大坊棟札は誰がなんのために作ったのか
今回は 大坊棟札の
富国天母山に於いて三堂並びに六万坊を造立なすべきものか
について考察していきいます。
前回富国ってどこだよという話を書きましたが、やはり富士山周辺を指す用語として富国は出てきません
そもそも日興上人、日目上人の著作に全く出てこないのですから当たり前です
当国の旧字の當国であるという指摘があるが、だとしても日興上人、日目上人の筆には一書にも當国と書いてあるものは存在しない
当国と書いている諸師はまず日道上人の御伝土代 それから佐渡の日満師の日満抄。 日郷師書簡、あとは日郷門下のなかで
日我師が使っている。
いずれも南北朝時代や室町以降の文献であり
大坊棟札もそれ以降に
成立した文書であることは確定だが
当初尊門がつくった可能性が一番高いと思っていたが ここにきて郷門の用語がでてくるとは意外である。