私には何も残っていない。

愛するものとも
私のせいでちぐはぐだ。

私の運命に対して、なんの感情移入もない。

人の優しさを受け取る訳にはいかない。

ここにあることを感謝する。

私個人の感情で動く時期でもない。

精神的にやんでいると書けば、
それを鵜呑みにするのか?

その人の発する言葉でなく、
その人を感じていたい。

断ずるわけでもなく、
病んでいるのならば、見捨てず、避けず。


多くは望まない。

過去の自分とも決別してしまった。
信念とも、分かれてしまった。


今、ここにあるのは
○○○○(私の本名)のみ。


家族は大切だけど、
家族のためでもない。

自分のためだ。


愛しい人たちを裏切ったのも、
その人たちのためでない。


自分のためだ。


自分が何者か
「魔」が本体だと仮定するにしても、
そうであっても、
「魔」に包まれた「心」を私は見る。


周囲の人が私を怖がる場合もあるが、
彼らは私の本体をみることを怠った。

私が私を憎んだのも、
私の本体をみることを怠ったからだ。


この最終章は、
「魔」に包まれたものを取払いながら、
「魔」の深淵(自分の中)
を見る行程であるが故に、


私は一時的に
非常に「魔」に近い存在になる。


愛おしい人たちとの、しばしの別れだ。


この状態の領域には、
私以外踏み込む必要は無い。

そして、
この領域には、固定概念も信念も
存在しない。


言葉も存在しない。


段階的に「魔」を取り込んだが、
今回私が会いに行くのは、
より深い「魔」だ。


彼を言葉で「断ずる」ような真似はしない。

凄まじい力を持っているモノだ。

ただ、
添い寝をしてみれば、
同じ空気を吸えば

私の核が染まるのか染まらないのか
染まってしまっているのか
彼のマスターであるところの私なのか。


まあいい。


複雑な作業であるが故に、
愛おしい人の感情と
また、今しばらくのお別れだ。


人として生きるために。
まず、
語学学校のみで、ビザ取得へ向けて行動する。

そして、
後続のもので、
(アラビア語、もしくは政治)
再度、学生ビザを狙う。


私にはやる気は無い。
もう、十分やったと思うから。

自分の過去を照らし合わせたとしても、
自分のアイデンティティーを確認できるものも無い。

非常に危険である。


私に未来を見るのは、これほど難しいと思わなかった。


玉砕攻撃をする。


よく多く、「希望、絶望」という価値観で物事が書いてあるものをみる。

しかし、
私の場合、いずれにも該当はしない。

私が、
唯一言える事は、
両親、兄弟には金を渡す。

それ以上でもそれ以下でもない。

フランスという中途半端な国をからかってやろうと思ったのも、
将来、自分の選択肢が増えると思っただけ。

個人的な感情などない。

そして、
私はもはや、名ニアを選べるとも思っていない。
それでも絶望は無い。


金を稼ぐためなら、
何色にもなる。

それは、
弱さの現れだろう。

それでもいい。

もはや、煉獄。


でも、いい。



私は、自分を魔に少しずつかえる。
でも、
最後に行き着くところが、
両親、兄弟へのお金であるとするのならば、

今、ここで私がどうなろうと関係はない。



さあ、私にとって、少年時代は終わったが
最終章だ。


えっと、
もしもすべてが上手く行った場合、しばらく
父親と話す機会がなくなってしまうから、

今日は、父親と一緒にご飯を食べにいった。
いつも気の毒なほどに、私に気を遣ってくれる。

しかし、私はやらなければならない事がまだあるので、
本来は、家に閉じこもって、作業をしたい。


今日一日は、まるっきり無駄になってしまいそうな感じだ。
書類作成は進んでいない。


ふと、以前、通っていたダンススタジオの動画を、見る機会があった。
2005年度と、2009年度、その二回に出演したのだが、
情けない事に、2005年度のほうがずいぶん良かった。

2008年度は、魂が負けてしまった年で、
その負けた魂のまま歩くのは、つらすぎるという事で、
昔の原点であったダンススタジオに戻ってくるという結果になったのだ。

2008年度は、かつての心の契りを交わした女を裏切り、
他の女に、初めて、屈服した年だ。



なぜこんな事を書いたのだろう、、?

昨日、父親と腹を割って話をしているときに
「○○(私の本名)、お前、言葉の勉強という名目で
お前の嫌いな人間関係からにげているだろ?」

嫌な事があったときに
逃げる癖がついているようだ。

ダンスから逃げ、自分の運命に負ければダンスに逃げ、
言葉の勉強と言う逃げ口実で逃げ、、、、


逃げるたびに、自分が本来持っていた力を失う。
フランス滞在の最終週では、女に逃げ、
誓いをかわしていた女を裏切り、
今に至る。


言葉は、シンプルに、真実を伝えたい。

私が逃げている以上、それ以上の力は生まれないのではないのか?



物事の本質はそこにある。

生きる事はシンプルなはずなのに、
それを曲解したのは私だ。


何から逃げるの?

何を隠しているの?


何をごまかしているの?


全部、全部、実は分かっている。


でも、こんな時は、
目をつぶる。


過ちだらけの人生だと。


「でも」は言わない。

そういう風に少しずつなろう。


友達から誰にも相手にされなくなった。

これは、非常によい傾向だ。

どういうことか?

友達に相手にされなくなった=
 自分が人をあまり必要としなくたった
  =自分がすべき事に集中し始めた


から、よい傾向なのだ。

今、まさに絶好調。

どれだけでも無視してもらいたい。


現時点での対戦相手は、
キャンパスフランス。

自分の複雑にしてしまった人生の今までの道のり、
そして、
今の私、
滅びの未来をさけるために、

必死に逃げ、出来る事をすべて行うという
今この瞬間を、
多くの人から見捨てられながら、
誰にも相手にされないながら、

今、全身全霊をもって、
切る。


昨年の7月から始めた頼りないフランス語で、
今、私がブログで書き綴ってきた、

私の紆余曲折、将来の進路、
すべて曖昧な部分を含めつつも、

統一して、
その心を相手に伝える。


こんなにも迷い、こんなにも苦しんでいるのかもしれないが、

すべてを込めて、
大学からオファーがくるように、
ありったけの力をこめて、
私のつたないフランス語で書く。



さあ、限界点を越え始めるぞ。

持ってくれよ。

弱い私よ。

最近は、暇で、

大層な事をfacebookで書いていると、
誰にも相手はされませんでした。


しかし、言葉というものは、強いものだ。

言葉で真実を語るのならば、
それは強い。


だから、今、ここでこういわねばならない。

一人で十分だと。


歩いてみた。
しかし、人は生きる限り一人だと。

少なくとも、自己実現したいことがあるとするなら、
その事柄と私の間の中には、
私がどうありたいのかが問われると。


そう考えていると、
自分に必要なもの、そうでないものは、
ひとりでに
「悲しいかな」
分かれてきてしまう。

かつての恋人が(いたとしても)
かつての友人であったとしても、

私と対峙しているこの乗り越えなければならない「自分」
であり、虚無であり、この曖昧なものとの
対決の場
に比べるのならば、

分かれてしかるべき、
去ってしかるべき、



なぜなら、
その人ともともと運命など交わってはいないのだから。


ひとりぼっちであると
他人からは面白半分に見えるかもしれない。

社会からは、
私のように、社会的価値の無いものと
笑われるかもしれない。

そして、
その中でかえる事が出来ない大切な家族たちと
離れていってしまうかもしれない。


だからこそ、
命燃やして
私が対峙しているものを
私の力で乗り越えねば、


一人なんかじゃない。

輝くものなど私のうちにあるとも思わない。

僕は汚れているし、歪んだ。


それでも、自分が自分であること、

以前は敵だと思っていた自分すら、
私の一部だ。


私と私の中の彼ら、
皆が一致協力して、
幸せな社会の為に(私の周囲環境)
戦うのだ。


目覚めなさい。
し、死ぬ。


もともと全く足りないフランス語力でもって、
6人以上のフランス人と文通をしている。

一重に、自分で決めた対戦相手であるフランス語を誅殺するためだ。
文化の理解がなければ、言葉をやっても意味が無い。
そういう結論にならざるを得ないほど、苦しめられた。

だから、とにもかくにも、フランス人との議論の場が与えられるなら、
べらぼうにチャンスにかぶりついてきた。


そうすると、
「文化論」という部分に話がいってしまい、
「人生観」にも話が発展し、
去年の7月から始めた私のフランス語力では、到底そんなもの説明できるはずは無く、
時間のみが延々とかかる、悶絶状態のまま、毎日がすぎている。

しかし、私はひとから見捨てられる立場にある人間であるが故に、
フランス人との交流の場を己から放棄するような趣味は無い。
とにもかくにも、ここで踏ん張らなければ。


そうこうするうちに、あさってから仕事が始まる。
同時に、11月半ばまでには、どうあっても、
フランス語(英語)での
1 履歴書 2 動機書 3 学習計画書 4 勉学を通して達成したい事
5 専攻分野変更に伴う正当理由書 
などを
書いていかねばならない。

不親切かつ、不明確に感じざるをえないキャンパスフランスという
機関をとおして。
一回のメールの返信に10日以上もかけるなや。。。
間に合わん。。。


仕事、フランス語力、フランス語提出書類、

これらに囲まれてしまいつつある。


パソコンを一日中いじっているためか、
寝ても目が痛い。



ゴミであるところの
私は
勝つ事だけが
私の存在意味を肯定してくれる事を知っている。



ゴミはゴミらしく、
相手を葬るまでは、戦いをやめてはならない。

私はやる気が無い。

精一杯やっている「つもり」だ。

しかし、今回の小競り合いについて、その意義を問う。


私の失敗が多すぎる人生では、
もはや、普通の価値観での行動は、もったいない。

進むことで、
チェスのポーンがクイーンになるように、
自分自身を含め、奥深くまで
切り込む以外に、私の今までの人生を肯定化するものはない。

会いたい人がいる。
話したい人もいる。

話せばいい。会えばいい。
心が交わればいい。


そうあればいい。

その前に、
夢を焼き尽くそうと思っている。

その覚悟がなければ、
今回の相手は倒れない。


私は放っておけば、悪に染まるものだ。
そのように、運命が定義付けられているのだろう。

しかし、そんなことは関係ない。

ただ、目の前にいる、感じる、
この敵を粉砕する。


そうである事を考えれば、
この私の孤立状態を考えれば、

この戦いが最後にしたいともおもうが、
私のこの体も、精神も、
まだまだ戦いたいとの事。


それであるのなら、
私が思う強い戦場を切り抜けるのも
分からない話ではない。


どうじに、
この思考のサイクルの危険性も思う。

このように、
物見遊山で戦闘に参加するものは、
引く事も進む事も出来ぬ
泥沼にはまる可能性が高い。


過信というところだろう。



さて、どうするか、、



しかし、手強い。
誘惑に負けてしまった自分では、
手に負えないかもしれないな。


しかし、そうであったとしても、
人として生きたかったのだから、
今の強くはない自分で
ただひたすら狂ったように戦うこと
を第一優先とする。



面倒くさい、、、
フランス学生ビザ、簡単に申し込みは作れないらしい。


私の場合、もう、時間がないことが
何よりも大きいが、書類を、かりにフランス語で書くにしても

1 時間がかかりすぎる(私の場合、キャンパスフランスの予約時期を考慮に入れると、
  もはや一刻の猶予もない、11月中旬には完成させねばならない)
2 内容がきちんとかけているのか分からない、訳をチェックしてくれる人を捜す必要がある
3 書類の不確実性が否めず、全く頼りにならないキャンパスフランスの職員、システムを
  戦力(協力的存在)と位置付けることは、不可能である


これらの事項により、
留学エージェントへ支援をお願いすることになった。

14800円で
相当な援護をもらえるところがある。
cheminなんとかというところだ。
他人のブログからパクった情報だ。

しかし、私の戦力とおかれている状況を分析するに、
確実な成功を治めねばならない私にとって、
手段は選ばないという
方針により、
この会社へ
「至急」支援要請をせざるを得まい。


私の語学力、特にフランス語力では、勝負になるまい。


己の力量を知り、大局観を見失わず、
確実に仕留める。



ふと思う。
日本にいて、日本人女性ってきれいだなと。

結局、
一番最初に好きになれた3人に対し、未練たらたらと言うところなんだ。

しかし、
彼女たちのことは好きだが、
ここで踏ん張る人と、ここで手を引く人と

私が「あるべき」姿は、
ここで踏ん張る人だろう。

私の存在は悪い意味でかわると思う。

「小さくとも充実した世界」「小さくとも確かにある幸せ」
こそが
人として生きる道だ。


しかし、
私は、状況をみるにあたり、
「激烈に攻める」
スキルを身につける。

人生は遊びではないけれど、
あと、もう2年だけ踏ん張る。


甘えだろう。


現実からの逃げだろう。
夢という名の逃避だろう。


日本刀を研ぐように。
いろいろな色を込めて、
私という名の
「いびつでもろくよわったぼろぼろの刀」

をつくらねば、、、、


疲れた、、、
こういう悟ったタイプは誰からもすかれない。

間違っててもいい。
ただ全力で、好きなことにがむしゃらに。


少なくとも、それでは、勝てない。

僕の場合は、根が悪だ。
そんな、自分の楽しむことに専念をしてしまえば、
少なからず、弱者をなぶる結果になる。

まあ、弱者などいないと思うが、
私の場合は、理性によるコントロールが必要な部分が多大にある。
基本、動物と一緒だ。


正直に言おう。

私は自分の人生を生きていないと。
学生の頃から、人に認められたいからとか、
社会的に立派だからという理由が多かったのだ。


最終的には、悪を解放することになるだろう。
しかし、
経験を積めば、
少なくとも、それをコントロールすることは出来るようになるだろう。


その「妥協点」まで持っていきたい。
そして、
多少なりとも、私の人生において、
自己実現の要素を持たせたいから、
現時点では、
言語を究極的に高めておくことにする。


人生を語ることなど不要。

搾取の原理、因果の原理、
それを見て、何を考えるのか?


最愛の人たちを裏切っているのだから、
誠心誠意、狂戦士の部分は求められる。


社会でのゴミであるが故に、
負けることは許されない。



ゴミであるが故に、
一度やり始めたら、結果を出す。

人の心は、
私には荷の克ちすぎる問題。
私は可能であれば

「人が望むもの、人から望まれるもの」

という

価値基準とは離れていたい。



人間は頼りないものだ。
せいぜい家族、ペットくらいのものだろう。
価値をおいてよいものは。

あとは、憎しみの連鎖だと思う。


私の価値観は人を否定することから始まる。

それは、
自分が傷つきたくないから。

そして、
ビジネスの世界では、通用しない。


そのような世の中では、
仮面が必要だが、
他人様を欺き続けられるほどの
大層な仮面はない。


そうであるが故に、
矛盾するかもしれないが、
ビジネスの側面で人と関わることは必要になる。

個人の感情は、お互いに負担になるだけだ。

人を否定することもなければ
肯定することもない。

ただそこにあるだけ。


交わることなどない。


己の中にないものなど数えきれないほどある。

「持つ、持たない」
という価値基準、ねたみで動いているうちは、
自分の光など存在するはずもない。

アイドルを敬い、
憧れることはない。


私はこの心のうちにある「憎しみ」の火は
自分を守りたいと思ってくれている
優しい女性の形をしている。

多重人格ではない。
統合しているから。


私は社会的にはゴミの価値しかない。

しかし、悩んだ回数、
自分の中にある苦しみ続けた、苦しみ続ける自分

彼が
心のうちにいるのは
自分自信


様々な刺激に対しても

一人ではないということを表し

かつて憎んだ自分の一部であっても、

話をしてゆけば、
ただ
本体である私に
生きてほしいという気持ち
が如実に伝わった訳で。

輝くもの
といえば
正だけのイメージ、脆弱ともいえるし
虚構の部分もあるだろうが、


この激しい
生存を妨げるものに対する「激烈なまでの憎悪」



強さでもある。


憎しみをさけ
汚いと見えるものをさけ
アイドルに自分を当てはめ
無いものをうらやむなど
あり得ない。

人間は
そんなに純粋なものであるはずが無い。


汚いものを
封じ込めるやりかたなど

ない。

生きていることは
そんなものではない。


一番頼りになるもの、
それは
かつて私が憎んだ
「悪」だ。


「悪」は
ただただ いついかなる状況でも
どんな手段を用いても
「私本体」に生きてほしい
とつぶさに願う

女性に近い形をもったものだ。

彼女と
私で一つ。


アイドルはいらない。