夏が終わり、秋が始まる・・

 

そういう季節の変化

 

今回、8月16日~今日までが、第六感(?)的な感触として

 

深い谷底

 

のような急峻なVの字を描き、

 

一気に景色が変化したような妙な疾走感が

あった。

 

しかし体感としては、外の景色はどんより暗く寒い日が続き

雨にスポイルされ、素早く移り変わった実感はなかった。

むしろ停滞感と呼べるもの。

 

でも実際は、色々なことがどんどん「終わっていった」

 

マクロでは権力の交代、疫病の数値の変化、ワクの無効化

 

ミクロでは近隣の知人や関係者に起こる終わりエピソードの重なり。

 

今は階段の踊り場。

黄昏の庭

逢魔が時

 

自分たちは残照を見ているのか、夜明けの光を感じているのか。

 

恐らく、これから始まる世界は、

自分の選択次第で、夜明けにも夕暮れにもでき、

光でも闇でもあるのだろう。

 

天国に住んでいると思いこんで実は地獄だったとか。

外から見れば一目瞭然だが、そこに住んでいる人は

天国と信じて疑わない。

 

カオスの時

 

何を軸にして、何を大切にして生きてきたか。

その蓄積だけが、今回の混沌を生き延びる羅針となる。

 

とにかく一日一回は何かブログに書くを毎日継続して

 

10日で3カ月目?

 

前に書いたようにそこまで書いたら、一度毎日書くのは

やめて小休止。

 

今日を含めてあと4回。

 

文章は下手の横好きでなんとか書くが、

 

問題はネタなんだよね。

 

雑記ブログは、なんでもありだが

テーマあったほうが繋ぎやすいってのはあるかもね。

 

何も浮かばない日が一番辛い(笑)

まさに今日です。

 

こんな記事でもokにしていてなんですが、

「よく続けたね」と自己労いできそうな日まで

 

あと少し・・

 

こんな素敵なお店に入った

 

こんな美味しいもの食べた

 

こんな仲間たちに囲まれ幸せな宴をしている私

 

 

こうした一場面をインスタとかFBにUPしたい時って

自分もありました。そして他人のそれを羨ましいと思う

ことも。

 

東京来て、収入も増えて、そういう面白い人たちとの

出会いとかもあって、最初の頃、自分も似たようなものを

UPしていた時もあるんだけど、途中からそういうことが

空しくなってきた時からUPしなくなった。

 

あるいは、一部を切り取って良く見せても、

全体を見ると、「嘘」なのが自分でもわかった。

 

絵ずらはいいけど実は不味かった料理。

集まったはいいけど、色々裏で問題のある人間関係。

遊園地でもアミューズメントでもなんでもそこに行くまで

いろいろ面倒くさかったり、暑くて死にそうだったり、

写真の裏には泥臭いリアルが地続きで。

 

で、そうした目で見ると、他の方の一部を切り取った

リア充アピールも、

いやぁ、言ってないだけで色々あったでしょ?

と読めるようになり、羨ましいものではなくなってきた。

 

伝統的な大金持ち、全世界の1割の富裕層は、

みんなが羨むようなことは空気を吸うぐらい普通だから

SNSなんかで改めてアピールしないのだという。

 

あへてやることは、何かの代償行為なのだろうと

思える。私自身が私自身を認められないので、

みんな認めて!と表明している場合があると思う。

 

恋仲、夫婦仲を自慢するときは=おそらくうまくいっていない

 

食べた料理をUPする時は=食べる前の写真なのでその後どうだったか不明(笑)

 

こんな場所に行きました=実はそんなんでもなかった。前後が最悪だった。

 

 

ひねくれた見方ですが、本当にそれが空気を吸うぐらい

普通でうまく行っているならアピールしたいと思えなく

なるよなぁというのがどうしてもあって、

みんなの羨望をエネルギーとして受け取りたいという

気持ちがあるぐらいに何か欠落しているんじゃないか

って最近は思えてしまう。

身についていない時こそ自慢したい時と。

 

 

本人も満たされている上で、UPされているものは

「自分が」ではなく、「何が」に特化していて、違いは

すぐわかる。

ところどころに「自分が」が絡むから嫌味臭くなる。

 

「何が」の場合、そのUPした人、見る人が同列に

一緒にそれを楽しむような形になる。

「そこにいった私」じゃなくて、「そこにあった何か」

の「何」を伝えたくなると。

 

なので、インスタ見て鬱になるとか、本当に人生の

無駄だと思う。それエネルギーを吸収されてるんだよと。