私の小学生の頃 | ×××えんちの事情×××

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なんとも寂しげな小学校だった。

全長100mほどの海岸沿いに、50数件の家が並ぶ。

そんな村にひとつある学校。私が小・中学を過ごした学校。




クラスメートは私をいれて2人・・・。たったの2人・・・。

ひとつ上のクラスで6人、ひとつ下のクラスは4人。

当然複式学級で1・2年、3・4年、5・6年とかかれた教室が並ぶ。

教室に8人の時と、6人の時が交互に繰り返された。

給食はなく、家に帰ってお昼を食べた。




(実は子供の給食参観があった時に、

 参加された保護者の方がなつかしい味!だとか

 言っているのを横目で見つつ、不愉快だった。

 給食の味というものを知らなかったから。)





クラブ活動は選べなかった。何をやっても人数が足らないからだ。

うむを言わさず、剣道をさせられた。

『胴ーっ』と叫びながら太ももを一撃され、

冬の雪の降る校庭での裸足の寒稽古はとても辛かった。




先生の多くは福井市内在住だった為、

学校の近くに女先生用と男先生用の家が用意されていた。

そこで平日は共同生活をしていた。

放課後はよく先生の家へ遊びに行った。

炊事当番の先生がいつも1人はそこいたからだ。

週末でも、誰か1人は必ず当直の先生が残っていたので、

日曜の朝早くから(たまの休みにゆっくりと)寝ている先生を

起こしに行っては、部屋を荒らして楽しんだ。

先生とは四六時中、一緒だったような気がする。

先生である上に親であり、お兄さんであり、お姉さんだった。

大きな学校では味わえないような、

先生とのつながりを感じることができた。

小さくて寂しげな学校だったけど、いつも先生と手をつないで遊び、

学び、とても温かい学校だったと思う。

あの頃の教室を懐かしく、のぞいてみたくなる時もあるけれど、

今はもう廃校となり、村の中にその姿はない。




*これは2年前、子供の小学校の卒業文集に投稿したものです。

  今日の日記・・・書くことな~んにもなかったから・・・(*≧m≦*)ププッ







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