大坊棟札は誰が何のために作ったのか 今回は
『大坊棟札の年月日』について
正応四年三月十二日
これは大坊棟札に記載されている大坊棟札の年月日 つまり大石寺大坊の完成日を示しているが
大石寺は正応三年十月十二日に創建したといわれている
その次の日は客殿に安置されている御座替御本尊の書写されていることも明記しておく
しかし大坊棟札の作者は大石寺創建を『正応四年三月十二日』と記した
それはなぜだろうか、富士年表にも正応四年三月に何かあった記載はない
ではなぜ三月なのか
私はこの大坊棟札の作者は江戸時代の以降の人物であることをこの三月から見出した
家中抄の日興伝にはこのようにある。
『正応二年の春日興大井を御立ありて河合に移り給ふ、此の所に御逗留の間南条殿の請により下の坊に移り住し給へり、爰に北にあたりて原あり大石ケ原と名く、此の所に臨んで見給ふに景気余所に勝れて南北際涯なし東西に高山をみ、前には田子の海を呑み後ろ富士野にいたる景明かに目に満ち、一空の皓月千里光を浮べて下化衆生の粧ひ眼前なり、無明煩悩の塵労悉く泯して上求菩提の気自ら成す、然る可き勝地なりと御覧して此に寺を建立し給ふ、広布の気を発する迄異地に移すべからずとて所を以て寺に名けて大石を以て号を建つ。 古伝に云はく昔より阿育王の石塔此処に在る故、大石原と云ふなり。唐国に於て大石寺三ヶ処あり、皆阿育王の石塔ある故也板本尊併に御骨を此所に安置し給へり、此に因て門弟子等各寺院を建立して法華の行学を修し給ふ、正応三年に其の功を成就して化導利生の外他なし』(聖典782)
おそらくはこの正応二年の春を三月と勝手に定義して偽造されたものなのだろう。
富谷日震師の日宗年表にも正応二年三月に大石寺開創とあるものおそらくはこの文が原因だ
なぜ正応四年なのかは皆目見当もつかないがなぜ三月なのかは『春』だからと一応答えが出た