太陽と木星のコンジャンクション | 「私の羅針盤」

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この記事はオフィシャルホームページに掲載したブログを編集して掲載しています。

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『太陽と木星のコンジャンクション』


太陽と木星のコンジャンクションについて、

ソフトアスペクト(吉角)と解釈される場合とハードアスペクト(凶角)と解釈される場合があります。そこまで明確でなくとも、ポジティブな解釈とネガティブな解釈が存在しているようです。


太陽は「自我、自分自身、価値観」などを示し、木星は関わる事柄を「拡大」させる作用があります。

太陽と木星のコンジャンクションが出生図にあったとき、ポジティブに解釈するならば、寛大で楽観的な人物像が見えてきます。

ネガティブに解釈するならば、その逆で、自分に甘かったり、尊大な人物像、といったところでしょうか。


太陽と木星のコンジャンクションは、「自分(太陽)を拡大(木星)させる」、つまり、発展が期待できる、という解釈からだと想像しますが、「最も幸運のアスペクト」と言われることがあります。

そう考えると、ハードアスペクトと考えるのは不自然のように思えます。


木星は「幸運の星」や「最大の吉星」と呼ばれます。

その理由は、関わる物事を「拡大」させる作用があるから、でもありますが、

ギリシャ神話で全知全能の神であるゼウスに相当するのが木星だから、でもあるようです。


ギリシャ神話のゼウスは、神々と人間の双方の秩序を守り、支配する王、最高神です。

人間にとってゼウスは保護者的な存在で、救い主でした。

(ゼウスは、「結婚と妻の地位の守り神」だったヘラという貞操観念の強い妻がいましたが、他の女神や美しい人間の女性を愛人にして、子を産ませ続けた「神」でもあります。)


木星は何でも拡大させるので、「発展」「成功」という出方をすることもありますが、その一方で、ルーズさを生むことがあるのです。

いつも、どんな時でも「いいよ」と言うのが、木星なのです。


占星学(西洋占星術)で著名な先生方の著書やご発言においては、太陽と木星のコンジャンクションの解釈は「ポジティブ」の解釈が多いように見受けられます。

ただ、その逆の解釈をされる先生もいらっしゃるのも事実で、この違いは大変興味深く、占星学の奥深さを物語っていると感じます。


本来の「素質」によって、影響の出方も捉え方も異なると思うのです。


例えばですが、太陽と木星がオポジションとなる出生図の持ち主の場合、木星の「いいよ」感が際限なく発揮されるわけですが、地のエレメントに太陽があるならば、木星がハードで関わっても、それほどルーズにならない、かもしれません。

木星が強い出生図の持ち主の場合、木星がハードで関わったら収拾がつかない状況になるかもしれませんし、その一方で、いつも「オープンで寛容」であるがゆえ、さほど変化がない可能性もあるでしょう。


当然、読み手の性格によっても、木星のハードを軽く捉えるか、重く捉えるか、ということもあると思います。

コンジャンクションについても、「吉凶混合」と解釈する方もいれば、明確に「吉」か「凶」かで判断される方もいるかもしれません。

コンジャンクションになる天体によっても異なりますが、読み手によって解釈が異なるのも面白いと思うのです。

占星学においては、「絶対の法則はない」という法則の元、様々な解釈が生まれるのは自然なことですが、どの解釈も、読み手の「性格」を含め、「経験」や「考え」があっての解釈だと思います。

自分なりの解釈がある上で、他人の異なる解釈を知ることは新たな気付きになりますので、学びとさせていただけることに感謝しています。

それぞれの価値観に基づいた読みなので、どれも尊重し、選択肢の一つとして前向きに活用できたらいいのかな、と思っています。


ちなみに、私個人としては、(サインは加味せずに考えた場合)「太陽と木星のコンジャンクション」は、とてもポジティブに捉えています。

寛容で明るくて、あたたかく、大らかな雰囲気を感じます。


足元の安全を確かめないでは飛べない太陽乙女座の私にとって、木星に守られた射手座は憧れのサインでもあり、半人半馬でパッと空へ駆け上がる雰囲気は羨ましくもあります。

ゼウスしかり、ですが、「人生を楽しんでいる」そんな感じがするのです。


木星はいつも「いいよ」と言ってくれるので、大らかで寛容ですが、「使い方次第」「使う人次第」で、拡大の限度が変わってくるのでしょう。

そして、それを「寛容」と捉えるか、「ルーズ」と捉えるか、「判断する人次第」であり、「判断する目的」によっても捉え方が変わってくるのではないかと思います。


占星学には「絶対」はありません。

人間も不完全です。

読み手として、寛容に解釈できる人間性を目指すことも大事だと思いますし、何よりも、出生図の持ち主の「本質」や「素質」を見極めることが最も重要なのだと考えます。

勉強あるのみですね、努力します!


ミラーダ