今日は、話者である佐々木喜善の親族の体験談を紹介します。
今さらっと「体験談」と書きましたが、これまでにも書いてきたように、『遠野物語』は、佐々木喜善と同時代、あるいは少し前の出来事も収録されています。
ですので、佐々木喜善関係者の話もいくつかあるのです。
佐々木喜善の曾祖母が亡くなった時、親族が集まって、座敷に寝ていた。
その中には、精神的な病(原文では「乱心のため」)で離縁された、曾祖母の娘もいた。
喜善の祖母と母は、喪の間火を絶やさないという風習のために起きていたが、ふと裏口から足音がするのでそちらを見ると、亡くなった老女が、生前のたたずまいそのままに、こちらへとやってきた。
老女は祖母と母の前を通り過ぎ、座敷の方に近寄って行ったが、離縁された婦人が「おばあさんが来た!」と叫んだ。
その声で人々は目を覚まし、ただ驚くばかりであった。(第22話)
葬式の日の幽霊話で、ありがちと言えばありがちな話ですが、昔話集と思われがちな『遠野物語』には、こういう身近な話も収録されているのですね。
この話は、三島由紀夫も文学的に絶賛していたそうです。
このブログではかいつまんで書いていますが、原文では、亡くなった老女が炉端を通り過ぎる時に、側にあった炭取りの籠に着物の裾が当たり、「丸き炭取りなればくるくるとまはりたり」と書いてあります。
幽霊でありながら実体を持っているというのが、その文章で端的に示されてるんですね。
『遠野物語』には、柳田国男が佐々木喜善の語る話を「一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり」(序文)とあります。
一方佐々木喜善は、柳田国男に「お化け話を語った」と日記に書いています。
当時は百物語などの怪談が流行していましたし、そもそも喜善は作家になるために上京していたので、まさか自分の語る地元の噂話が「民俗学」という学問のきっかけになるとは思わなかったと思います。
喜善はあくまでも「故郷で語られている話」を語っているのですが、文学志望の青年ですから、面白くなるように話を膨らませている部分があるかもしれません。
実際、この話を原文で読むと、とても臨場感があって、序盤からクライマックスに向けてひたひたと迫り上がってくるような怖さがあります。
喜善はこの話を、最初は淡々と語っていたのではないでしょうか。
そして、死者が座敷に近づき、さあどうなる!?と聞き手が固唾を飲んだその瞬間、精神を病んだ婦人の叫びとして
「おばあさんが来た!」
と大声で言う。
聞き手びっくり。
…みたいな場を想像しているのですが、いかがでしょうか。
少なくとも、私だったらそう語りますね。
まあ、話者は喜善でも、文章を書いているのは柳田国男なので、もしかしたら柳田が修飾している可能性もありますが。
この辺りは、おそらく研究書を読めば詳しく書いてあるんでしょうね。
『遠野物語』『遠野物語拾遺』についてご興味を持った方は、こちらをどうぞ。
このブログは、この本を参考にしています。
原文だと取っつきにくいという方は、京極夏彦さんが現代語に意訳して再構成した『遠野物語remix』『遠野物語拾遺retold』もありますよ。