10月16日 ~ 不世出のテノール、マリオ・デル・モナコ 没 | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

皆さま、今日もお元気でしたか?もみじ  10月もあと半分になりました!早い!

 

「今日はなんの日」のコーナーです。

参考にしたのは、近藤憲一氏著「1日1曲365日のクラシック」という本で、それをお題に書いています。

(写真はwikipediaなどwebからお借りしました)

 

今日、10月16日は・・・伝説のテノール歌手 「マリオ・デル・モナコの命日」 です。

 

Mario Del Monaco:1915.7.27-1982.10.16; イタリアのテノール歌手

 

私は彼のことを知ったのは、以前(2018年1月の放送)Eテレの「ららら♪クラシック」で「解剖!伝説の演奏家 マリオ・デル・モナコ」を観たときです。

彼は、”黄金のトランペット”と呼ばれた輝かしい声を持ち、ドラマティックな役柄で高く評価されました。

ディ・ステファノ、フランコ・コレッリとともに、元祖三大テノールのひとりです。

 

 

マリオ・デル・モナコは、1915年7月27日にイタリアのガエータ (Gaeta)に生まれました。

小さい頃から歌うのが大好きだったそうですが、少年時代は神父になるつもりだったそうです。

13歳の時、神学校に入ろうか迷っていたとき、たまたまアリアを歌っているのを父親が聴いて、歌手になった方がいいのでは、とアドバイス。方向転換することになったのです。

 

13歳からヴァイオリンを、16歳から本格的に声楽を学び、ペーザロの音楽院でメロッキという名教師に発声を学びました。

1937年(22歳)にトゥリオ・セラフィンに招かれ、ローマ歌劇場で研鑽を積みました。

 

1941年(26歳)にミラノでプッチーニの「蝶々夫人」でピンカートンを歌ってデビューしますが、その後第2次世界大戦のためイタリア軍に徴兵され、一時は活動を停止せざるを得ませんでした。戦争終結後はすぐに活動を再開します。

 

1946年(31歳)にアレーナ・ディ・ヴェローナで「アイーダ」のラダメス役で大成功を収め、同年ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスにデビュー(サン・カルロ劇場の引っ越し公演)。

1947年(32歳)にミラノ・スカラ座にデビュー。

1950年(35歳)にブエノスアイレスのテアトロ・コロンで、ヴェルディの「オテロ」を初めて歌いました。これは彼の最高の当たり役となり、その後1972年(57歳)のベルギー王立劇場での最後の「オテロ」まで218回もオテロを歌ったそうです。

1951年(36歳)にメトロポリタン歌劇場、1957年(42歳)にウィーン国立歌劇場にデビュー。

 

オテロを演じるマリオ・デル・モナコ

 

 

1959年(44歳)にはNHK主催の「第2回イタリアオペラ公演」で初来日。「オテロ」と「カルメン」(ドン・ホセ役)に出演し、日本の聴衆に大きな衝撃を与えました。

(本来は、1956年の「第1回イタリアオペラ公演」で来日予定だったのですが、直前に13歳の少女と駆け落ちしてスイスへ行き、イタリア諸劇場の出演をすっぽかしたためイタリアへの入国が禁止となり、そのスキャンダルのせいで来日がキャンセルとなったそうです汗

当時、舞台で共演したバス歌手の岡村喬夫氏は、

「デル モナコは一声一声出すために生きている、だから聴く人の心に響く。」 と回想しています。

 

その後、1961年(46歳)の「第3回イタリアオペラ公演」にも来日、「アンドレア・シェニエ」(シェニエ役)、「道化師」(カニオ役)、「アイーダ」(ラダメス役)に出演、1969年54歳)にはリサイタルのため来日、と計3度来日しています。

 

 

1963年(48歳)に彼は大きな自動車事故に巻き込まれました。事故の影響で慢性腎炎となり、このため人工透析が必要となりました。この事故のために後約1年もの休業を余儀なくされました。(結果的にこれが彼の死を早めた原因ともいわれています。)

このため、この年に予定されていた、「第4回イタリアオペラ公演」での来日がキャンセルとなりました。

 

1969年(54歳)のマリオ・デル・モナコ

 

 

1970年代以降は声楽教師として後進の指導に力を注ぎました。

1974年(59歳)にナポリ、パレルモ、トッレデルラーゴで最後の公演を行い、1975年(60歳)に正式に引退しました。

1982年の今日、10月16日に心臓発作により67歳で他界しました。

 

 

イタリア、ペーザロの中央墓地にあるマリオ・デル・モナコのお墓

 

とても力強く張りのある彼の声は、”黄金のトランペット”🎺とも称されました。

彼の発声法は非常に特殊であり、喉頭をコントロールする非正統的な発声方法は、彼が最初に声楽を学んだペーザロ音楽院の名教師メロッキ(前述)から学んだといいます。

一昨年の「ららら♪クラシック」での彼の特集のときは、ゲストのテノール歌手村上敏明氏が、”声をできるだけ顔の前に集めて劇場の一番遠くへ届けようとする”独自の発声法なのだと説明していました。

この発声法は、彼の高音域と中音域に大きなパワーを与えましたが、一方この発声法のために彼のキャリア後半では柔らかく柔軟に歌うことが難しくなったともいわれます。

 

初来日時の公演を聴いた音楽評論家の東条碩夫氏は、「デルモナコの本当の凄さは、ナマの上演でしかわからないだろう」とした上で、次のような感想を書いています。

 

『私は東京文化会館の1階最後列に近い位置で聴いていたのだが、ごうごうと鳴るオーケストラの音を軽々と飛び越えて、声が一直線にこちらへ飛んでくるそのすさまじさには、身体がすくむような思いをした。 ただ声がバカでかいというのでは決してない。あくまでも知的に制御された、遠くまでよく通る、澄んだ輝かしい声~歌唱なのだ。それゆえ、音楽的にも十分な説得力にあふれている。』

 

 

力強い声とは裏腹に、彼はヒジョーに繊細な人物だったそうです。

本番2日前から声のために一切しゃべらず、会話は筆談。 本番が終わるとその日の録音テープを聴きなおして次回に備えたといいます。食事にも極力気を使い、声にいいものしか食べない、夜遊びは避け、修行僧のようなストイックな生活をしていたそうです。

 

来日の際にも飛行機飛行機ではなく船船で到着(飛行機嫌いは他の公演地でも同じだった)、船上でも喉にマフラーを何重にも巻いて大事な喉を守り、客室でじっとしていたそうです(用事はすべて夫人に任せた)。

「オテロ」の初日では、あまりの緊張感から出番直前まで金縛りのような状態になり、夫人が気付けのウイスキーを飲ませて、正気に戻らせたあと、堂々とした第一声を響かせたのだそう。

公演後のパーティにも出席せず、ホテルの部屋にこもりきりだったとか。

 

また、「道化師」の有名なアリア「衣装をつけろ」のあとの「泣きの演技」ではデル・モナコはいつも実際に泣いてみせるのが評判でしたが、日本公演の際はフライングのブラボー!の大歓声にさえぎられたため(いつの世にもフライングブラボー野郎はいるんですよね~ぼけー)、仕方なく泣きまねをしたといわれています。

 

出番前の極度の緊張は来日公演のときに限らず、日常茶飯事で、そのときはいつも「自分はもうだめだ」「この舞台では失敗するだろう」「これが最後の舞台だ」などと口走っていたそうです。

 

パヴァロッティも本番前は相当緊張していた(リサイタルのときに握っていた白いハンカチもその象徴)し、アルゲリッチもそうですが、超一流といわれるアーティストの方々も、自らの心身を削りながら我々に超一流の音楽、歌唱を聴かせているのだなとつくづく思います。

 

 

前述した音楽評論家の東条碩夫氏は、1969年の3度目にして最後の来日の際に、FM東京のインタビュー番組で、デル・モナコにインタビューしたことがあるそうです。

ホテルのエレベーターの前でデル・モナコと鉢合わせしたそうですが、その際のデル・モナコのいでたちは、10月半ばというのに、厚手のコートに大きなマフラーとマスクという重装備だったそう。

「声を出すのはなるべく短い時間で済ませたい。ついては質問事項についてまとめてお話することでお許し願いたい」と前もって聞かされていた東条さん。

彼の部屋に入ると、デル・モナコはマスクだけ外し、「さあ?」という顔になったので、テープレコーダーをスタートさせ、東条さんがある質問をしたところ、うなずくやいなや、途端に朗々たる声で猛烈な勢いで話し始めたそうです。そして情熱的に切れ間なく10分間も!しゃべり続けたそう。

で、そのあとは火が消えたように黙ってしまったので、東条さんはわざと「で?」を促してみましたが、通訳さんが「これでおしまいですって。」

『「これでいいだろ?」という表情で私を見てニコっと笑った彼の人懐っこい笑顔は、もうあの厳しいオテロのそれではなかった。』 と東条さんは書いていました。

 

 

それではきょうの今日の曲です。レオンカヴァルロの歌劇「道化師」より「衣装をつけろ」です。

役者のカニオが、妻の不倫相手を刺そうとしますが、舞台が始まるので道化師の衣装をつけろと促されて苦しみながらも笑いをとらなければならない悲哀をうたった有名なアリアです。

1961年の来日公演のときの映像だと思いますが、前述したように・・・ブラボーと拍手がはえ~んだよ!

しったかブラボーすんな~!音楽聴け~!パンチ! っていいたいです。 

 

レオンカヴァルロ:歌劇「道化師」より 「衣装をつけろ」  (3分11秒)

/ マリオ・デル・モナコ(カニオ)  (1961年 第3回イタリア・オペラ公演より)

 

 

レオンカヴァルロ:歌劇「道化師」より 「衣装をつけろ」  (3分59秒)

 

こちらは対訳つきです。こちらの方が音もいいです。

 

 

これは1961年の来日時の特別演奏会のアンコールでデル・モナコが飛び入り参加して、「オーソレミオ」を歌ったもの。 (3分20秒)。

 

 

他の音源も色々聴いてみましたが、すべての力をその時の歌に賭ける一期一会の歌いぶり、すさまじいまでの迫真の歌唱、ほんとすごいです。

 

マリオ・デル・モナコ (1915-1982)