あの時はどうだったんだっけ?
「何もかも嫌になって発作的に」だっけ?
あの時はさ、
あの場所に愛する人が居た。
だから残ることも出来た(はず)
今は?
俺をここに引っ張ってくれた人達が居る。
写真を撮ること以外で初めて俺を評価してくれた。感謝してもしきれない。
でもさ、
筋を通して頭を下げれば解ってくれる(と思う)
俺の状況を薄々は知ってるだろうし。
そうだ。
あの頃『StingのFRAGILE』が弾きたくてMartinのナイロン買ったんだ。
ボサノヴァばかりで弾けてない。
Albert King(フライングVのことね)が来てからナイロンどころかD-28も触らず56GTばかり。Albertは師匠のとこ行く時専用で、家では56GT
ギター1本くらい手放すことになるかもな。
でも先ず、使ってないCanonを売っ払おう。
俺のギターは一期一会。
手放したら二度と手に入らない。
カメラはお金払えば新品が手に入る。
あの頃、
いい時間が毎日続いて、いつの間にかその上に胡座をかいた。
自分からそれをぶち壊して良くない時期に入った。
じたばたしてわずかな経験のある仕事に就いて、気が付けば評価を頂き『日本最後の療養施設』に携わることが出来た。
いい仲間いい上司にも恵まれて、また胡座をかいたか。
良くない時期が始まる。
けれど、
少なくとも今、今日は、
娘が居てくれてる。
いつもの公園で霧雨に煙る港を眺めながら思った。
こんな扱いされてまでここに居なきゃいけない理由って、何かあったっけ?
今日、
退職願を出した。
受理されれば・・・されるだろう。
退職届(コーム員は辞表か)を出して、
おしまい。