みなさま
こんにちは
阿比留真実です
本日は
というお話です
先日私のブログを最初から読んで下さっている方に
お会いした際に
「まーさんは、どうやって立ち直ったんですか?」
と質問いただきました
私は幼少期からネグレクト家庭で育ち不登校を経験
自己肯定感が低いまま大人になり
今から8年前に一番の理解者である叔父が
その半年後に関係が悪化していた母が
うつ闘病中に自殺してしまい
自責とショックで心身ともにボロボロに
なった過去があります
※詳しくはこちらに書いてます
今回のご質問は
大切な人が自ら命を絶った事から
どうやって立ち直ったんですか?
というものでしたので
私は
「今も立ち直っていないです。立ち直る事を諦めたんです。」
とお答えました
辛い事悲しい事が起きた時
立ち直ろうと色々と試行錯誤します
私もそうでした
叔父と母が亡くなった後
2人の自死を止める事が出来なかった自分を
責め続けました
そして
必死でこの状況から逃れようと
色んな事を試しました
自分の過失と感じていたので母や
叔父の死因を家族以外には言えず
孤独を感じながら
毎日自死遺族の方が書いているブログを
読み続けました
どうか家族を自死で失っていても
今は立ち直っている誰かがどこかにいて欲しいと
必死に願いながら
沢山の記事から立ち直る方法を探していました
しかしどんな記事を読んでも
次の瞬間には自分とこの人の状況や
母との関係は違うんだと感じては
また絶望するを繰り返し
味覚障害と抜毛症を発症しながら
会社には今まで通りの自分で
いられているだろうか?と
不安を感じながら出勤し続けました
今振り返るとあの時の私は
自分の世界を自死遺族であるという一色で捉え
不幸な出来事にズームインして
それ以外の世界が見えなくなり
自分はもう幸せになれないと
信じてうたがわない状態でした
幸せになれないなら生きている意味はないけど
叔父と母の死でボロボロになっている家族を
思うと今すぐ死ぬことは出来ない
けれど長く生きる気力はない
というなんとも後ろ向きな状態で
生きる事になりました
そして
その後ろ向きな状態で生きる事が結果的に
人に嫌われないようにいい人でいようとすること
周りに合わせて自分にだけ我慢させること
自分の価値観を自信が持てないから
他人の価値観を基準にすること
など
今までそうしないと生き延びることが出来ないと
思い込んでいた事を辞めるキッカケになり
結果的に私はやけっぱち状態だったからこそ
自分のままで生きるという
それまでとは全く違う世界を
生き始めることができました
余生のような気持ちで自分のままで生きるうちに
沢山の人に出会い
その沢山の人に出会うたびに
沢山の自分を知りました
そして
大切な人に恵まれ
やりがいを感じる仕事に
就く事が出き
寿命まで生きてみようと
感じられるようになった今現在
叔父と母の自死から私は
立ち直っていません
心が沈んだ日は叔父を想って泣くこともあるし
無邪気に甘える子どもを見ると
幼少期を思い出して
胸がちくっとなることもある
でもある時から
それでいい
無理に立ち直ろうとしなくても
それが私の人生の一部だから
大切な人を想って泣く事に
何度だって付き合ってあげようと
思えるようになりました
そう思えた瞬間
叔父と母が亡くなってからずっと自分に課していた
「2人の死から立ち直らないといけない。」という
見えない呪縛から解き放たれたように
気が楽になりました
2人の死から立ち直りたいという気持ちは
いつしか
2人の死を悲しいと感じる自分を
否定する事に繋がり
立ち直ってない自分はダメな状態なんだと
焦る気持ちを生んでいた事に
気が付きました
その時改めて
この先私に
どんな気持ちが湧いてきても
そう感じたことを否定しない
ただその気持ちがあることを
認めてあげようと決めました
人はひとりひとり本当に違うから
前例や見本が無くても
唯一無二の自分の気持ちと感覚を大切に
誰かの共感も承認も必要のない自分の人生を
今は生きていきたいと感じています
そして
自分は幸せになれないと感じている人に
そう思っていた私が
今幸せに生きている事を知ってもらいたいと
心から願っています
ではまた
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