最近は、暇で、

大層な事をfacebookで書いていると、
誰にも相手はされませんでした。


しかし、言葉というものは、強いものだ。

言葉で真実を語るのならば、
それは強い。


だから、今、ここでこういわねばならない。

一人で十分だと。


歩いてみた。
しかし、人は生きる限り一人だと。

少なくとも、自己実現したいことがあるとするなら、
その事柄と私の間の中には、
私がどうありたいのかが問われると。


そう考えていると、
自分に必要なもの、そうでないものは、
ひとりでに
「悲しいかな」
分かれてきてしまう。

かつての恋人が(いたとしても)
かつての友人であったとしても、

私と対峙しているこの乗り越えなければならない「自分」
であり、虚無であり、この曖昧なものとの
対決の場
に比べるのならば、

分かれてしかるべき、
去ってしかるべき、



なぜなら、
その人ともともと運命など交わってはいないのだから。


ひとりぼっちであると
他人からは面白半分に見えるかもしれない。

社会からは、
私のように、社会的価値の無いものと
笑われるかもしれない。

そして、
その中でかえる事が出来ない大切な家族たちと
離れていってしまうかもしれない。


だからこそ、
命燃やして
私が対峙しているものを
私の力で乗り越えねば、


一人なんかじゃない。

輝くものなど私のうちにあるとも思わない。

僕は汚れているし、歪んだ。


それでも、自分が自分であること、

以前は敵だと思っていた自分すら、
私の一部だ。


私と私の中の彼ら、
皆が一致協力して、
幸せな社会の為に(私の周囲環境)
戦うのだ。


目覚めなさい。