お昼頃電話があって今何をしているのかと問われ、「朝から洗車場でクルマ洗ってる」と答えたら、他にすることは無いのかと嗤われました。
自分でもまったくそう思います。二日前に洗車したばかりだけど、その間に雨が降って車も汚れてしまったので、懲りずにまた洗車。
ちなみに家の中は新たな物(昨日訳あってプリンタを買いました)を入れようとしても置くスペースが見つからないほど片付けや整理を必要としているのに、それを放置して3日の間に二度も洗車(各4時間)するのはどう考えてもおかしいと思います。
洗車を終え帰宅して昼食(海老とブロッコリのサラダ山葵ドレッシング味)を作って食べ、プリンタの置き場所を作るべく部屋の片付け・・とはいかず、布団に包まって読みかけの本を完読。
『午前零時の自動車評論16』
沢村慎太朗 著(2019.12.25発行)
著者が登録者向けに発行しているメールマガジン(FMO)から選ばれた記事が抄録されているのですが、最後の章「唄う挽歌は滅びゆく民のために」を読み、深く納得するところがありこのブログを書いています。
沢村さんがいう「滅びゆく民」とは、運転を楽しむことを目的として車に乗る人のこと。
僕も何度も書いているけれど、自動車業界の時代の流れは電気自動車(EV)と自動運転に確実にシフトしつつある。
けれどそれは、ヒトが自分の意思をクルマという道具に少しでも正確に反映させようとする願いや努力を無視し、単なる移動手段(バスや電車と同じ)に自家用車も近づいていくということ。
この流れは、ある日突然革命のように切り替わるものではなく、もうすでに何年も前からじわじわと具現化されつつある。
僕がそれを肌で感じたのは、E92_M3(2011年式)に乗っていた時。
上り坂の発進でエンストしてしまい、あわてて再始動しようとすると、クラッチを踏んだだけで自動で再始動したのです。
僕はその時、ECU(エンジンコンピュータ)も進歩して便利になったもんだな、と思うと同時に、運転操作の失敗をなかったことにする機能に莫然とした怖さを感じたのを覚えています。
僕が搭載を嫌う電制サスも、大雨で路面がゴリゴリにウェットでもドライの時とほぼ変わらない感触を返してくるので、気持ち悪くてしょうがない。(制動距離は物理法則に従って当たり前に延びるので、雨なのに速度が出過ぎていて慌てることがありました)
愛車M4にも、電制サスこそ非搭載だけどMモデル独自の電制LSDが入っていて、一秒間に何千回もの演算を繰り返して左右駆動輪のトルク配分をリアルタイムで変更して挙動を安定させている。
だから僕は、車の挙動の限界が何処にあるのかほぼ気取れないままスポーツドライビングの真似事をしている訳で、考えたらこれほど恐ろしいことはない。
それでも、ギアの選択だけは自分の意思でできるマニュアルトランスミッションにこだわって乗り続けています。
著者の沢村さんは、乗り手(ユーザー)だけでなく車の作り手であるメーカーも、このEV化・自動運転化の流れに乗っていると考え、今後車とドライバーの関係は、乗馬における馬と人間のようなある種の信頼関係のもとに構築される対等な関係から、専ら機械が全てをコントロールする歪な関係に変化し、僕ら運転を楽しむために車に乗る人たちはいずれ滅びゆく運命にあると言います。
長年に亘って自動車業界の最前線で文章を書く仕事をしてある方が言うのですから、おそらく間違いないのでしょう。
僕が沢村慎太朗さんの書いた文章(記名記事)に初めて出会ったのは、およそ10年前。
あるクルマ雑誌の特集で歴代M3を取り上げていて、その中のE36_M3の項を沢村さんが担当して書いてありました。
正しい科学的知見に基づくM3の評論とともに、まるで叙事詩のような繊細なM3B(ボアアップ前)への思い。
例えば僕のような者がいくら熱くBMW愛を語ったところで、好みの問題にしかならないところを、理論と考察を重ねた上で発せられるその美しい言葉とクルマに対する情熱に僕は感銘を受け、それ以来記名記事ではなくても沢村さんが書いたであろう文章は何となくわかるようになりました。
「駆け抜ける歓び(Freude am fahren)」を第一義に掲げ続けてきたBMWも、頑なにこだわり続けてきたはずの50:50の前後重量配分もFR(後輪駆動)もなかったことのような顔をして室内スペース拡大(顧客受け)とコスト削減のためだけにFF(前輪駆動)化を拡大し、中国をはじめとする新興市場における販売台数の伸長、他のメーカーと同様にEV化に突き進んでいるように見えます。
沢村さんが言うところの僕ら「騎馬民族」が乗るべき車、心から運転を楽しめる車が、これから急速に減っていくのは間違いない。
それでも、一縷の希望は捨てていません。例えば、MAZDAが乾坤一擲で開発したガソリンエンジン SKYACTIV-Xは、数十年に一度の技術革新とも言われ、僕もぜひ体感してみたい。
MAZDAはFRの経験がない(のに86を作ってしまった)スバルと違い、かつて僕も乗ったRX-7やロードスターという素晴らしい後輪駆動車の実績もある。
MAZDAがSKYACTIV-Xで直6エンジンをイチから作ってFRスポーツを出す、という夢を現実のものとして見てみたい。
数は減っても人馬一体ならぬ人車一体の走りを楽しめるクルマが生き残り続けていくことを切に願っています。
僕自身も、電制の厚い鎧を纏ってはいますが、左MTという日本で乗れる現行車種としては超がつくほど希少になってしまったM4を大切にしたいと思います。
皆様良いお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いします。