忘れられないCinema&Music -2ページ目

ミユキについて55

会社を退職してもどって来るよう父親から言い含められた不二子はほどなく東京に戻って来た。

父親はもう東京に娘を置いておけない気分だったのだ。

不二子は早くに母親を亡くしている・・・

その後鹿児島の中学を卒業前に渡米してハイスクールに入学しているのだ。

当時の状況を不二子に聞くと、彼女の母親は彼女が小学3年生の頃亡くなりその2年後父親が再婚、その再婚相手と不二子は折り合いが悪かった。

見かねた祖母がアメリカ留学を勧め父親も再婚相手と不二子の仲の悪さを考え同意し、不二子も継母との関係や家庭の状況を考えアメリカ行きを決めた。

アメリカの高校に留学するのもけっこう難しかったが不二子はクリア。しかし1年半で鹿児島に戻った。

それは父親が彼女を手離したことを悔やみ鹿児島に戻したかったのが一番の理由である。

鹿児島に戻っても継母との関係はそんなに改善されなかった。

大学は東京のミッション系に帰国子女枠でもぐり込んだ。さすがに父親も東京の大学では反対も出来なかった。

彼女は本当はアメリカより東京で生活してみたかったからだという。

大体アメリカで高校生活を経験したらなかなか日本に戻れなくなるのが一般的であるが、それにも増して東京の魅力が上回ったのだ。

だが、不二子はアメリカの友達を忘れる事はなく、度々連絡をとっていた。

大学時代にアメリカの友人を鹿児島の実家に招待し家の庭で撮った写真を見たらまるで高級料亭の庭園でふざけあう外人のおのぼりさんのようであった。

その庭たるや成金感いっぱいのものである。

その成金趣味の父親が後妻との確執から不二子を厄介払いのようにアメリカに送ってしまった事を悔やんでいたのだ。

中学3年から25才まで一番女性が美しく変貌する時期をずっと手元に置いておけなかった事を悔やんでいるのかもしれなかった。

不二子が父親の元から東京に戻ってからの3ヵ月は、お互いにしばらく会えなくなる事を念頭に、出来る限り二人で過ごした。

不二子を僕の両親にも会わせて、実家にも泊めた僕は両親に結婚という言葉は言わなかったが当然息子が若い女性を連れてきて泊めたら結婚するものと両親は思っていたに違いなかった。

あっという間に3ヵ月が過ぎた。最後に不二子がどうしても行きたいと言うので京都に三度目の旅に出た。

本当の最後は早朝の真夏の京都の駅での泣き別れだった。

別れの前夜ベットの中では異常に燃え上がった。

不二子は『あなたの子どもが欲しいの、だから中に出して』とよがり声を上げて果てた。

僕も一瞬の躊躇を伴いながらも彼女の天井目がけて放出した。

そして約束した。

不二子は一年かけて東京に戻って来れるよう父親を説得しそして結婚する。

電話をできるだけかける。不二子は手紙も書くと言った。

1~2ヵ月はうまくいってが、その後1週間ほどお互いの都合もあり連絡できない事があった。手紙が来る頃にも来なくなった。

それを境にギクシャクしだした。

そして別れの手紙が来た。

別れの手紙には『やはり私は家を捨てられない』と書いてあった。

僕はおそらくこんな終わりが来るとうすうす予想はしていた。遠距離恋愛の難しさを思い知った。

あれから20年たった。彼女が今どんな容姿でとんな生活をしているのか思う事がある。幸せになっていればよいのだが・・・

京都の駅で別れて以後、彼女の姿は2度と見ていない。秘密の付き合いだったので共通の知人もいなかった、だからいっさい噂話も聞いていない。

今でも彼女は、メリハリのきいたジャズを聞いているのだろうか。ジャズは死んだと言われて久しいがジャズの最後のあだ花のようなああいうジャズを・・・


今日は、そういったジャズの正反対のジャズで今日の話にぴったりの曲を。

タイトル:everything happens to me
歌手、ピアノ、作曲、アレンジ・・・・・
:マットデニス(トミードーシー楽団のアレンジャーで作曲家、その後ビアノの弾き語りで名声を博す。この曲はトミードーシー楽団に在籍したフランク・シナトラのために書かれてシナトラの初期のヒット曲として有名です)

内容:タイトルを直訳すると・・・『僕に起こること』となるが、全てについていない男の話である。

歌詞和訳:僕の人世はゴルフの予定を入れるとその日に必ず雨がふるし、パーティーを始めると上の階の男が文句を言いに来る。

いつも風邪をひくし、電車に飛び乗ろうとすると必ず寸前でドアが閉まる。

そんなつきの無い人生に君は忽然と表れた。僕は一目惚れして電話も、手紙も、海外からエアメールも速達で送った。

でも、返事はなかなか来ない・・・

待ちに待った君からの手紙が届くとたった一言『サヨウナラ』の一行が・・・しかも送料受取人払いとは・・・なんて僕の人世はついていないんだ。

ミユキについて54

京都で一晩すごし、二人してぬけがらのようになり東京に戻った。

不二子はやはりただの女ではなかった。

均整のとれた身体からは気品が感じられ、その身体からいい女特有の良い香りがするのである。

小学校から高校卒業までやっていたという剣道により綺麗に付いた筋肉と姿勢の良さで弾力のある身体が出来ていた。

僕はこの時初めて本格的にスポーツを続けてきた女性の身体を知った。

それまで経験してきたただの女とは明らかに性能の違う物だった。

二人とも若かった事もあり、秘め事にのめり込んで行った。

そうなると、たまにしか会えないあの芸能人もあさっての方向にすっ飛ん行ってしまい、ちょっと身体が触れただけで重なり合うような状態になった。

あの日夜しか居なかった京都にもあらためてゆっくり行った。スキーにも温泉にも行った。

そして、1年が経とうとしていた時彼女が1週間実家に帰ることになった。

『父親が話があるから休みに帰ってこいって言ってるのよ。見合いでもさせようとしてるのかなぁ。大丈夫言われても断るから』

しかし、1週間が過ぎても彼女は帰って来なかった。

僕はあわてた。

というのも、この頃彼女は暗に結婚したいという事をほのめかしていたが、僕はまだうじうしていた。

彼女に全く問題無いのであるが、自分の母親を時伏させなければならないからだ。実に面倒な事をしなければならない事が心を萎えさせていた。

母親は結婚は東京の人ととの考えで固まっていて『地方の人ではどちらも苦労するからよしなさい』と常に言っていたのである。

そして彼女は鹿児島の出身で僕も苦悩していた。出きれば結婚は干渉されたくないのだが、何とか説き伏せて結婚してしまえば後は何を言われたとしても、野となれ山となれだと思っていたのだが・・・・

しかももう一つ問題があった。それは彼女の父親は鹿児島で港の工事で財を成した人物で一番母親の嫌う種類の職業というのが気を重くしていた。

そんな事でふらついていた僕に予定を過ぎても戻らない不二子はショックを与えた。

時は90年代半ばでまだ携帯電話も実験段階でまだ普及しておらず今のように思い立ったら連絡がとれる状況ではなかった。

やはり不二子と結婚したい。

何とかして不二子と連絡しなければ。

実家に電話をかけたいが、番号も住所も父親の名前も分からない。番号の調べようもなかった。

手がかりになるのは、不二子の名字が東京では珍しく鹿児島でもそんなに多くはない事と大体の地域がわかる事である。

それで番号問い合わせに鹿児島市のある地域の不二子の名字を聞くと・・・・それでも15件ほど同じ名字があった。

だが15件ほどの電話番号の中に不二子の実家があるとは限らないのである。

とりあえず調べた電話番号を先頭からかけてみる。下手な小細工をする事も出来ないのである。

すると幸運なことに3件目で不二子の実家につながった。最初に不二子の母親が出たので会社の名前と自分の名前を言うと・・・

『お世話になってます。今呼んで来ますからお待ち下さい・・・不二子、不二子』とあわてていた。

不二子が出てきた『ごめんなさい、なるべく早く帰るわ。父親が帰って来いってしつこいのそれで戻れなくて』

『わかったやはり不二子がいないと僕は全くだめだ。結婚しよう早く戻ってくれ』

それから2、3日して不二子は戻って来た。

しかし、父親の言い分はあと3ヵ月で退職して戻って来いというものだった。

不二子は僕にこう言った。

『とりあえず退職して一度鹿児島に戻って父親を説得して必ず戻って来るわそしてあなたと結婚するわ待ってて』

だから最後の3ヵ月はお互いに約束の悲しい結末を見通していたかのように凄かった。続く

そのころ僕がよく聞いていたディーディーブリッジウォーター。彼女はジャズとR&B
の中間にいるような人でDISCOSoundsもやっていた。

不二子にもよく聞かせていた。不二子に反して僕はどちらかと言うとボーカルが好きだった。

そのディーディーブリッジウォーターが奇しくも12月に来日しブルーノート東京でクリスマスに4日間もライヴする。不二子を思い出して行ってみようかな。

ディーディーブリッジウォーターの珍しいDISCOナンバーです

ミユキについて53

不二子はこう言った。

『その人、今月中は京都の撮影所にいて帰って来れないから京都に来いって言うの』

『じゃあ君の彼っていうのは芸能関係の人なのか・・・』ここでズバリ不二子に彼が何をしている人か聞くことは出来るがあえて感想とも質問ともつかない発言でちょっと彼女に余裕を持たせた。

僕はこれ以上彼女を追い込まずに話題を変えた。

でも、心の片隅では彼女の相手がどんなやつか気になっていた。

彼女とはは年齢も離れているし、男心を乱すような美形ではあるが採用した当事者でもある。共通点はジャズが好きという事だけである。

そのジャズでも嗜好は微妙に違っているので、たまたまお互いの好みが合ったプレイヤーが出演した場合にそれを聴きに行くのがせいぜいだった。

しかしそれでも、一つ間違えれば男女の仲になってしまいかねない事は分かっていたので必死に堪えていた。

そんな事を頭の中で廻らせているとぽつりと不二子がささやいた。
『京都・・・来ない』

『冗談言うなよ』

『だって彼に会えるのは1日だけだから、つまらないのよ』

『だって京都に行ったらすぐには帰れないだろ。泊まりになっちゃうから困るだろ』と僕は言って彼女の反応をうかがった。

『別にいいじゃん』と不二子は当たり前のように返した。

『だって彼に悪いよ』

『彼って言っても・・・ただの浮気だから』

『えっ相手って誰だよ』と僕は思わず核心に触れる質問をした。

『・・・あなたも知っていると思う』

『まさか・・・会社のやつじゃあ・・・』

『あっははは・・な、わけないでしょ。だって芸能関係かって言ってたじゃない』

『だって僕も知っていると思うって言ってただろ』

『それは皆んなが知っているってことよ』

『じゃあ役者って事か・・・それも誰もが知っている』

『そうよ毎年半分は京都暮らしみたい。時代劇に出てる〇〇よ。もちろん奥さんも子供もあるけれどなんとなく好きになっちゃったのよ』

『まさかあの大昔アイドルだったあいつか・・』と察しがついた。

そして気持ちの優しい、いや弱い、いや軟弱な僕は不二子の誘いに乗って京都に行ってしまった。


休みを1日取って前日の夕刻新幹線に飛び乗り京都に向かった。

待ち合わせた京都タワーホテルのロビーに不二子は先に来てソファーに静かに座っていた。

僕は東京からタワーホテルのツインを予約したが、不二子は京都に来いと言ったが『一緒に泊まりましょう』とは一言も言ってはいない。

なんとなく全てが暗黙の了解で事が進んできたのだ。

しかも逆に僕も一緒に泊まる手はずを取った事をいまだに不二子に言ってはいないのである。

しかし京都まで来て食事をし、酒を飲みホテルに帰って来たら『じゃあおやすみなさい』と別々の部屋に泊まったら男がすたると言うものである。

だから、とりあえずホテルのベルボーイに二人の荷物を預けて四条河原町に向かった。

彼女に余計な考えをさせないように事を素早く進行させなければならない。

男はこんなとき妙に緊張している事が多いが、良く考えれば夜8時過ぎに東京の人間が京都でデートして別々に泊まる事など女性は考えないであろう。

この時僕の頭をよぎったのはもっと女性の怖い行動だった。

不二子は一昨日から京都に彼女を呼んだ芸能人と一緒にいたのだから当然肌を合わせ彼のその物を体内に入れ彼の体液を取り込んでいるに決まっている。

そうなればおそらく今日も数時間前に別れを惜しんでやっているに違いない。

そして撮影所のそばで別れその足で京都タワーに来てなにも無かったように静かな雰囲気をロビーで撒き散らして僕と会ったのだ。

その夜四条河原町の賀茂川沿いのジャズがかかっている店でさんざん飲んでタワーホテルに帰って来た。

フロントで鍵と二人の荷物を受けとりベルボーイを断り二人で部屋に向かった。

断っておくがこの時点まで彼女にキスした事も触った事もなかった。

でも不二子は少しも緊張も後ろめたさもなく当たり前のように窓側のベッドを取り『先にお風呂入るね』と言ってバスルームに向かった。

そして彼女がバスタオルを巻いて出てきて、入れ替わりに僕がバスルームに向かうとき。

『ねぇ、先に寝てていい』と言うので『もちろんだよ』と答えた。

素早くと言うより慌てぎみに身体を洗いバスルームのドアを開けて部屋に出ると、天井照明は消え間接照明だけがほの暗く点いていた。

暗いままとりあえず自分のベッドに入った。不二子は本当に眠りに落ちたのか、目をつむっているのか分からない。

思い切って彼女のベッドに滑り込んだ。すると彼女は一糸まとわぬ姿で嘘眠していた。

とりあえず彼女の唇にキスすると待ち構えていたように舌が伸びて来てぼくの口の中で大暴れしだした。

不二子にとっては一昨日から4回目程の交わりという事になるのである。

好きなジャズ?ヒュージョン?と同様に激しいビートの交わりを求める不二子であった。

その日京都タワーホテルのロビーにいた普通の人が、物静かに腰かけていたあの女がその夜上の部屋でそれほど乱れているとは想像も出来なかったであろう。

彼女が好んで聴いていたビルコブハムです