少し前のブログ「マノリティは「もてなされる」存在なのか」で、性的少数者(LGBTと表記します)の人たちのことに触れました。
その中で、マイノリティと呼ばれる立場の人たちが望むのは、配慮とか特別扱いされることではなく、普通に接することではないのかな、と書きました。それは、自分自身の「障がい」を持つ者としての経験や思いを踏まえてのことでした。
でも、その後に研修でLGBTの当事者の方から直接お話を聞く機会がありましたので、書いておきたいと思います。
講話をしてくださったのは、性同一性障害と診断された、体の性は女性で、心の性は男性の方でした。
研修では、ご自身の生い立ちから男性として生活している現在に至るまでのさまざまな経緯や出来事を、静かに、しかし力強く話してくださいました。
子どもの頃に体の性と心の性が異なることに気づき、「人と違う自分はおかしい、病気なんだ」と悩み苦しみ、何度も死にたいと思い実際にリストカットも経験したこと。
学校の制服(スカート)を着るのが嫌でたまらず口実を作ってはジャージで過ごしたり、水泳の授業を回避するためにいろんな言い訳をして見学していたこと。
社会に出てから、好きな旅行関係の仕事に就いて、やり甲斐もあり楽しかったけれど、付き合いでゴルフに誘われることが多く、プレーの後に風呂に入ろうと言われて断るのが大変だったこと。
お店で買い物をする時にクレジットカードを出すと必ずと言っていいほど不審に思われ(見た目は男性なのにカードの名義は女性の名前)、警察を呼ばれたこともあったこと・・などなど。
これらの出来事は、周囲の人たちが性的少数者の問題について正しく知って理解していれば、彼がこのような嫌な思いをせずに済んだものも多いのではないかと思います。
それから、レインボーフラッグ(性的少数者の人権を尊重する活動の象徴)のことにも触れられました。
お店や施設などに虹色の旗を掲げている所は、性的少数者の人たちが利用しやすいよう配慮をしています、という印(しるし)として用いられています。
件のブログで取り上げた、『おもてなしレインボーガイドブック』(福岡県発行)の表紙イラストにも、たくさんのフラッグが描かれています。
この旗を見つけると安心して利用できます、と言われてあって、僕もたまに街なかのお店などで見かけることがありますがまだまだ珍しいので、これからもっと多くの場所で見られるようになればいいなと思いました。
お話を聞いて、そして考えた僕が思ったこと。
僕は、自分自身の「障がい」のことを引き合いに出して、僕を含めたマイノリティといわれる人たちは配慮されることよりも普通に接することを望むのではないか、と書いたのですが、それが全く同じではないと気づきました。
つまり、僕の「障がい」は知らない人が見てもすぐにそれとわかるけれど、性的少数者の人たちはそうではないし、場合によっては逆に見た目で判断されてしまって嫌な思いをしたり混乱を招いたりすることもあるだろう。
だから、僕が最初に違和感を感じた「特別扱い」ではなく、皆が「(性やさまざまな事に関して)いろんな人がいる、見た目で勝手に判断してはいけない」ということを偏見を持たずにあらかじめ知っておくことで、皆がもっと生きやすい社会にできるのではないかと思いました。
以上、長々と書いてしまいましたが、当事者の方から直接お話を聞くことで、僕の考えが変わったことをお伝えしたかったのです。(誰に、というものではありませんが、前回のブログにコメントを寄せていただいた方への、ひとつの返答になっていれば幸いです。)
講話の最後に講師の方が言われた言葉が強く印象に残っています。
「性別を変更して良かったと思っていますが、履歴書に出身校を書けなくなってしまいました。僕の出身校は、女子校なんです。」
僕はそれを聞いて、泣きそうになりました。たとえ性別を変更したとしても、女子校だろうが男子校だろうが堂々と出身校を書け、それを当たり前のこととして受け容れられる社会をつくりたい。