10月18日 ~ フランスのオペラ作曲家 グノー 没 | Wunderbar ! なまいにち

Wunderbar ! なまいにち

まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

皆さま、今日もお元気でお過ごしでしたか?ハロウィン   あぁ~休みが終わってしまうのが早いこと!ぼけー

 

「今日はなんの日」のコーナーです。

参考にしたのは、近藤憲一氏著「1日1曲365日のクラシック」という本で、それをお題に書いています。

(写真はwebからお借りしました)

 

今日、10月18日は・・・作曲家 「シャルル・グノーの命日」 です。

 

Charles François Gounod:1818.6.17-1893.10.18; フランスの作曲家

 

今日はグノーの命日だそうです。今年は没後127年、生誕202年なんですね。

グノーは”フランス近代歌曲の父”とも呼ばれています。 バッハの平均律第1番のプレリュードの旋律をつけた「アヴェ・マリア」や、バチカンの実質的な国歌「賛歌と教皇の行進曲」を作曲したことでも知られています。

 

 

シャルル・グノーは、1818年6月17日にパリで生まれました。父は設計士、母はピアニストでした。

母親からピアノの手ほどきをうけ、1835年(17歳)にパリ音楽院に入学、オペラ作曲家のフロマンタル・アレヴィに師事しました。

 

1839年(21歳)にカンタータ「フェルナン」で新人音楽家の登竜門である「ローマ大賞」を受賞。国費による2年間のイタリア留学でパレストリーナらの宗教音楽を集中的に研究しました。

その後ウィーン、ベルリン、ライプツィヒなどに滞在、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなど幅広く学び、友人だったメンデルスゾーンからも影響を受けました。

1843年(25歳)にフランスへ帰国。パリのサン・トゥスタッシュ教会の聖歌隊楽長兼教会オルガニストになりました。 聖職者を目指してパリのカルメル会の聴講生となって神学を学びますが、周囲の反対により断念しました。

 

1850年(32歳)に後の大画家のルノワール(当時23歳)がグノーの聖歌隊に数年間所属していたそうです。歌の才能を見込んだグノーがルノワールに声楽を教え、ルノワールの両親に、彼をオペラ座の合唱団に入れるよう提案しましたが断られたそうです。

 

1851年(33歳)に初めてのオペラ「サッフォー」を作曲しますが、評価されませんでした。

1854年(36歳)に交響曲第1番を、2年後の1856年(38歳)に第2番を作曲しました。 この2つの交響曲はハイドンやモーツァルトらの作品を熟知した上で作曲されており、17歳のビゼーはこの2つの交響曲を手本にして「交響曲ハ長調」を作曲したといいます。

1858年(40歳)劇作家モリエールの喜劇を題材にした小コミック・オペラ「心ならずも医者にされ」が初めて成功します。

 

1859年(41歳)にゲーテの劇詩に基づくオペラ「ファウスト」(全5幕)が初演、初演当初は好評は得られませんでしたが、上演されるにつれて人気が高まりました。初演を観たベルリオーズは、「この作品が近い将来必ず大成功する日が来るに違いない」と評価したそうですが、その予言はまさに的中、リリック座で10年間に306回、その後75年で2000回以上上演される大ヒットとなりました。

ドイツやイタリア、イギリス(1863)、アメリカ(1863)でも上演されて好評を博し、グノーの名声は国際的にも広まりました。

 

この頃(?)のグノー

 

同年、バッハの「平均律クラヴィーア曲集第1巻」のプレリュードに、歌詞としてラテン語の聖句「アヴェ・マリア」をのせた歌曲を書きました。これは今でも様々な編曲で親しまれており、「グノーのアヴェ・マリア」と呼ばれます。下差し

 

J.S.バッハ/グノー編:「アヴェ・マリア」  (4分7秒)

/ ディアナ・ダムラウ(ソプラノ)、グザヴィエ・ディ・メストレ(ハープ)

 

メストレのハープもいいな~ラブ 彼のハープ、いつかぜひ生で聴いてみたいです音符

 


1866年(48歳)アカデミー会員に選出。

1867年(49歳)にシェイクスピア原作のオペラ「ロミオとジュリエット」が初演。ちょうどパリ万博が開催中で、連日満員となる大成功を収め、同年にイギリス、ドイツ、ベルギーでも上演されました。
1869年(51歳)にオペラ座で「ファウスト」が上演されることになり、慣例に従って台詞はレチタティーヴォに変更、第5幕にバレエ音楽が追加されました。現在ではこのバレエ音楽だけが単独で演奏されることも多いようです(⇒今日の曲)。

 

オペラ座上演のときのポスター


 

1870年(52歳)普仏戦争 (1870.7.10-1871.5.10)を避けてロンドンへ移住、ロイヤル・コーラル・ソサエティ(のちの王立合唱協会)の首席指揮者を務めました。この頃から作品の多くが声楽曲や合唱曲となりました。

1872年(54歳)にピアノ曲「操り人形の葬送行進曲」を作曲。 ⇒この管弦楽版がヒッチコックのテレビシリーズでテーマ音楽に使って有名です。「ヒッチコックのテーマ」と呼ばれました。下差し

 

 

「Alfred Hitchcock Presents」:Official Trailer  (1分38秒)

 

ヒッチコックのこの番組、なんだかとっても怖いんですよね~あんぐりうさぎ  

大昔行ったフロリダのディズニーワールドの「トワイライトゾーン・タワー・オブ・テラー」(東京ディズニーシーにあるやつと乗り物自体は一緒だけど中味(建物の中)が全く違う)に、このヒッチコックが出てきた記憶(このテーマ曲も?)があるんですが、ある意味東京よりもこっちの方がめちゃ怖いと思います。このシルエットが出てきただけで私は怖い・・あんぐりうさぎ

でもこのテーマ曲がグノーだったとは!知りませんでした音符

 

 

1875年(57歳)にフランスに帰国、再び宗教音楽の作曲に向かい、1882年のオラトリオ「贖罪」などで成功を収めました。

 

1893年の今日、10月18日にパリ近郊のサン=クルーで亡くなりました。75歳でした。墓所はメトロ9号線のエグゼルマン駅の南にあるオートゥイユ墓地です。ここは1800年からある非常に古い墓地で、彼はグノー家の霊廟の中に眠っています。

 

オートゥイユ墓地にあるグノー家の霊廟

 

 

霊廟の中にある祭壇

 

 

シャルル・グノーの墓碑



グノー他界の翌年の1894年11月24日に「ファウスト」が日本で初演されました。これは日本で最初に上演されたオペラです。
1949年にはバチカンが実質的な国歌として、グノーの「賛歌と教皇の行進曲」を採用しました。

 

グノー:「賛歌と教皇の行進曲」  (3分46秒)

 


グノーはそれまで主流だったグランド・オペラに対して、「リリック・オペラ」(=ドラマの進展にふさわしい音楽的・視覚的効果を伴ったオペラ)という領域を開拓しました。
約200曲の歌曲を作曲、抒情的で魅力あふれる旋律と色彩感のあるオーケストレーションは、”フランス近代歌曲の父”と呼ばれました。
また、ベルリオーズ、ビゼー、サン=サーンスらを評価し、彼らを世に知らしめるよう尽力したそうです。


それではきょうの今日の曲です。歌劇「ファウスト」よりバレエ音楽です。
前述したように、これは1869年のオペラ座での上演に際し、当時のフランス・オペラの慣例に従って第5幕に追加されたものです。7つの部分で構成され、各曲は切れ目なしに演奏されます。
第1曲:ヌビアの踊り、第2曲:クレオパトラと黄金の杯、第3曲:ヌビア奴隷の踊り、第4曲:クレオパトラとその奴隷たちの踊り、第5曲:トロイの娘の踊り、第6曲:鏡の踊り、第7曲:フリネの踊り

 

ファウストの物語は、「老学者ファウストが悪魔メフィストフェレスから若返りの薬をもらい、代わりに死後の魂を渡す契約を結ぶ。若返ったファウストは純真な村娘マルグリート(グレートヒェン)と愛し合うが、冒険を求めて彼女のもとを去る。久々に村に戻ると、ファウストを待ち続けていたマルグリートはやつれ果てていた。ファウストは後悔するが、彼女の兄に決闘を挑まれ殺してしまう。心を病んだマルグリートは子を殺めて牢獄に入る。ファウストが助けに来ると、彼女はファウストの帰還を確認し天に召されていった。」といったストーリーです。

 

 

グノー:歌劇「ファウスト」より 第5幕バレエ音楽 (15分47秒:第2曲;2分32秒~、第3曲;6分20秒~、第4曲;7分51秒~、第5曲;9分21秒~、第6曲;11分19秒~、第7曲;12分58秒~)

/ クリュイタンス&パリ国立歌劇場管  (1958年)