心臓病を患ったあと2003年の10月29日の午後7時半にミラノの病院で亡くなりました。82歳でした。2日後の10月31日にミラノのサン・カルロ教会で葬儀が行われ、ロレッタ夫人の他、故郷のアンコーナの市長、ミラノ市長、スカラ座支配人らが参列したそうです。

 

 

お墓はミラノ記念墓地にあります。これは記念碑かな?

 

 

こちらがフランコ・コレッリの納骨堂のようです


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それではきょうの今日の曲です。ヴェリズモ・オペラの最後の大家、ジョルダーノの歌劇「アンドレア・シェニエ」から「ある日青空を眺めて」 です。

主人公はフランス革命時の熱血の詩人で、最初は革命に共鳴しますがやがて新しい権力者たちの暴政を非難して断頭台の露と消えるというフィクションです。

詩人の純粋な心を軽蔑してはならない、と熱く歌い上げる名アリアです。

 

「アンドレア・シェニエ」のタイトルロールを演じるコレッリ

 

 

ジョルダーノ:歌劇「アンドレア・シェニエ」より 「ある日青空を眺めて」 (5分37秒)

/ フランコ・コレッリ、アルベルト・ヴェンチュラ&東京フィル(と記載ありますがN響?) (1971年来日公演)

 

歌い終わったあとのお辞儀までもすごく風格があります。

 

 

もうひとつ、プッチーニの「トスカ」から。

 

プッチーニ:歌劇「トスカ」より 「星は光りぬ("E Lucevan le stelle")」 (2分25秒)

/ フランコ・コレッリ