鬱将軍様への御返事への返答 | 諸宗 破折

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私鬱将軍が、日蓮正宗の法華講の一信徒としての活動や
SNSでの論争やその所感 仏教書籍の紹介など赤裸々に綴るブログです。 コメントお待ちしてます、



読ませて頂きましたが、そもそも前提がおかしいです。

この方は

さてご質問の件ですが、御遺命の戒壇は広宣流布の暁に戒壇の大御本尊安置の堂宇を改めて建立することであり、既に建立されている御影堂がそれにあたることはありませ。」と言われていますが  

改めて建てるなんてことは日蓮大聖人も日興上人も言われていません。言われているというなら

日蓮大聖人、日興上人の文書から証明してください。

日蓮大聖人は百六箇抄に「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」と仰せであり

日興上人は大石記に「本門寺の朽木書の御堂をば大石に立て申し身延澤に立て申したり御佛をも入れ申す」とあります。

日蓮大聖人が日興上人に託し建立されたのが大石寺 本門戒壇本堂である御影堂です。

身延澤に立て申したり御佛は言わずもがなです。

さらにら日興上人が各種法要をしていたのも御影堂であり

それは日興上人の御消息に認められています。


もしも、この方の言っていることを取るのなら

日興上人は日蓮大聖人の御遺命を無視して

本門戒壇にはならない御堂を建てた

ということになります。 謗法も度が過ぎてますよ。  

そもそも御影堂が再建されたときも

「本門戒壇本堂」とあります。この「本門戒壇本堂」を歴代上人の誰か一人でも否定しましたか?

1人でも文献を出して証明してください。

日顕上人も日如上人も御影堂は「本門戒壇本堂」ではないとは言われていません。

日顕上人は三大秘法義において「本門の戒壇は爾前権経や迹門の戒壇のように別に戒壇堂を造るのではない。本尊の住処が直ちに戒壇である故に「本堂」と示されたのである。広布の暁に本門戒壇之大御本尊まします本堂が、すなわち事の戒壇の意である」と言われています。

改めて堂宇を建立することは爾前権経や迹門の戒壇と同じように戒壇堂を造るのなので

日蓮大聖人の本意でありません。


だいたい御遺命の戒壇を建立することを御遺命の戒壇堂を建立することと混同してるように見受けられます。


日蓮大聖人も日興上人も本堂が戒壇であり

大石寺の本門戒壇本堂に本門戒壇之大御本尊をご安置すればそれ即ち本門戒壇の建立です。

どうして御影堂は普段御本尊様のお扉が閉まってるのか知ってもいないのですね。

広宣流布ではないから御扉を閉めているのです。

日興上人御在世当時は本門戒壇之大御本尊様がご安置されていたからその化儀として閉めているんです。 

もう少し日蓮正宗の歴史や建物を見学して勉強することをオススメします。