日達上人が正本堂を『本堂』だと思っていたのなら 蔵の形にはしませんし、事の戒壇と明言されると思います
しかし日達上人は『現時における』と言われていますし
本堂ではなく本門戒壇之大御本尊が御安置されている殿堂といわれたのですから
『本堂』だとは微塵も思っていません。
正本堂が本門寺の戒壇となる解釈があるのだったら『蔵の形式』にはしませんよね
本門寺の戒壇となる堂宇であるのならなぜ蔵の形式としたのかお答えください。
最後に『一番新しい御法主上人のいうことに従うべき』ということを言われていますが、
何度か旭川さんにお伺いしていますが
歴代の御法主上人のうち 『御影堂は本門戒壇本堂ではない』と言われた方がいますか?
御影堂が本堂とされたのが 四十八世日量上人の時で幕末です。
これ以降 御影堂について本門戒壇本堂ではないと言われた上人が一名でも居られるのでしたら証明してください。
ちなみに平成二七年の五月に御影堂の開基檀那である敬台院殿の三百五十回遠忌に出版された
図録には御影堂の棟札図が掲載され『本門戒壇本堂』とちゃんとあります。
日如上人は
また御影堂大改修落慶大法要においても一期弘法付属書、日興跡条々事を引用され、
さらに 『抑も御影堂は当山の中心伽藍なり』と仰っております。
一番新しい御法主上人になぜ従わないのか疑問なのは私のほうです。
とりあえず。
質問を最後に書いておきます。
正本堂が本門寺の戒壇となる堂宇になる予定ならなぜ『蔵の形式』にしたのか
御影堂は本門戒壇本堂ではないと言われた御法主上人が幕末以降に一名でも居られるなら
文献を出して証明してください。
この二点です。 よろしくお願いします。