『遠野物語』について語ろう④〜寒戸の婆〜 | 縁茶亭茶話

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今日からは、遠野三大話から離れたお話を紹介します。


『遠野物語』は、自分たちの日常の延長にある出来事として語られていると、初日の記事で書きました。

「カッパ」や「ザシキワラシ」や「オシラサマ」では、まだ人智の及ばない超自然的な存在の話のような気がしますが、もっと人々の生活に身近な、誰の身にも起こりうる「事件」も、『遠野物語』では多く収録されています。

今回紹介するのは、「寒戸の婆」です。


「寒戸の婆」をざっくりまとめると、こんな話。


ある日、梨の木の下に脱ぎ揃えた草履だけを残して、若い娘が行方不明になった。

それから30年後の風の強い夜、娘は老婆の姿になって戻ってきたが、またどこかへと去ってしまった。

それ以来、遠野では、風の強い日には「寒戸の婆が帰ってきそうだ」と言われている。(8)


いわゆる神隠しのお話です。

神隠しの話は、これ以外にもいくつか語られています。

現実的に考えるなら、今も昔も人攫い、つまり誘拐事件はあったでしょうし、昔であれば、娘を攫って売り飛ばすということはあったかもしれません。

あるいは、行方不明になってついに見つかることのなかった我が子を諦める一つの形として、「神隠しに遭った」、つまり人の力が及ばないどこか別の場所で生きている、という話が生まれたと考えることもできます。


そして実際、神隠しに遭った娘は、その後目撃されることがあります。


「寒戸の婆」では、いなくなった娘は30年後に再び現れました。

仮に誘拐当時20歳だったとして、30年経ったら50歳ですから、現代の感覚だと「老婆」という表現にはちょっと首を傾げたくなりますがいやいやいや、それだけ老けた外見になってしまった、それだけその娘が過酷な体験をしてきたということを想像させる描写となっています。

ですが、少なくとも「生きていた」という事実は、行方不明になった子を持つ親にとっては、救いになったかもしれません。


ただし、神隠しに遭った者は、もはや普通の人間ではなくなっていました。

強風とともにやって来た寒戸の婆しかり、山人の妻となり子を産んだ娘しかり。

自分たちとは異なる環境に身を置いた者は、自分たちと同じ人間ではないとみなされ、怖れの対象となります。

「差別」と言っていいかもしれません。

まして、東北の山間部に位置する町に生きる人々にとって、周囲の山は、恵みをもたらすと同時に災害ももたらし、踏み入れた人を惑わして里に帰れなくさせる(遭難させる)という、畏怖すべき存在。

神隠しに遭った娘たちは、そんな「山」に属する存在となり、おそらく自らもそのことを承知して、人々の前から再び姿を消してしまうのでした。


『遠野物語』『遠野物語拾遺』についてご興味を持った方は、こちらをどうぞ。

(この記事は、この本を参考にしています)


原文だと取っつきにくいという方は、京極夏彦さんが現代語に意訳して再構成した『遠野物語remix』『遠野物語拾遺retold』がありますよ。


『遠野物語』に出てくる「山」に関わるお話としては、京極夏彦さんの絵本で『やまびと』『まよいが』があります。

ご参考までに。