こらそん(の中の人)のぼやき部屋 -3ページ目

こらそん(の中の人)のぼやき部屋

介護保険事業を行なっている株式会社えんカウンターのマスコットキャラクターである『こらそん』が色々な事を『ぼやき』ます。
その時、そのタイミングで思った事を、ここに残しておきたいなと思います。

俺は昔から変な所が気になる。

 

信号機は何故、赤が右側なのか。上下の場合は何故、赤が上なのか。

マンホールの蓋が円い理由は何なのか。

他の人がどうでもいいと思うような細かい所や、素通りしてしまうような変化がとても気になる。

だから俺は周りから『面倒くさい奴』と思われてしまう。

それは…わかる。

俺みたいな奴が周りにいると面倒だろうとは思う。

でも、気になるのはどうしようもない。

だから変えるつもりもない。

 

介護保険の業界でもそれはあって、どうしても気になってモヤモヤしてしまう事がある。

そのモヤモヤをずっと内に秘めておくと後悔するので、結局言葉にしてしまう。

 

①訪問診療と往診

訪問診療の事を往診と言うケアマネジャーは以外にも多い。

この2つは同じようにご自宅に訪問して診察を行なうのだが、訪問診療は定期的に予定された診療であり、往診は緊急時に臨時で訪問するものを言う。

昔のテレビとかであった、田舎のおじいちゃんが自宅で苦しんでいて、そこに駆け付けた医者が診察をしているのは往診なのだ。

ご利用者やご家族がわからないのは仕方がない。ただ、この業界でプロとして仕事をしている人が訪問診療の事を「今日、往診の先生が来るからね」とご利用者に伝えているのを見ると『プロじゃねーな』と感じてしまう。

この場合は、そもそも敬語使えという話になるが。

 

②デイサービスとデイケア

通所介護と通所リハビリ、昨今これを間違うケアマネジャーは流石にいないだろうと思う。

これは完全に俺の拘りというか、気にしなくていい部分を気にしてしまっている悪い所なのだが。

『短時間リハビリデイ』と送迎車に印刷してある通所介護。

『いやいや、それリハビリじゃなくて機能訓練だから…。』と突っ込みたくなってしまうのだ。

それを言うと「あそこはリハビリの専門職がいるから…」という返答が来るのだが、リハビリは医師の指示のもと行なうものであって、それは『専門職が行なう個別機能訓練』なのだ。

ご利用者にわかり易く記載しているであろう事は重々理解している。その方が見る側にとってはわかり易いだろうし、集客もできると思う。

これに関しては、俺の変な拘りなのだろうね…。

 

我ながら、変な人間である。

言いたい事はまだまだあるが、この辺でやめておこうと思う。

 

 

先日、非現実かもしれない内容のブログ載せたわけだが、今回もそんな感じの話。

 

運の良い人、悪い人、それぞれいると思うし、それを向上させる為に験を担ぐなんて風習もあったりする。

神社でお参りをするとか、厄払いをする等の行動は多くの人が行なっているのではないだろうか。

俺もそれを否定しているわけではないし、むしろ神社なんかは毎年行っているくらいだ。

 

この会社を立ち上げた時期、後から気が付いたのだが俺は俗にいう『厄年』だったらしい。しかも前厄。

立ち上げてから3年間はとても辛い事が沢山あった。

もちろんゼロから始めたものだから楽なわけはない。

ある程度覚悟はしていたものの、いつも起こらない不運まで舞い込んで来るようになった。

 

そんな時、あるご利用者に言われた。

「あんた最近元気ないね。」

流石に表情に出ていたのかもしれない。反省だ。

言い訳する事もできず、滅多にしない自分の話をご利用者に聞いてもらった。

すると、そのご利用者は「厄払っておいで。その方が良い。」と言った。

その方は息子様がいて、当時の俺と同じくらいの歳でお亡くなりになっていた。

それもあって、息子様と同年代になった俺の事を気にかけていてくれたのかも知れない。

いつもは神頼みなんてしない俺だが、その時はその方の意見を受け入れる事にした。


北海道神宮


自身の厄払い、会社の祈祷。

初めての経験だった。

その後、徐々に舞い込んで来る不運は少なくなってきたような気持になった。

その方の家に行く度「最近変な事は無いかい?」と聞かれご心配をかけてしまったが、良い返答ができるくらいには回復したような気がしたんだ。

 

正直言って、今でも俺はこれが厄払いや祈祷のご利益だと信じている訳ではない。

でも、あれがきっかけで『何か』が変わったという事は事実なのだ。

 

そう、運の流れを変えるのは、自分自身の行動と気持ちであり、それを行なうきっかけ、心のスイッチが必要なんじゃないかと思うようになった。

俺の場合はご利用者に気付かれてしまった事でアドバイスをいただいた神社参拝がきっかけになった気がする。

 

それからは毎年祈祷は行なうようにした。

その他、運気を吸い取られると感じた人との関りを断つようにしたり、ネガティブな考えを持たず、また、ネガティブな発言ばかりする人の近くに寄らないようにしたりと、とにかく『負のエネルギー』を自分で作らないように努めている。

 

長々と書いてしまったが、運を引き寄せるのは自分自身の考え方や行動なんじゃないかという事。

失敗しても次に活かせる事なら、笑って受け入れてやろうと思えるようになった。

 

あの時、俺の表情変化に気づいてくれたご利用者は、数年前に息を引き取られてしまった。

しかし、今でも毎年の祈祷で思い出す。

 

きっかけを下さってありがとうございます。

感謝!

 

 

皆さんは、幽霊という存在を信じるだろうか。

 

俺は定期的に、他の人が見えていないモノを見る事がある。

それは前兆もなく突然見えて、ある日突然見えなくなるのだ。

でも、俺自身それが幽霊だと確信はしていない。

だから今でも半信半疑なのだが。

ただ、それが見える時期は妙に勘が当たったり(今はやらなくなったが)パチンコで大勝ちしたりするんだ。

 

それが見える期間、いつも思い出す事がある。

 

俺がまだ小学校低学年の時の話だ。

俺は母親に連れられて伯母の家に行った。

大人の話にガキが入れないのは当たり前。だからいつも「外で遊んで来なさい」と言われ厄介払いされるのだ。

今にして思えば伯母の家は徒歩で行ける距離じゃない。

よくわからない土地で遊んで来いと外に放る親。

今では考えられないかもしれないが、昭和はそんな時代だったのかもしれない。

 

伯母の家は少し歩くと自然が沢山ある土地だった。

ガキの頃からアウトドアが好きだった俺としては、時間が足りないくらい冒険できるフィールドが目の前に広がっている。

しかも親の監視は全くない。

木を見たらクワガタがいて、川を見たらドジョウやニホンザリガニがいる。

草むらにはキリギリスやトノサマバッタがウジャウジャいるし、当時は訳がわからなかった鳥(後にキジバトだとわかった)の鳴き声が森の中に響きわたる。

そんな事が何回かあって、いつも伯母の家に行くのが楽しみだった。

そのうち土地勘も出てきて、冒険フィールドが広がっていく。

 

そんなある日、その冒険フィールドに見た事のない丸太で作られた階段を発見した。

その階段は長く下に続いている。

上を見ると木々が覆っていて、まるで森のトンネルのようだった。

子どもの感覚で階段は結構長く、降りきった所は獣道が左右に別れていた。

帰る事も計算して、伯母の家がある(と思っていた)方向、左の道を選び歩き始める。

 

 

 

 

不思議な道だった。

陽の光は殆どないが、景色は鮮明にみえる。

その道にはバラバラになった昆虫の死骸が沢山ばら撒かれているのだ。

『このミヤマクワガタ、生きてたらかなり大きかったハズ』

『生きてるクワガタを探そう』

そう考えてどんどん進む。

 

気付いたら、いつの間にか、後ろに同じくらいの歳の男の子がいた。

俺が昆虫の死骸を拾うと、そいつも真似して拾う。

俺が木登りをすると、そいつは下からずっと眺めてるんだ。

不思議と生きてる生き物は捕れなかった。

でも、そいつと話しながらの探検は楽しかった。

そいつも話しながらずっと笑ってた。

 

ふと、かなり時間が経っている事に気付く俺。

さすがにもう戻らないと親に叱られる。

だから、今日はここまでにして帰ろうと言った。

そいつは「明日も遊べる?」と聞いてきた。

俺はこの土地の人じゃない、けど、どうしてもそれを言えなかった。

明日も伯母の家に来る事はできない。

明日は遊べないという事を伝えると、そいつが悲しむんじゃないかと思ったんだ。

 

俺は言った。

「うん…遊べるよ。」

 

そいつは

「じゃ、ここで待ってるね。」

と言った。

 

子どもながらに、物凄い罪悪感があった。

どうやって帰ってきたかも覚えていないくらい、申し訳なさがあった。

次の日、自分の家で『あいつは今日も待っているんだろうか』と思い続けた。

 

それから何十年も経った今にして思う。

あいつ、いつから一緒にいたんだろう…と。

あいつはこの世の存在だったのだろうか…と。

そもそも、あの階段は本当にあったのか?

 

あいつが幽霊だった場合、あのまま帰らなかったらどうなっていたのか。

あいつが人間だった場合、次の日もあそこで俺を待ち続け、来る事の無い俺に失望したのか。

 

どちらにしても、俺には苦い思い出である。

 

 

 

当事業所で担当をさせていただいている要介護1認定のご利用者。

現在、訪問看護を利用している。

既往歴にうつ病あり、体調管理以外でも日々不安を感じてしまいがち。

また、この方の性格なのか、不安を感じても他者に打ち明けられない一面もあり、信頼関係を築くにも時間がかかった。

 

そんな中、先日夜間に訪問看護より連絡あり。

ご本人から胸が苦しい等体調不良の訴えあり、症状を確認してご本人が通院している病院へ連絡した。

が、病院の対応は1週間前位の受診時、血液検査で問題は無かった為、様子を見てくださいという内容だったらしい。

看護師としては医師がそのような判断をしている状況で、それを無視して救急搬送を行なうという事にはならなかったのだろう。

その旨をご本人へ伝えると、ご本人は「苦しいから連絡をしているのに…」という思いを吐露し電話を切ってしまった。

心配した看護師からLINEworksにて居宅介護支援事業所へ連絡。

こちらからご本人へ連絡しても、電話には出なかった。

どうしようか迷っていた所、ご本人から折り返し連絡あり。

体調確認などを行ないながらお話を聞くと、胸の苦しさはあるが電話中に呼吸困難などは見られず。

ご本人としては苦しさを訴えているのに、病院の宿直医師は血液検査のデータでしか判断しなかった事を不服としており、大きな不安を感じていた。

しばらく話してるうちに落ち着いたのか、朝まで様子を見て改善しなかったら救急車を呼ぶと言うことになった。

その報告を看護師へ伝えると、朝一で訪問してくれる事になった。

結果、その方は救急搬送にて入院となった。


この方、アスベスト関係で肺を患っており、主治医から労災手続きの申請を勧められた。

それ自体はとても有難いことだし、ご本人の経済面でも大きな助けになる。


ここである事に気付く。

労災は介護保険より優先される保険なのだ。

訪問看護は労災の方で賄われる。

そしてこの方は訪問看護以外にサービスを利用していない。

結果、ケアマネジャーは居宅介護支援費を算定できないのである。


経営視点で考えると、請求できないサービスを継続するという事は正直厳しい。

が、ケアマネジャーとしては、この方の体調や精神面での支援は必要であり、ここで関わりをやめるという事はしたくない。

なら、どうするか。

無理やり介護保険のサービスを勧めるのか?

必要ない福祉用具を勧めるのか?


否、それは我々の正義では無いのだ。


結果、安否確認や定期的な訪問、電話連絡、訪問看護との連携を続ける。

これがうちの事業所の答えとなった。

うちのケアマネジャーはちゃんと経営の事も考えて動いているが、このケースの場合、今ここでケアマネジャーが離れてしまってはご本人の不利益にしかならない。

この判断ができたうちのケアマネジャー達を褒めたい。


が、これもシャドーワークなのだ。

福祉の精神にあぐらかいてシャドーワークさせてきた行政よ。

こう言うケースはまだまだ沢山あると思うぞ?

そんな簡単な仕事じゃない。


ちゃんと評価してくれ。


 

 

うちの事務所は初回面談時、多角的な目線でアセスメントを行なうという理由で、できる限り2人で面談させていただく事にしている。

同じケアマネジャーでも重視する部分が違っていたりするので、メインの担当ケアマネも助かるのだ。

 

そんなある日、事業所に2通の封書が届いた。

宛名を見ると『地方裁判所』となっていた。

 

そのご利用者、生活保護を受けており、うちの事業所との契約は半年前後で終了していた方だった。

理由は『誰も信用ならないから介護サービスを使わない』という内容。

この方、精神疾患を患っており、モニタリング時も言葉に気を付けながら対応させていただいていた方だったから、契約が終了して3年の月日が経過していてもハッキリと覚えていた。

 

しかし、まさか裁判所を通じての再会になるとは思いもしなかったが。

 

事務所に来た封書は2通。

当時担当していたケアマネ宛と同行させていただいたケアマネ宛。

この同行ケアマネ、先にも書いたようにご利用者が精神疾患を患っており、言葉に気を付けなければならない状況だという事がわかった上での面談だった為、当日は言葉を発せず『名刺を渡しただけ』に留めていた。

 

そう。

名刺を渡しただけなのに、訴えられたのだ。

 

原告の訴えは

担当ケアマネに対し『私はお答えできません』と言われた。

同行ケアマネに対し『私の管轄外なので答えられません』と言われた。

上記にて担当ケアマネに対し慰謝料100万円、同行ケアマネに対し慰謝料30万円を請求。

また、市長含む市の職員(大勢)や主治医、主治医が務める病院、うちが担当する前の居宅介護支援事業所や地域包括支援センター、訪問看護事業所や訪問介護事業所等を一斉に訴え、総額で1,000万弱の金額を請求している。

正直、他の方々がご本人にどの様な対応をしていて、何が真実なのかはわからない。

しかし、我々は一切上記のような対応はしていないのだ。

同行ケアマネに至っては前述の通り殆ど言葉を発していない。

電話も耳が遠い事のでコミュニケーションが取れず、FAXにて行なっていた。

 

そんな馬鹿げた訴えがまかり通るのか…。

そう思い、地方裁判所の担当書記官へ電話するも「訴える事を裁判所で断ることはできない」「大変だとは思いますが、弁明書を提出してください」との事。

弁明書を提出しなければ原告の訴えがそのまま通り、我々は合計130万円を支払わなければならない。

しかも、日が経つ毎に利子が増えていくのだ。

 

こんな事で弁護士を依頼するのは金の無駄。

また、貴重な経験だと自分に言い聞かせ、弁明書作成から提出、第一回公判、第二回公判と自分たちで乗り越えた。

 

結果、我々は勝訴した。

 

まぁ、当たり前の話なのだが…。

でも、この勝訴で笑顔にはなれなかった。

 

裁判所で対面に座るのは、以前担当させていただいた方。

耳が遠い事もあり所々書記官に聞くのだが、その書記官も迷惑そうな表情で対応したりしていた。

このご利用者、精神疾患にて妄想も激しく、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。それでも誰にも頼らず自分の正義を貫こうとした結果、この裁判に挑んだんだろうなと思うと、見ていて辛かった…。

 

敗けるわけにはいかないが、勝っても辛い。

いまはどこで何をしているんだろう…。

適切な支援をちゃんと受けられているのだろうか。

近くに誰か助けてくれる人は居てくれるのだろうか。

 

これからの時代、このようなもらい事故的に訴えられる事も多くなってくるのかも知れない。

その時の為に、この経験は大きなものとなるだろう。

 

しかし、とても後味の悪い勝訴となった。