https://www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/emurodic/entry-11966811682.html
>この二つに書いてある、百六箇抄の末文は
要法寺のもののようですね。
僕も勉強不足時代に書くものを読むと反省したくなります。要法寺の邪義はこわいもので
奥深くに侵入してきますね。
広宣流布は待つものであることは日興後条々事に書いてあります。
また百六箇抄の末文ですが、
日蓮大聖人が臣で日興上人が王 日目上人が大導師で なんで、日朗師が関白、国母とありました。
いま読み返すとありえないことですね。
やはりこれは要法寺の人がわからないのに書いたんでしょう。