原発に関する映画の上映会に行ってきました。原発の是非をここで論じるつもりはない。でも、思ったことを少しだけ。
なぜ、原発が生み出され、これだけ急速に普及したのか?それは、化石燃料に比べてエネルギー効率が圧倒的に良く、二酸化炭素の排出量も少ないから。つまり、お財布にも、環境にも優しいという発想。本当に環境に優しいのかどうかは、フクシマを見れば一目瞭然だけど。
今、電力会社が必死で原発再稼動を訴えているのは、「このまま原発を動かさなければ、電気料金を大幅に値上げしないとやっていけませんよ、それでもいいんですか?」ということ。
私は、「それでもいい」と思う。例えば、日本は雨が多く水資源が豊富で、水道水もきれいだし、地下水も無尽蔵と言っていい。水が貴重だと感じさせられるのは、雨が降らない長期渇水のときくらい。でも、当たり前のようなその事実が、当たり前でない国や地域はいくらでもある。
「湯水のように使う」は、惜しげもなく使うことの例えだが、地域によっては、「貴重なものをとても大事に使う」意味で使われるそう。自分たちの基準だけで物事を考えてはいけない。
レストランに行って、何も言わずにコップの水が出てくるのも決して当たり前ではなく、水が貴重な地域なら、ほしいと思えばお金を出してミネラルウォーターを買わなければ安全な水は飲めない。人間が生きていくうえで欠かすことのできない水でさえ、これだけ差があるのだから、電気だって、同じ発想で考えてみてもいいのでは。
コストがかかっても、環境に優しい自然エネルギーをできるだけ多く使って電気を作り、貴重な電気をみんなが節約して大事に使う。もし仮に、電気代が今の倍になったら、部屋の照明を誰もいないのにつけっ放しにしたり、空調の温度を過剰に上げたり下げたりすることも、まるで昼間と見紛うほど必要以上に夜の街を明るくすることも、自然にしなくなると思う。
そんな発想で論議ができないのかなって、映画を観ながら思いました。