カプツィーナ教会 / 皇帝納棺所 4の2 | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

9月に行ったウィーン旅行記のつづきです・・・オーストリア

前回の続きですラブラブ

カプツィーナ教会の地下にある「皇帝納棺所」(Kaisergruft)について書きますので、気味が悪いと思われる方はスルーしてくださいねaya

尚、記事中に出てくる肖像画はすべてwikipediaよりお借りしました。

 

 

入口でもらった、この下差しマップにしたがって進んでいきます。

 

前回はKarl Cryptまでをめぐりました。今回は Maria Theresia Cryptから。

 

Karl Cryptを進んでいくとどでかいサルコファガスが目に飛び込んでくる。このあたりがMaria Theresia Cryptで、マリア・テレジア一族関係が葬られている。

(注;「サルコファガス」とは、遺体を納めた棺をさらに入れる入れ物のようなもの。元来の意味はエジプトの石棺だが、ここでは豪華な彫刻や装飾が施された金属製のことが多い。)

 

写真がピンボケですみません汗 どでかいサルコファガス(周囲の人の大きさと比べるとその大きさがわかると思います)の手前に質素な十字架の棺がある。これはマリア・テレジアの長男のヨーゼフ2世の棺である(マップの42番)。

 

Joseph II. (1741-1790) ;神聖ローマ皇帝、オーストリア大公、ハンガリー王、ボヘミア王

マリア・テレジアの長男。父フランツ1世の死後、母マリア・テレジアと共同統治をおこなう。

啓蒙思想の影響を受け、その急進的改革から「人民皇帝」「民衆王」などと呼ばれる。農奴解放令の発布や小学校を多数建設、ウィーン総合病院を開設したりなどの政策を行った。

映画「アマデウスモーツァルト」に出てくるあの皇帝ですひらめきちゅんおお

彼の棺が非常に質素なのは本人の希望なのだそうだ。

 

そして彼の棺の後ろにそびえ立つどでかくて豪華なサルコファガス。

 

これがマリア・テレジアと夫のフランツ1世の二つの棺を納めたサルコファガスなのです。

(マップの55,56番)

 

    

Maria Theresia (1717-1780)               Franz I. (1708-1765) 

 

カール6世に世継ぎの男子(1人生まれたものの1歳で夭逝)がいなかったために、長女だったマリア・テレジアがハプスブルク家の後継者となった。オーストリア系ハプスブルク家の男系の最後の君主であり、彼女の子供の代からは夫の家名のロートリンゲン(ロレーヌ)との2重姓でハプスブルク=ロートリンゲン家となる。

 

夫のフランツ・シュテファンとは当時の王族としては珍しい恋愛結婚(しかもフランツは初恋の人キャー)で、ふたりの間には前述のヨーゼフ2世、そしてレオポルト2世、マリー・アントワネットなど16人(男子5人、女子11人)が生まれた。

 

少女時代のマリア・テレジア 

とても可愛らしいラブラブ こんな女の子に出会ったら恋に落ちちゃうだろうな。

 

このふたりのサルコファガスは本当に豪華だった。

 

 

 

壁面にもとても細かい彫刻が施されている。戦いの場面や宮殿などの描写なのだろうか。

 

後面(女性の像の向こう側)の王冠の下にはふたりの碑文が書かれてある。

 

そしてこのサルコファガスのてっぺんには夫妻がお互い見つめ合っている姿が。

この地下室には所々窓があって太陽光が入るようになっている。ちょうど夫妻の上から日の光が射し込んでふたりの間の天使(?)が持つ輪のあたりからふたりを照らしているのがとても印象的だった。

このサルコファガスは彫刻家 バルタザール・フェルディナント・モル (Balthasar Ferdinand Moll) (1717-1785)の手によるものなのだそうだ。

 

このふたりのサルコファガスの後ろにも見事なサルコファガスが並んでいた。

どれも本当に見事な彫刻で目を奪われた。

写真奥から、

Maria Josepha (1739-1767); ヨーゼフ2世の2番目の妃 (マップの49番)

Maria Isabella (1741-1763); ヨーゼフ2世の最初の妃 (マップの50番)

→この写真真ん中のサルコファガスの足元をよく見ると棺が少し出っ張ったように見える部分がある。この小さいものは、Christine (1763)といい出産時に亡くなった彼女の娘の棺である(マップの51番)

彼女たちに成人した子供はなかったために、ヨーゼフ2世の死後、帝位は弟のレオポルト2世に渡ることになる。

写真手前の、少女が横たわっているものは、

Maria Theresia (1762-1770); ヨーゼフ2世と最初の妃との夭逝した娘

 

    

マリア・イザベラ(最初の妃)       マリア・ヨーゼファ(2番目の妃) 

 

ヨーゼフ2世は美しいマリア・イザベラに一目ぼれし、結婚後も彼女を熱愛した。イザベラは第2子(Christine)を妊娠中に天然痘にかかり早産、Christineは生後まもなく死亡し、イザベラもその数日後に亡くなる。 ヨーゼフ2世は又従妹にあたるヨーゼファと再婚したあともイザベラを愛し続けたため結婚生活はうまくいかなかった。ヨーゼファが結婚後2年後に急逝したときもヨーゼフ2世は葬式にも出席しなかったという。

 

このCryptには、今の写真の3人以外はほとんどがマリア・テレジアの子供たちが埋葬されている。マリア・テレジアは20年間で16人の子供を産んだが(男子5人、女子11人)、そのうち6人の子供は成人前に亡くなっている。このCryptには彼女の7人の子供たち(ヨーゼフ2世も含む)が埋葬されている。マリー・アントワネットももし国外脱出に成功していたならここで眠っていたのだろうか、などと色々と考えてしまった・・・

 

Maria Theresia Cryptに眠っている人々のリストは以下のとおりです。

 

このCryptを進路方向に従って奥に進むと次に Franz Cryptになります。

ここの写真は残念ながら撮っていないので、webからの写真を2枚お借りしました。

 

ここFranz Cryptの中央にはフランツ2世のサルコファガス(マップの57番)が、そしてそれを囲むようにフランツ2世の1番目~4番目の妃の4つの棺(マップの58-61番)が安置されている。

 

Franz II. (I.) (1768-1835) ; レオポルト2世の長男。(レオポルト2世はマリア・テレジアの次男でヨーゼフ2世の弟) 

 

フランツ2世 (1768-1835)  (この肖像画は1792年) 

 

最初のオーストリア皇帝としては、フランツ1世(在位:1804-1835)として即位。ナポレオン戦争に巻き込まれた後、1806年にフランツ2世は神聖ローマ皇帝の退位と帝国の解散を宣言、このときに神聖ローマ帝国は名実ともに消滅した。つまり彼は神聖ローマ帝国最後のローマ皇帝(在位;1792-1806)なのだ。

せっかくなので彼の4人の妻たちのことも。

 

フランツ2世の最初の妃;エリーザベト・ヴィルヘルミーネ (1767-1790) (マップの59番)

1788年にフランツ2世と結婚したが、2年後の1790年に長女ルドヴィカ・エリーザベトを出産した翌日に死去(娘のルドヴィカも生後16か月で夭逝)。義理の伯父のヨーゼフ2世は彼女を実の娘のように可愛がったそうだ。

 

フランツ2世の2番目の妃;マリア・テレジア・カロリーネ(マリア・テレジア・フォン・ナポリ=シシリア)(1772-1807) (マップの60番)

母親はマリー・アントワネットのすぐ上の姉のマリア・カロリーネ。フランツ2世とは従妹にあたる。1790年に結婚、夫との仲はよく、12人の子供を授かり11人が成長、そのうち1人は皇帝(フェルディナント1世)、第1子長女のマリア・ルイーゼはナポレオン1世の皇后となった。1807年に最初の妻と同様に産褥で死去。フランツ1世は悲嘆のあまり葬礼を欠席したという。

 

フランツ2世の3番目の妃:マリア・ルドヴィカ・フォン・エスターライヒ=エステ(1787-1816) (マップの58番)

マリア・テレジアの四男のフェルディナント大公の五女で、フランツ2世とは従兄にあたる。

1808年に結婚したが子供はなく、1816年に肺結核(乳癌という説もある)のため28歳で死去した。

 

フランツ2世の4番目の妃:カロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルン(1792-1873) (マップの61番)

1808年にヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世と結婚するも1815年に離縁、翌年フランツ2世と再婚した。子供には恵まれなかったが、気立てがよく慈善活動に積極的な皇后は国民から愛された。 尚、異母妹にはフランツ・ヨーゼフ1世の母であるゾフィーや、フランツ・ヨーゼフ1世の妻となるエリーザベト(シシィ)の母であるルドヴィカがいる。彼女はゾフィーとも姪のシシィとも非常に親しく、確執で知られる両者の橋渡しも務めたという。

 

以上、Franz Cryptに安置されている人々のリストは以下のとおりです。

 

 

長くなってますが汗あともうちょっとだけ汗

Franz Cryptをさらに奥に進むと、同じような小部屋があります。ここがFerdinand Cryptです。

 

Franz Cryptの中央にフランツ2世の棺があったように、ここの小部屋の中央にはフェルディナント1世のサルコファガスがある。

(この写真はwikipediaよりお借りしました)

 

 

Ferdinand I. (1793-1875) (マップの62番)

 

フェルディナント1世 (1793-1875) (肖像画は1847年のもの); 先ほど紹介したフランツ2世とその2番目の妃のマリア・テレジアの長男。姉はナポレオン1世の皇后になったマリア・ルイーザ。生まれつき病弱だった(てんかんともいわれる)が、1835年父帝の崩御によりオーストリア帝位についた。しかし実際は宰相クレメンス・フォン・メッテルニヒが実権を握っていた。1848年の3月革命でメッテルニヒを罷免したが革命はおさまらず退位を強いられた。子供はなかったため甥のフランツ・ヨーゼフ1世に帝位を譲った。病弱にもかかわらず退位後も27年間生存し82歳で亡くなった。

 

退位後のフェルディナント1世(1860年代)

 

フェルディナント1世のサルコファガスの横には皇后のマリア・アンナのものがあった。

Maria Anna von Savoyen (1803-1884) (マップの63番)

 

マリア・アンナ・ザヴォイエン (1803-1884)

1831年にフェルディナント1世と結婚。夫の虚弱な体質もあり子供は授からなかったが、80歳まで長生きした。

 

そしてこのcryptの壁(マップではA, B, C, Dと表記してある部分)にたくさんの人々が安置されていますが、主だった人物はいないのでリストのみ載せて、このcryptは終わります。

 

 

主だった人物の簡単な系図を今回も載せておきます。前回はマリア・テレジアの両親のカール6世とエリーザベト・クリスティーネまで載せたので、今回はマリア・テレジアから。

 

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マリア・テレジア(1717-80)             フランツ1世(1708-65)  (マップ55・56番)

             |  

             | 16人の子供が生まれた(棺がここにある者を主に記載) ↓

第1子:マリア・エリーザベト(1737-40) (マップ48番)

第3子:マリア・カロリーナ(1740-41) (マップ53番)

 

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第4子長男:ヨーゼフ2世(1741-90)      最初の妻;マリア・イザベラ(1741-63)    2番目の妻; マリア・ヨーゼファ(1739-67)

(マップ42番)                         (マップ50番)                    (マップ49番)

                   |                              |

  長女:マリア・テレジア(1762-70) (マップ52番)                              子供はなし

   次女:マリア・クリスティーネ(1763) (マップ51番)

 

第5子:マリア・クリスティーナ(ミミ)(1742-98) (マップ112番);弟レオポルト2世の三男カールを養子にした →次回記事

第7子次男:カール・ヨーゼフ(1745-61) (マップ44番)

第9子三男:レオポルト2世(下記)

第10子:マリア・カロリーナ(1748) (マップ43番)

第11子:ヨハンナ・ガブリエーラ(1750-62) (マップ45番)

第12子:マリア・ヨーゼファ(1751-67) (マップ46番)

第13子:マリア・カロリーナ(1752-1814) (マップ107番);ナポリ王フェルディナント4世と結婚

第14子四男:フェルディナント・カール(1754-1806) (マップ105番);オーストリア=エステ大公

第15子:マリー=アントワネット(1755-93) ;フランス王ルイ16世と結婚

第16子五男:マクシミリアン・フランツ(1756-1801) (マップ118番);ケルン大司教、ベートーヴェンのパトロンでもある

 

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第9子三男;レオポルト2世(1747-92)      マリア・ルドヴィカ(1745-92)   (マップ113・114番)→次回の記事

                  |

               | 16人の子供が生まれた(棺がここにある者のみ記載) ↓

第2子長男:フランツ2世(下記)

第5子三男:カール・ルドヴィヒ(1771-1847)(マップ122番);伯母マリア・クリスティーナ(ミミ)夫妻の養子となる →次回の記事

第6子四男:アレクサンダー・レオポルト(1772-95) (マップ64A)

第11子八男:アントン・ヴィクトール(1779-1835) (マップ103番)

第12子四女:マリア・アマーリア(1780-98) (マップ65A)

第15子十一男:ルートヴィヒ・ヨーゼフ(1784-1864) (マップ104番)

第16子十二男:ルドルフ・ヨハネス・ヨーゼフライナー(1788-1831) (マップ119番);ベートーヴェンのパトロンの「ルドルフ大公」のこと

 

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第2子長男:フランツ2世  マリア・テレジア・カロリーネ エリーザベト・ヴィルヘルミーネ マリア・ルドヴィカ カロリーネ・アウグステ

(1768-1835)        2番目の妻(1772-1807)           最初の妻(1767-90)    3番目の妻(1787-1816)   4番目の妻(1792-1873)

(マップ57番)            (マップ60番)          (マップ59番)       (マップ58番)       (マップ61番)

               |         (最初の妻との1歳で夭逝した子以外すべて2番目の妻との子供)

           | 12人の子供がうまれた(棺がここにあるものを記載) ↓

第1子長女:マリア・ルイーゼ(1791-1847) (マップ122番);フランス皇帝ナポレオン1世の皇后 →次回記事

第2子長男:フェルディナント1世(下記)

第3子次女:カロリーネ・レオポルディーネ(1794-95) (マップ95D)

第4子三女:カロリーネ・ルイーゼ(1795-99) (マップ87C)

第7子次男:ヨーゼフ・フランツ・レオポルト(1799-1807) (マップ69A)

第9子三男:フランツ・カール(下記)

第10子七女:マリア・アンナ(1804-58) (マップ82C)

第11子四男:ヨーハン・ネポムク・カール(1805-09) (マップ71A)

 

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第2子長男:フェルディナント1世(1793-1875) マリア・アンナ(1803-84)

(マップ62番)                       (マップ63番)    (ふたりの間に子供はなし)

 

花    花    花    花    花   (今回の記事はここまでで以降の系譜は次回)

 

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第9子三男:フランツ・カール(1802-78)   ゾフィー・フリーデリケ(1805-72)

(マップ135番)                      (マップ137番)

                   |

      フランツ・ヨーゼフ1世など四男一女 

 

 

次回は今回のcryptにはなかったレオポルト2世や孫のフランツ・カールとゾフィー大公妃とその子供たちを中心に書きます。つづく