卓球(その3) | M3遣いのブログ

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ライカではなく、BMWのほうです(^^ゞ
日々想うことをまったりと・・・

紆余曲折を経て、地元の私立大学へ進学。高校の先輩から卓球部に誘われたけど、地元の卓球クラブから小・中学生部のコーチの要請を受けていたので、両立は難しいと判断し、地元のクラブ活動に専念することに。自分が中学校のときにお世話になっていたクラブがずっと続いていて、当時は小中学生だけで30人近くの大所帯。子どもたちに卓球を教えるのは、本当に楽しかった。自分自身が卓球大好きなんだから、なおさら。


自分は、高校のときは一度もレギュラーになれなかったし、けっして卓球がうまいほうではない。でも、なぜか教え子はぐんぐん成長。クラブチームとしての全国大会に連れて行ったことも。代々木オリンピック競技場(第一体育館)での大会は良い思い出。当時教え子と対戦した三重県の子は、のちに全日本の常連選手に。


当時ひときわ思い出深い子が。中学生の女の子で、運動は超苦手。走るのも遅い。体育の成績はいつも3だと笑ってたっけ。でも、卓球が大好き。私と同じ。あと、負けず嫌い。感情を表に出すわけでもなく、めったに泣いたりしないけど、歯を食いしばって黙々と練習するがんばり屋さん。3年生最後の中体連でも、特に目立った成績を残すことはできなかったけど、卓球を続けたいと、県内でも有数の卓球の名門私立女子高へ進学。


通学できない距離ではないが、部活生は全員寮生活。クルマを持たなかったその子の家庭のお手伝いで、入学のときに彼女の荷物を積んで女子寮へ。荷物運びで男子禁制の女子高生の園へ特別に入れてもらった。たぶん、二度とない貴重な体験だったが、なぜか記憶は真っ白。たぶん、興奮しすぎて覚えていないんだろうと思う。あの頃は若かった・・・(遠い目)。


彼女は、相変わらず運動能力は伸びなかったけど、情熱と人並みはずれた努力で弱点を克服し、ついには名門チームのキャプテンとして全国大会にも出場し好成績を残す。卒業後は推薦で実業団の強豪チームへ。もちろん、地元のクラブ時代に私だけが教えていたわけではないけれど、自分の密かな誇りでもある。彼女も、今では立派なお母さん。長いこと会ってないけど、元気にしてるかな?


卓球の、自分自身の思い出。いろんな地域で開かれる卓球大会に、個人や団体として年に数回出場していたけれど、一度だけ、個人戦で準優勝したことがある。小さなトロフィーをもらって、それはそれで嬉しかったけど、じつは何より記憶に残っているのが、審判をしなくて良かったこと。ほとんどの人は、「はぁ?」って言うと思うけど、卓球している人は、わかってくれるかなあ。


地域の大会に出ると、審判は、負けた選手がそのコートに残って次の試合の審判をする決まり。準優勝したということは、負けたけど、決勝だから次の試合はもうない。だから、審判を一度もやらないで、大会を終えることができた。そのことが、とっても嬉しくて、今でも記憶に鮮明に残っている。


卓球、こんなに好きだったのに、最近ぜんぜんやってない。お世話になったクラブチームも数年前になくなってしまった。でもたぶん、再開したら、動きは体が覚えてる・・はず。久々に、大事にしまってあるラケットを引っ張り出してみた。ラケット自体は問題ないけれど、貼っているラバーはゴムだからかなり変質している。もしかしたら、うまく剥がせないかも。ラケットから買いなおすとなると、ちょっと敷居が高いなあ。ローターって、今でもあるのかしら。(妄想は続く・・・)


卓球の思い出、終わります(完)