今年も残りわずかになりました。年末、といえばお墓!
というわけで、9月に行ったウィーン旅行記のつづきです・・・
この日はアウガルテン、オーバーラーの次に「カプツィーナ教会(皇帝納棺所)」へ行った。
前回団体ツアーでウィーンに来た時も自由時間にここに来ようとしたのだが、見つけきれず断念したことがあり、今回再トライ。でもやっぱり見つけにくく、周辺を何周もウロウロ回ってしまった(ほんとは見つけやすいみたいなんですけどね
)
「カプツィーナ教会」(Kapuziner Kirche) 「カプツィーナ皇帝納棺所」(Kaisergruft)
カプツィーナ教会の地下に皇帝納棺所 (Kaisergruft) がある。
ここで「皇帝納棺所」についてちょっと説明・・・
創設者は神聖ローマ皇帝マティアスの皇后アンナで、夫妻の死後1632年に教会が、翌年の1633年にマティアス帝夫妻の亡骸がこの納棺所へ移された。納棺所は日本でいう納骨堂のようなもの。1633年以来、ハプスブルク家の歴代の12人の皇帝、18人の皇后など約150体の柩が安置されている。 ハプスブルク家の古い慣習で、ここに埋葬されている人々の心臓の多くはアウグスティーナ教会に、内臓はシュテファン寺院に納められている。
追加で「サルコファガス」という言葉についても前もって説明・・・
サルコファガス(sarcophagus)とは、元来エジプト石棺のことで、遺体もしくはもうひとつの棺を中におさめる入れ物のようなもののこと。
一般的にはサルコファガスには彫刻や装飾を施される。
ここカプツィーナ皇帝納棺所でみられる103のサルコファガスは石棺ではなく、金属製。
チケットは5.5€(ただし、ウィーンカードで割引あり4.5€)
チケットとともに館内のマップを書いた紙がもらえた。
同じ紙にはハプスブルク家、ハプスブルク=ロートリンゲン家の主だった人々の家系図、裏面にはここに埋葬されている人々のリストが載っている。
このリストにしたがって、入口から入って主だった人々の棺(大抵はその棺を入れたサルコファガス)を載せたいと思います。上のマップと比べながら見ていただくとわかると思います。
本文中の肖像画の写真は2枚目以降はすべてwikipediaよりお借りしました。
尚、棺(もしくはサルコファガス)の写真を載せるなんて不謹慎だというお声もあるかもしれません。私自身はサルコファガスがとても素晴らしい芸術作品だと思えるものが多かったこと、そして何よりも歴史を飛び越えて自分と歴代の方々と対面(正式には対面ではないけど)できたことに非常に感慨深かったこと、などから思い出をたどりたいと思いますが気味悪いと思われる方はここからはスルーしてください。
入口入ってすぐの左側の壁面の左右にに棺のアパートのようになったところがあった。
左右おのおの6つずつ (マップの3-8番と10-15番)。 そしてその中央には上の右写真のような彫刻が(マップの9番)。これはレオポルド1世の娘のMaria annna (1683-1754)の心臓がおさめられている。実際の亡骸はリスボンにあるようだ。
そして入口入ってまっすぐの奥にFounders cryptといって、この納棺所の創設者、神聖ローマ皇帝マティアスとアンナ皇后のサルコファガスが安置してある。
オーストリア・ハプスブルク家はカール5世の弟フェルディナント1世(1558-1564)に始まったといわれるが、このマティアスとアンナは共に彼の孫である(2人はいとこ同士)。
写真奥にちょこっと見えるのが下の写真の2つの棺。
神聖ローマ皇帝マティアス(Kaisers Matthias;1557-1619) (在位;1612-19)
皇妃アンナ・フォン・ティロル(Kaiserin Anna;1585-1618)
(マップの1,2番)
入口入って右に歩いて行くと通路の両側がLeopord cryptといって皇后などの棺が並んでいる。
この写真の右から3番目の棺を見てください。マップの写真でいうと20番の棺です。あとで知ったのだが、これは Margarita Teresa (1651-1673)のもの。
あのベラスケスが描いたあの有名な肖像画の女性です。
Margarita Teresa (1651-1673) (この肖像画は彼女が8歳の頃と言われている)
こちらはイーベレン画による1667年(16歳頃)の肖像画
彼女はスペイン王フェリペ4世の娘で、15歳で神聖ローマ皇帝レオポルド1世の最初の妻として輿入れした(ちなみにレオポルド1世は彼女の母方の叔父にあたる)。結婚生活は円満だったが結婚後6年で6人(!)の子供を出産、第6子を出産直後に21歳の若さで亡くなった。
ちなみに先ほどの写真でMargarita Teresa の右の棺(マップの19番)は、フェルディナント3世の3番目の皇后の Eleonora Gonzaga (1630-1686)の棺、そして一番右のやや豪華な棺は同じくフェルディナント3世の娘の Eleonora Maria (1653-1697)の棺(マップの18番)である。
Eleonora Gonzagaはイタリア、マントヴァを支配していたマントヴァ侯爵ゴンザーガ家の出身だが、彼女の生まれた年にマントヴァはオーストリア・ハプスブルク家に侵攻され、彼女の死後の1708年にゴンザーガ家は絶えている。
通路をはさんで対面にも皇后らの棺がある。
写真右から、Eleonore Magdalena (1655-1720) (マップの32番); レオポルド1世の3番目の妃でハプスブルク家最後の男系男子であるカール6世の母。のちにまた出てきます。
→先ほどの、1番目の妻であるMargarita Teresaの棺より豪華だなぁ・・・
真ん中は、Maria Magdalena (1689-1743)の棺(マップの31番)
左は、Leopold Johann (1716-1716)という1歳にも満たずに夭逝した王子の棺(マップの30番)。彼の父はカール6世(レオポルド1世と(右の棺の)エレオノーレ・マグダレーネの次男)、母はエリザベス・クリスティーヌ。彼が夭逝したあと女児しか誕生しなかったために、長女のマリア・テレジアを後継者にするしかなくなった。
エレオノーレ・マグダレーネ;レオポルト1世の3番目の妃でヨーゼフ1世とカール6世の母親。
(あとでまた出てきます。)
右から、Ferdinand IV. (1633-1654) (マップの29番);フェルディナンド3世(左の棺)の息子
真中が、Maria Antonia (1669-1692) (マップの28番)
左が、Ferdinand III. (1608-1657) (マップの27番);先ほどマップの18,19番で出てきたエレオノーラ・ゴンザーガの夫であり、エレオノーラ・マリアの父親。神聖ローマ皇帝。→棺が意外と質素で驚いた。
フェルディナント3世
これでLeopold Cryptは大体終わり。下がこのcryptに安置されているリストです。↓
Leopold Cryptをそのまま進んでいくと、Karl Cryptになる。ここには8つの棺があるが、歴史上も重要な人物が目白押し。
Amalie Wilhelmina (1673-1742)のサルコファガス(マップの34番);ヨーゼフ1世の妃
Joseph I. (1678-1711)のサルコファガス(マップの35番);神聖ローマ皇帝でハンガリー王、ボヘミア王。レオポルド1世と皇后エレオノーレ・マグダレーナの長男で、カール6世の兄。
ヨーゼフ1世 アマーリア・ヴィルヘルミーネ
そしてこの二人の間には3人の子供が生まれたが、唯一の男子であった王子は1歳で夭逝してしまう。 ↓
Leopold Joseph (1700-1701) (マップの33番);ヨーゼフ1世とアマーリア・ヴィルヘルミーナとの子供。
弟カール6世の息子であり唯一の男子であった、Leopold Johann(前述;マップ30番)も夭逝し、カール6世は長女のマリア・テレジアを継承者と定めたことより、ヨーゼフ1世の死後に結婚した2人の娘の夫などによってハプスブルク家領の相続権などをめぐり、のちに「オーストリア継承戦争」が勃発することになる。
Leopold I. (1640-1705) (マップの37番);で、これがヨーゼフ1世とカール6世の父親のレオポルト1世のサルコファガス。
彼の1番目の妃が前述した(ベラスケスの絵の)マルガリータ・テレサで、3番目の妃が前述のエレオノーレ・マグダレーネ。
レオポルト1世 エレオノーレ・マグダレーネ(3番目の妃)
レオポルト1世;神聖ローマ皇帝。
両親はフェルディナント3世(前述;マップ27番)と皇后のマリア・アンナ。実はこの母親のマリア・アンナ (1606-1646) の棺も Leopold Cryptにあった(マップの22番)のだが、気付かず写真も撮れていない。 彼女は出産時に亡くなったマリアという皇女と同じ棺に入っているそうだ。
レオポルト1世は兄のフェルディナント4世(前述;マップ29番)が21歳で亡くなったために王位を継承したが、本来は聖職者になるべく教養を身につけていたため学問や音楽を愛する文人皇帝だった。優れた作曲家でもあり”バロック大帝”とも呼ばれた。音楽家のパトロンとしても活躍し、ウィーンが音楽の都として発展する素地を作った人物でもある。
そしてふたりの息子(次男)であるカール6世とその皇后のサルコファガスがこちら。↓
Karl VI. (1685-1740) (マップの40番);レオポルト1世と3番目の妃のエレオノーレ・マグダレーネの次男でマリア・テレジアの父親。神聖ローマ皇帝。
Elisabeh Christine (1691-1750) (マップの36番);カール6世の皇后でマリア・テレジアの母親。
カール6世 エリーザベト・クリスティーネ
カール6世はハプスブルク家最後の男系男子であり、狭義には同家最後のローマ皇帝。
皇后のエリーザベト・クリスティーネは夫カール6世から「白き肌のリースル」と呼ばれ、愛された。しかし結婚後8年後に生まれた待望の男子レオポルト・ヨーハン(前述;マップ30番)は1歳にも満たず夭逝した。その後マリア・テレジアなど3人の女子をもうける。マリア・テレジアが後に男児(のちのヨーゼフ2世)を出産したときは大喜びしたという。
ここでKarl Cryptは終わり。ここに安置されている8人のリストは以下のとおりです。
とにかく Karl Cryptにあるサルコファガスの豪華さにただただ驚いた。立派な彫刻作品だと思う。
やたらと似たような人物名が出てきて全然わからないと思います(自分もそう)。
少しでもわかるように今回の主だった人物の系図ぽいのを書いておきます。
皇帝マティアス(1557-1619) 皇后アンナ(1585-1618) ;この納棺所の創設者
(マップの2番と1番)
フェルディナント3世(1608-57) マリア・アンナ(1606-46) マリア・レオポルディーネ(1632-49) エレオノーラ・ゴンザーガ(1630-86)
(マップ27番) 最初の妻(マップ22番) 2番目の妻(マップ21番) 3番目の妻(マップ19番)
長男 ; フェルディナント4世 (1633-54) エレオノーレ・マリア(1653-97)
(マップ29番) (マップ18番)
次男;レオポルト1世 エレオノーレ・マグダレーネ クラウディア・フェリーツィタス マルガリータ・テレサ
(1640-1705) (1655-1720) (1653-76) (1651-73)
(マップ37番) (3番目の妻;マップ32番) (2番目の妻;マップ24番) (最初の妻; マップ20番)
マリア・アンナ・ゾフィー(1674) マリア・アントニア(1669-92)
(マップ3番) (マップ28番)
マリア・ヨーゼファ(1675-76)(マップ8番)
第1子長男;ヨーゼフ1世(1678-1711) アマーリア・ヴィルヘルミーネ
(マップ35番) (マップ34番)
レオポルト・ヨーゼフ(1700-1701) (マップ33番)
他2女
第2子:クリスティーネ(1679) (マップ13番)
第3子:マリア・エリザーベト(1680-1741)(マップ38番)
第4子:レオポルト・ヨーゼフ(1682-84)(マップ26番)
第5子:マリア・アンナ・ヨーゼファ(1683-1754) (マップ9番)
第6子:マリア・テレジア(1684-96) (マップ25番)
第8子:マリア・ヨーゼファ(1687-1703) (マップ16番)
第9子:マリア・マグダレーナ・ヨーゼファ(1689-1743) (マップ31番)
第10子:マリア・マルガレーテ(1690-1691) (マップ10番)
第7子次男;カール6世(1685-1740) エリザベート・クリスティーネ(1691-1750)
(マップ40番) (マップ36番)
長男;レオポルト・ヨーハン(1716)(マップ30番)
長女;マリア・テレジア(1717-80) (マップ56番)
次女:マリア・アンナ (1718-44) (マップ39番)
三女:マリア・アマーリア(1724-30) (マップ24番)
うまいこと書けずまだまだわかりにくいと思いますがすみません
このふたつのcryptには夫婦同士やその子供も順序良く並んでいなかったり、古い年代順には並んでいないのでそのあたりがわかりにくかったです。
マリア・テレジア以降は次回書きます。