6月4日 ~ モーツァルトの”ニ短調協奏曲” 日本初演 | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

皆さま、今日も一日お元気で過ごせましたか?あじさい

 

私は今日は、とある素敵なサロンに招かれてピアノリサイタルをしに行って参りました。

久しぶりのステージでドキドキです照れ  私を待つ満員の聴衆が・・・

 

 

誰もいね~~~っ!ソーシャルディスタンスしすぎだっちゅうの!

 

 

おほほほ、取り乱してしまいましたにやり

 

気を取り直して、「今日はなんの日」のコーナーです。

出典は、近藤憲一氏著「1日1曲365日のクラシック」という本で、それにプラスαで書いています。

 

今日、6月4日は・・・ 「モーツァルトのピアノ協奏曲第20番の日本初演の日」 だそうです。

 

「近藤さんったらマニアックぅ~~」

とおすまし顔のモーツァルトさんも申しておりますにやり

 

モーツァルト (1756-91)が作曲した「ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466」は、1785年2月10日に完成され、翌2月11日にウィーンの「メールグルーベ」という集会所での予約演奏会で初演されました。

 

日本の初演はそれから119年後の1904年(明治37年)の今日、6月4日

神戸絢 (1879-1956)の独奏、アウグスト・ユンケル(1868-1944)指揮の東京音楽学校オーケストラで演奏されたそうです。

 

このアウグスト・ユンケルというドイツ人、1899年から1912年まで東京音楽学校(現東京藝術大学)にお雇い外国人として採用された方ですが、「日本のオーケストラの父」ともいえる偉大な方のようです。ケルン音楽院に在学中にブラームスハッの前でヴァイオリン演奏を披露したほど優秀で、首席で卒業後ヨーゼフ・ヨアヒムハッに師事、ベルリン・フィルのコンサートマスターも務めたそうです。 東京音楽学校に採用されたのちに、音楽学校にいわゆるフル・オーケストラを初めて組織、シューベルトの「未完成」交響曲や、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」などたくさんの作品の日本初演を果たしたそうです。大変厳格で情熱的な指導で、滝廉太郎や山田耕筰などたくさんの音楽家を育てました。 ドイツに戻ってアーヘン音大教授などを務めますが、1934年に再来日、武蔵野音大教授となり晩年まで指導にあたりました。1944年東京で死去したそうです。

 

アウグスト・ユンケル (1868-1944)

 

 

家族との写真(1912年) (wikipediaよりお借りしました)

奥様は日本人だったんですね~。

 

 

 

明治38年頃の東京音楽学校オーケストラと合唱団

~中央に立っているのがユンケル

 

ちょうど今日の曲の初演の頃の団員達ではないでしょうか。第一ヴァイオリンに安藤幸や幸田延がいるそうです。当たり前でしょうが、みんな髪を結って着物姿なんだな~。

 

 

神戸絢 (1879-1956)

 

そしてこれが初演のときのソリストを務めた神戸絢 (かんべあや)です。

東京音楽学校に入学、卒業後に同校の講師を務めたのちに1906年にフランスのパリ音楽院へ留学、1909年に帰国後は東京音楽学校の教授として後進の育成にあたりました。

 

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第20番は、ご存知のとおり彼が初めて手掛けた「短調」の協奏曲です。ピアノ協奏曲の中では、この第20番ニ短調と第24番ハ短調の2曲だけが短調です。

そしてこの第20番は、のちの「ドン・ジョバンニ」や「レクイエム」と同じニ短調です。

当時、華やかさが求められた協奏曲が、いきなり暗く不安げな旋律で始まったのを聴いた初演時(1785年2月11日)のウィーンの聴衆はさぞかし驚いたことだろうと思いますビックリaya

 

それまでのピアノ協奏曲とは雰囲気の全く異なるこの第20番を書いたモーツァルトにどういう心境の変化があったのか・・・ モーツァルトは1781年にザルツブルクを離れウィーンで暮らし始め、この第20番を作曲したころは演奏会も人気があり順風満帆の時期でした。

この曲の初演(ウィーン)の前年にあたる1784年の暮れにフリーメーソンに入会、翌85年の1月7日にはフリーメーソンの第2位階の「職人」に昇進しました。ひとつの説としては、このフリーメーソンに入会したころから彼の作曲の風合いが変化してきたともいわれているそうです。すなわち、聴衆を対象とした社交的雰囲気を重要視したものから、自分自身に向けての作曲、自己の内部にある深い感情を表出するような表現になってきたというのです。

 

まぁ、ほんとのところは彼しか分かりませんし、今や知るよしもないですが、このウィーンでの初演を聴きに来ていたモーツァルトパパのレオポルトは、

 

『演奏会はまことに素晴らしいものでした。オーケストラも見事でした。(中略) それからヴォルフガングの素晴らしい新作のクラヴィーア協奏曲がありましたが、私たちが着いたときには、写譜屋はまだそれを書き写しているところだったし、お前の弟はロンド(第3楽章)をまだ一度通し弾きしてみる時間がなかったのです。彼には筆写譜に目を通す必要があったからです。』

 

と、後日ザルツブルクにいる娘ナンネルに宛てた手紙に書いていることからすると、とにかくこのニ短調の協奏曲の演奏は成功したようです。(失敗に終わったという説もありますが。)

 

 

それでは、今日の曲、近藤氏のおススメは、このピアノ協奏曲第20番より第2楽章です。

この第2楽章 Romance は映画「アマデウス」のエンドロールで流れ、一層有名になりました。

 

 

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466より 第2楽章 Romance (9分1秒)

/ マルタ・アルゲリッチ (Pf), クラウディオ・アバド&モーツァルト管  (2013年 ルツェルン音楽祭ライブ)

 

アバドはこの翌年1月に逝去したので、ふたりの共演はこのときが最後だと思います。

ふたりの共演は約10年ぶりだったそうです。

 

せっかくなので、グルダの演奏で全曲も載せておきます。

 

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466  

(32分17秒; 第2楽章;14分43秒~、第3楽章;23分43秒~)

/ フリードリヒ・グルダ(弾き振り)&ミュンヘン・フィル

 

なんか漫談でも始めそうなグルダの風貌ですがw、グルダの音もやっぱり好きですハート