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こらそん(の中の人)のぼやき部屋

介護保険事業を行なっている株式会社えんカウンターのマスコットキャラクターである『こらそん』が色々な事を『ぼやき』ます。
その時、そのタイミングで思った事を、ここに残しておきたいなと思います。

要介護認定の一次判定

ケアマネジメント・オンラインにてこのようなアンケートが行なわれた。

そもそもこの調査、認定調査員のさじ加減で大きく変わってしまうこと自体おかしい話なのである。

ある調査員が「スタスタと歩ける人と、大変な思いをしながら4つ這いで移動している人は、同じ『できる』の判定になります。」と堂々と言っていたのを聞いて愕然とした。


俺は「では、トイレに行けなくて仕方なくオムツに排泄する人と、トイレに行くのが面倒でオムツに排泄している人も同じ評価ですか?」と聞くと、調査員は「そうなります。」と無表情で返答した。


全国一律で同じ評価ができるよう作られた項目なのだろうが、これは本当に全国一律この考えなのか?

少なくとも俺の携わる保険者が委託している認定調査センター(社会福祉協議会が運営)はそう言っているぞ?

しかも堂々と。

堂々と話してるという事はその意見にある程度自信があるという事で、それは組織からそのように教育されているという事なんだろうと思う。


無理してでも頑張って人の手を借りず努力している人と、やりたくないからだらけて人に手伝ってもらっている人。

手伝ってもらう方が介護時間に換算される。

これでは頑張り損じゃないのか?


そんな事をずっと思ってきた。

だから一次判定を見直すというなら、それはやってみても良いんじゃないかと思う。


でも、俺はそもそも介護保険被保険者証の『更新』自体必要ないと思ってる。

状態の変化があった場合に『区分変更申請』を行なうだけで良いんじゃないか?要支援認定の場合、新規で要介護認定申請を行えば良いんじゃないか?

これにより主治医意見書や認定調査員にかかるコストも減らせるだろう。


これを見直すかどうかを検討するよりも、もっと早急に変えなきゃならん事は沢山あるだろう。


先日、ニュースに『認知症女性2人に性的暴行疑い 容疑の施設職員「介護の一環で」』という記事が掲載されていた。

 

こういう事件が起こる度に気分が悪くなる。

ここには『施設職員』とかかれているが、厳密にはグループホーム職員だ。

高齢者グループホームにご入居されているご利用者という事は、認知症を患っている方である。

短期記憶の消失があり、もしかすると身体的な介助も必要な方だったのかも知れない。

 

抵抗できずご自身で訴える事もできない人に対して暴行を行なったという事なのだ。

そして、その最悪な記憶は認知症によって消し去られる。

悪質極まりない事件だと思う。

別に正義ぶるつもりもないし、犯罪行為に綺麗も汚いもない。

だが、あまり使いたくない言葉ではあるが『弱者』に対するこのような行為は情状酌量の余地もないと思う。

 

恋愛感情やその対象は人それぞれと思うし、54歳の男性が80代の女性を好きになる事自体はあり得る事なのだろうと思う。

だが今回の事件は悪質極まりないし、恋愛感情とかの話でもないだろう。

 

高齢者のグループホームは小規模の環境にて馴染みの関係を作り、大規模施設よりも密な関りが持てる。

顔なじみの人達が個々の残存機能を活かし、生活する中で家事などを職員と一緒に行なう事で、認知症をいう恐ろしい病気を患っている方でも安心感をもって生活が営めるという利点がある。

当然そこで働く職員も認知症専門のケアを提供できるよう研修などで学んでおり、ご本人の物忘れに対して不安を与えず穏やかに過ごしてもらえるよう毎日関わっている場所なのだ。

みんなで助け合い、自信をもって生活を続けられる場所と言っても良いと思う。

 

しかし、その中にこんな犯罪を犯す奴が混ざっていたとなると、ご利用者のみならず、そこで働く職員もたまったものではない。

真面目に働いている人だって沢山いるはずなのに。

 

介護の一環として行なう性的暴行なんてあるはずもない。

被害者である女性達とそのご家族には深い傷が残ってしまっただろう。

 

このような夜勤帯に行なわれる犯罪行為には『他者の目に入らない』という環境を悪用したものが挙げられる。

これは施設やグループホーム等に限った話ではない。

我々介護支援専門員を含める訪問系サービスだって、ご利用者宅訪問時、一対一の面談になる事も多いのだ。

 

20年ほど前、新人介護支援専門員だった俺に色々と関わってくれていた先輩が、ご利用者のキャッシュカードを勝手に持ち去り、ATMから50万円を引き出していた事が発覚し、逮捕された。

現金を引き出した数か月後に、別居していたご家族が請求書に気付き警察に連絡。

ATMの監視カメラを確認すると担当の介護支援専門員がお金を引き出していた映像が残っていたらしい。

ご利用者は認知症を患っており、お一人暮らしだった。

 

今も昔も変わらず、このような悪質な犯罪が無くならないと言う事だ。

ご利用者と一対一になる『危険性』を組織としてどのように注視していくか。

個人のプロ意識に委ねるだけではダメなのはわかっているのに、未だにベストな対策が見つからない…。

 

ここのグループホームだって、まさかこんな事をするなんて思わないで面接をして採用をしたんだと思う。

面接で人の内面を見透かす事は難しいのだ。

 

職員の質の向上。

今も昔もこのテーマを突き詰める事はとても大切だと強く感じる日となった。

 

うちの従業員さんの息子さんの友人が、お亡くなりになっていたらしい。

しかも、結構前に。自ら…だ。

地元に戻ってきた時には必ず会うくらい仲が良く、しばらく連絡無かったからLINEを入れたけど返信が無かった。

そして、言伝で亡くなった事を知った。

 

社会人になって数年経っていた。

何が原因なのかハッキリとした事は未だわかっていないらしいが、会う度にご自宅にも遊びに来ていたらしく、従業員さんもショックを受けている。

 

こういう事って、結構真面目な人に多いのかな…と思っている。

真面目に仕事をやって、周りの期待に応え、自分から逃げる事をしない人。

もちろん、それ自体はとても素晴らしい事。

俺なんかより数倍素晴らしい。

でもね、自らその選択を選ぶ前に、逃げても良いんよ…。

逃げる事は全く悪い事じゃないんよ…。

 

ドラゴンクエストを始めとするロールプレイングゲームでも、コマンドの中に『にげる』が必ずある。

今のレベルで勝てそうもない敵に遭遇したら、選択肢として『にげる』を選べばいいだけなのだ。

逃げたってゲームオーバーじゃない。

レベルを上げて再挑戦できるんだから。

(人生をゲームに例えるのは適切じゃないのかも知れないが、一番わかり易いのではないかと思った次第です。)

 

こうやって若い人が亡くなっていく事は本当に痛ましく、悔しい事なのだ。

一昔前だと『根性論』が根強くあり、あくまでも個人の強さを求める風潮があった。

逃げる事は許されず、あきらめる事も認めない。

ただただ真っすぐ向かいっていき、倒れる事は本望でむしろ美学だった。

でもこれって、言い方悪いけど『洗脳』だと思うんだよな。

今ほど報道されなかっただけで、その『悪しき風習』の犠牲者は多かったのだと思うよ。

 

これは組織としても真摯に受け止めなければならない。

その人が『弱いから』で終わらせるのではなく、追い詰めてしまっている環境を正さなければならないと思う。

もちろんそれは従業員の言う事を全て飲むという話ではなく、きちんと話し合いができる環境なのかどうか、定期的に振り返らなければならない。

そして、その人が『弱い』と感じているなら、レベルアップを組織としてどこまで支援できるのか。

従業員のアセスメントを定期的に行ないながら、その人の能力を的確に発揮できる環境を作る。

これが組織に求められている事なのかなと思っている。

 

今は色々な方法で『世論』を知る事ができる。

それ故に昔に比べて、自分の考えが正しいのか間違っているのかを自分で判断できる。

個人も組織も、定期的に頭の中をアップデートしていかなければならないのだ。

 

個人が自ら命を絶とうと思う前に、気軽に心を打ち明けられる仲間がいる組織を作りたいと思う。

 

いや、作るんだ。

 

先日、霊感の遺伝について書かせてもらった。
だがそう感じる現象も、確かにあるのだ。

俺には息子がいる。
当時、集合住宅の5階に住んでいた時の話だ。
息子は幼稚園に行く前だった気がする。
ある日、夕食を食べていた時に息子が「ちず。」と言ってベランダを指さした。
「地図?」と聞き返すと「うん。ちずあるしょ。」と返してくる。
地図なんて無いんだけどな…と思ったが、まだ言葉を覚え始めの子どもだし、その時は話を合わせて終わっていた。

それからも、息子は忘れた頃に「ちず」と言って色々な所を指さすのだ。

覚えたての言葉を使いたい頃なのかなと思い「そーだねぇ」と言ってあまり気にもしてなかった。

ある日、息子と外に出かけていた時、道路に掲示してあった地図を見つけた。


俺「あれ、地図あったよ。」

息子「ちず、ないしょ。」


やはり、息子の言う『ちず』は『地図』ではないのだ。

この辺りから、俺は変な使命感というか、息子の『ちず』が何なのかどうしても知りたくなった。

事ある毎に「ちず、どこ?」と息子に聞くようになった。

息子も満更ではなかったのか、ニコニコしながら『ちず』を探し始める。

しかし「ちず、ない。」という言葉が続く。


それから数日経ったある日。

車の助手席、チャイルドシートに座る息子がいきなり「ちず!!パパ、ちず!!」と言って左側を見た。

俺もすかさず左側を見た。

そこには何も無い道。

髪の長い女性が歩いていただけだった。


まさかとは思ったが、この女性は別に俺にしか見えていないモノではない。

他の歩行者もぶつからないように避けたりしている所を見ると、周りの人もこの女性を認識している。

息子にもう一度確認しようとしたが、その時息子はもう別の事に興味を示しており、確認はできなかった。


その後、ショッピングモールのフードコートで食事。

『ちず』が人物を指すものなのかを確認する為、俺は息子に色々と聞いていった。

結果、わかったことがある。

『ちず』は女性であり、髪が胸部よりも長く下に伸びている人物なのだ。

道を歩きながら『ちず』に該当しそうな人物を見つけたら「あれはちず?」と聞くと、息子は「ちず!!」と返答する。

もう百発百中でわかるようになった。


ここで確信する。

あの日、5階のベランダに居たのは、髪の長い女性だったのだと。


そこからまた数日経ったある日。

夕食時にまた息子が「ちず」と言ってベランダを指した。

居るのだ、髪の長い女性が。

だが、俺には見えない。

嫌な感じもしない。

しかし、息子は食事の手を止めてベランダをずっと見ている。


異様な空気が流れた。

いつもなら、周りに見えないモノを俺だけが見える。

今回は逆で、俺には見えないモノが息子に見えている。

どうしてあげる事もできないという事が、これ程までに悔しいものだと思わなかった。

幸い、息子は『ちず』を怖がっている感じがしなかった。

数分後、息子はベランダを見る事をやめた。


俺は「ちずは?」と息子に聞く。

息子「ちず、ない。」と返答。


居なくなったのだろう。


そんな事が定期的に続いたが、息子が幼稚園に入園した辺りから『ちず』という言葉は出なくなった。

息子が『ちず』という言葉を『地図』と認識してしまったからだろうか。

それとも、息子も俺と同じく見える時と見えない時の周期があるのかも知れない。


息子はこの後も『他者に見えないモノ』を見る事になる訳だが、

それはまた別の時に…。



少し前に『昔の思い出』という記事を書かせてもらった。

その記事では『幽霊』について話しているのだが、今回は霊感は遺伝するのかという疑問。

 

繰り返し言うが、俺は幽霊や心霊現象については半信半疑である。

科学で証明できてしまう事や、思い込みや自己暗示によって心霊現象と勘違いしてしまう事もあるだろう。

しかし、科学で証明できない事も多々あるのだ。

だから科学を批判する事も無ければ霊能者を批判する訳でもない。

 

俺が物心ついた時、親族の最高齢者は両家の祖父母だった。

その上の親族は既に他界していた為、今回の話の肝である霊感について知っているのは祖父母までという事になる。

 

両家祖父母の中でも霊感が特に強いと言われていたのは母方の祖父だった。

旅行中に古い友人に会いしばらく話していたが、旅行から帰った時にはその友人が亡くなったという知らせが入り、祖父と話していた時間帯に息を引き取ったという話や、それこそ小学校低学年には夜も眠れなくなる話が沢山あり、お盆時期によく聞かされたものだ。

 

その祖父はお盆の墓参り時、何故か墓の前で集合写真を撮る人だった。

今にして思えば、親族が集合するのはお盆位なので、うれしくて毎年撮っていたんだと思う。

その中の1枚。

俺が生まれる前の写真に、それは写っていた。

墓の前に集合して写り込む若かりし父母や親族。その足元に知らない人の顔が2つある。また、並んで写る親族の頭の上に浮かぶ襟元から上しかない老婆の顔。

この老婆の顔、俺は見覚えがあるのだ。

 

お盆に祖父母宅に行き一番最初に行く場所。

仏壇の上に飾られている女性の顔。

俺から見て曾祖母にあたる人の顔なのだ。

仏壇とは違う表情で写真に写る、会った事もない曾祖母。

「ひいばあちゃん?」と祖父に聞くと「そうだ」と満面の笑みで返してくれた祖父。

子どもながらに祖父が笑ってくれた事がとても嬉しかった。

しかし、笑っていたのは祖父だけで、周りにいた母や伯父伯母の表情は凍り付いていた。

 

そう、周りにはこれが見えていないのだ。

 

伯母が「言われてみれば…これが襟?そこしか見えないわ。」と言うくらいで、その他は誰も見えていなかった。

通常なら『子どもの言う事だから、嘘でも言ってるんじゃないか』という意見もあっただろう。だが、今回は疑う余地が無かったのだと思う。

何故なら、周りに見えていないものを俺が言い当て、それを祖父が正解だと言っているから。

俺と祖父にしか見えていない。伯母が辛うじて襟だけ見えている状態。

 

当時はデジタルカメラなんてものは無かったし、それを加工するパソコンソフトだって無かった。

少なくとも一般家庭には絶対になかった。

フィルムのネガを写真屋に持ち込み、一週間後くらいに現像された写真が手に入る。

そんな時代に撮られた写真。

ましてや見える人と見えない人がいるという事実。

 

でもね…じいちゃん。

その写真には、ひいばあちゃん以外にも、あと2人。

首しか写っていない女の人が見えているんだよ…。

ひとりは無表情で、もう一人はカメラ目線で笑っているんだ。

じいちゃんは「これはどこどこの誰で…」と懐かしそうに話してくれたけどさ。

 

俺には、全く知らない人の生首が足元に浮遊しているようにしか見えない…。

 

恐かった…。

今でも瞼に焼き付いて離れない。

あの笑顔が。