大坊棟札は誰がなんのために作ったのか
今回は『大坊棟札』の大坊についてです。
今でこそ大坊と言いますが
それは大坊しかないときから大坊とは言いません大坊以外の諸坊
蓮蔵坊ー日目上人 寂日坊ー日華上人
理境坊ー日秀師 百貫坊ー日仙師 少輔坊ー日禅
了性坊ー日乗師
といった本六老の坊があって 日興上人の坊が大坊呼ばれます。
日興上人が白蓮持仏堂や大石持仏堂と呼ばれた
もの作った(現在の六壺)白蓮持仏堂や大石持仏堂は日興上人の御本尊の中にかいてあるが大石持仏堂や白蓮持仏堂をさして大坊と書いてある文証はない
大坊棟札は誰がなんのために作ったのか
今回は南条時光の官職についてです
大坊棟札には南条時光の官職は修理大夫となっています。修理大夫というのは
修理職という大内裏を修理造営する部署のトップということです。
有名な戦国武将であれば 西国八カ国太守といわれた尼子晴久や 天下人三好長慶といった戦国の大大名クラスの官職です。従四位下といった高い官位が必要な役職です
上野の地頭なだけの南条時光がこのような官職を得られたのでしょうか?
答えは否です
そもそも執権北条家の北条時頼や時宗の役職が
正五位上 相模守 これより上の官職など得られるわけがありません
実際の南条時光の官職は左衛門尉です。これは六位の官位であり これであれば可能性はあります
南条時光の自筆文書の署名にも
左衛門尉時光とあります。
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この時点で大坊棟札という文書が偽文書だとわかりますが 何故修理大夫としたのかという点です。
南条修理大夫という言葉で検索し
ヒットしたものがあります。
それが『室町殿日記』です。
この室町殿日記は室町末期から安土桃山時代にかけての軍記物です。
この中に尼子晴久と大内義隆の戦の時に
先陣を切った武将として南条修理大夫というものが出てきます。
これは恐らく伯耆南条氏のことでしょうが
伯耆南条氏には修理大夫はいません。
むしろ先程あげたように尼子晴久のほうが修理大夫になってます。
大坊棟札の作者が南条時光を
南条修理大夫というのはここから着想を得て
作ったものだと推測できます。
駿河史料(二)下條 妙蓮寺に
寺記に曰くとして 南条兵衛七郎次郎平時光、伯耆国へ移れるの時などとも書いてあることから
伯耆南条氏と南条時光を繋げるような
ストーリーを創作した人物による
偽作だと思われます。
