いきなりですが、皆さんの一番古い記憶ってどのようなものですか?ニコニコ


私は1歳前後の記憶が最初のものです。


さほどインパクトのある出来事でもないのに、なぜかその風景は自分の心の在りようとともに、鮮明に頭に残っています。


まだ歩けない私は歩行器に入れられていたのですが、そこに備え付けられていたおもちゃで遊びながらも心の中では、


『この中は私の領域ですぞ!だから誰も邪魔できませんぞ!プンプン


といった強気な安心感を感じていたことを覚えています。




私の息子は一人っ子なので、一人で遊んでいると「寂しいかも・・・」といらない気を回してしまいつい構いすぎたり、彼を子ども扱いしすぎることがあり反省します。

(彼の独り言に合いの手を入れて、『ママには話してない!』とばっさり切られますが・・・シラー



でもそんなとき自分自身の古い記憶をたどって、子どもといっても彼らは案外しっかりした思考能力があるんだと自分自身に言い聞かせるようにしています。




先日一番古い記憶についての記事を読んでいたのですが、脳が記憶を作りだすのは4歳ぐらいからだと医学的には言われているそうです。


しかし記事に紹介されていた多くの人が幼児期の記憶を持ち、幼児ながらに周りで出会う人や出事に対してしっかりした意思を持って何かを感じたり、考えていたという内容に感激してしまいました。目



中にはご自身が2歳のときに妹さんが生まれ、父親が新生児の並んだ部屋に連れていってくれ、『あれが妹だよ♪』と言われたけど、

どの赤ちゃんが妹なのかわからずそのことを父親に聞きたいのだが、うまく伝えられず泣いていたら、

父親から『せっかく妹との初対面なのに』と怒られて悔しかった・・・・・ショック!

なんていうエピソードがありました。



子ども達は表現が追いつかなくとも、私たちが想像する以上に大人とそう変わらない「人間としての鋭い感覚」を持ってして感じ、考えているのかもしれないな~と息子やウチにやってきてくれる子どもを横目でみやる今日この頃なのでした。



子どもの目線で対応することも大切ですが、その前に人間として対等に向き合うという基本を思い出させてくれた記事でした。




ところで最近は胎内記憶なんていう言葉のとおり、お母さんのお腹にいた頃や、出産の瞬間を覚えている子どもがいるなんてよく耳にします。

そしてさかのぼっては前世(存在するのかしないのかの議論はひとまず置いておいて)の記憶を持つ子どももいるなんていう話もちらほら。



私の息子は足に、生まれながらのあざがあります。


もしかしてお腹の中で捻挫した?にひひ


もしかして、もしかして前世でドラマチックな事件に遭遇したとか恋の矢


となんとなく気になっていた代物でした。



言葉もだんだんと意味をなすようになってきたころ、

『この足のあざはどうやってできたの? 教えて~♪』

私は軽~くそれほど興味がないふりをして息子に聞いてみましたシラー




すると息子は『これは生まれる前にできたんだけど・・・、』

と小さくつぶやきました。



きたーーーーーっ!!!!クラッカー


と私は内心興奮して、

『それでそれで?何時代? どんなことがあなたの身にふりかかったの?』

と質問攻めにしたいのを抑えて、さらに何気なさを装って『それで?』

と聞いてみました。


思いにふけった様子の息子は、

『これはお腹で赤ちゃんだった頃にね、

マーカーで塗っちゃったんだよ~。 


油性だったからとれなくなったのえっ。』

と・・・。



それは絶対にない・・・ガーンダウン




ところで、皆さんの一番古い記憶ってどのようなものですか?


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とうとう師走ですね~。
皆さんいかがお過ごしですか?
子どもがいると、年中師走の中を突っ走っている気がするのは私だけでしょうか・・・。あせる



ところで最近息子のプレスクール通いが始まって、“なつかしい~ラブラブ”と感じることがあります。


それは子どもたちがパパやママとしばしのお別れを偲ぶ、涙の大合唱です。しょぼん


私がプレスクールで勤めていたときには、様々なパターンのお別れシーンを毎日眺めていたものです。



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

まだまだ親から離れるのが辛い2歳半の女の子Kちゃんは、その日はぐずってパパを離しませんでした。


仕事に遅刻していけないパパは思い切って教室を後にしました走る人


するとKちゃんは突然はつらつとした声で、


『さっ、パパも仕事に行ったし、私も遊ぼ!』


とさっきとは別人のようになってお気に入りのおもちゃへ向かっていきました。(女は強し!にひひ


そしてふと教室の外を見ると、廊下の隅でひっそり身を隠しながらわんわんと泣き止まない・・・・

それはそれはごつい体のKちゃんパパがいたのでした。叫び



その頃まだ子どもがいなかった私は、


『なんじゃそりゃ~!』

と同じく子どものいない、そしてどこかクールなアメリカ人同僚と激しくつっこみを入れて観察していたものですがシラー


自分が親になってからは、私が仕事に出かけるたびに号泣上手な息子が泣きに泣いている姿を思い私自身が大粒の涙を流しながら通勤することになり、あのパパに心から詫びたものです・・・しょぼん



子どもを持つ前と後でもう一つ大きく変わった信念といえば・・・、


子どもが何かに気をとられているうちに親御さんがそっと姿を消してくれれば、こどもの悲しみの傷は小さくて済むと思っていたこと。


確かに好奇心旺盛で、いろいろ触って歩いているうちにママはいなくなって、気付いたらママはいつの間にか帰ってきていた・・・なんていう事もありますが、

多くの子どもは初めて預けられた時はもちろん、だんだんと周りの状況がわかってきた年頃であってもママと初めて離れるのはとても悲しく勇気のいることであります。


そんな気持ちをそっと支えるべく、『ママは買い物が終わったら帰ってくるからね。そのあいだは先生やお友達と遊んで待っててね。』ときちんと子どもに伝えることが必要なのかもしれません。


きっと子どもは言葉をかけてもかけなくても泣くでしょう。ガーン


しかし『ママがどっかへ行っちゃった~!どうしよう!!』という気持ちで泣くのと、

『ママは帰ってくるってわかっていても、やっぱり寂しいんだよ~。』という気持ちで泣くのとでは、

その涙の意味合いが大きく違ってくるような気がしますし、

生まれたての赤ちゃんでもその意味はなんとなく・・・・もしくは大人と同様レベルに理解できると私は信じております。



そして泣いて泣いて登園をしぶる子どもには『泣かないの!』と子どもの気持ちを否定しないであげて、
(親がイライラしてしまうのはすごーくわかりますよ。かお

『ママがいないと寂しいから泣いちゃうね。 でももうお姉ちゃんだから、泣きながらちょっとだけ頑張ろうね。』


と共感しながらも成長したいという子どもの自然な前向きさを後押ししてあげると、子どもも親御さんもプレッシャーを感じることなくお互いのペースで乗り越えていけるのではないでしょうか。












うちの息子はよく泣きます。

朝から晩までよく泣き、3歳になった今でも夜中にちょいちょい起きて泣いてくれますぐぅぐぅ

おしゃべりしていないと気が済まない性格でもあるので突然夜中に起きると、

『今は怖いとか、寂しいとかいう気持ちで泣いてるんだけど~』

としゃべりながら号泣です・・・得意げ



子どもが泣いたり、何かの局面に差し掛かった際には、親の声がけが重要となってきますよね。


親御さんの性格も十人十色なら、その声掛けもイロイロ。

こどもが転んだときなどは「大丈夫! 痛くないよ!」と励ます人や、

「あ~かわいそうに~!」と急いで駆け寄る人もいます。



私のモットーでもある「子育てに王道はなし!」いう言葉どおり、これまた上の状況においての正解答はないわけです。


明るく太陽のようなママに「大丈夫!」だといわれれば大丈夫な気分になるだろうし、優しい愛情に溢れたママに「大丈夫?」と聞かれればそれだけで傷は癒されるわけです。



しかし人間の基本って何だろう・・・と、もう少し深く、そしてもう少しだけシンプルに思うことが子育てや仕事をしていてあります。



子ども、大人に関らず生きているとウォーーーと叫びたくなることや、やたらとネガティブな気持ちを引っ張られる出来事がありますむっ

もちろん嬉しいことも、その後を追いかけるようにやってきてくれるわけですラブラブ!

その凝縮が人生ってものだと思うのですが、その時々をうまく乗り越えられるキーポイントが人からの『共感』だったりするのではないかと思うのです。


こどもに関しても、実はほめられるということより「共感」してもらうということが成長に大きく影響しているのではないかと、こどもを実際に見ていて痛感するのです。



いきなりですが、こんな夫婦の会話を想像してみてください。



夫:
 『いたぁぁぁーーーーいっっっーー!!

  足の小指をたんすの角でぶつけたんだ
  よ~っっ!!!!!』



妻: 『痛くないよ! 大丈夫!』




夫の気持ちはきっと・・・・



お前にこの痛さの何がわかるーーーー!!!



一回、足の小指になって、
たんすの角に頭から突進してみろーーーっ!



でしょうか・・・・シラー




調子に乗ってもひとつ、夫婦編の例題行ってみましょうビックリマーク


妻:『今日ね、隣の奥さんに「コンニチハ」って挨拶したんだけど、完全に無視されちゃったのよ~。』


夫:『お前の声が小さかったんだよ~。 
お前は家では声がでかいけど、外へ行くと蚊が泣くような声しかでないんだから。』




妻の気持ちはきっと・・・・・




声の大きさだけが特技のあなたに言われたくない・・・むっ


かもしれません。



もしご主人が「そうか~、それは気分が悪かっただろうね~。」と言われたら、その時点で早くも妻側の会話は気持ちよく終了~!だったのではないでしょうか?


そのあとご主人がどんな貴重なアドバイスを呈してくださろうとも、そこはあんまり重要でない可能性もあり・・・・^^;


基本は誰かにそのもやもやの気持ちを聞いてもらいたかったのではないでしょうか?



子どもだって同じです・・・だって・・・小さくっても人間だからです・・・。



痛いものは痛いのです!ショック!


悲しいものは悲しいのです!しょぼん


親としては強い人間に育って欲しいという願いから、厳しく叱咤激励を飛ばす方もよくお見かけしますが(小学生になればそれも必要でしょうが)、幼児のうちは子どもに共感するだけでいいと私は個人的に思っています。



痛いと泣いていたなら、「痛かったね~」と子どもの言葉を繰り返し、欲しいものが買ってもらえなかったら「欲しかったんだもんね~」と気持ちを代弁してあげると子どもの気持ちはすーーっと解消されると同時に、

自分はまるごと受け止められているんだな~という気持ちから安定感が生まれます。
(受け止められると余計に泣き声が激しくなる場合あり。ドキドキ


こんなえらそうなことを書いている私も、以前は職場でこどもに良かれと思い、とにかく強くなれ!頑張れ!と励ましていました。



しかし障害者の子ども達と仕事で関ってから、目からうろこが落ちるような心境に陥ったのです目



泣き叫ぶ障害児に『泣かないで~!』と言いたくても、言葉が一生出ないであろう子どもに泣くことさえ許さなかったら、

彼女たちの気持ちはどこへ持っていけばいいんだろうか?と切なくなることも多々あり・・・。


乱暴なこどもに『お友達と遊びたいのだったら、そう言葉で言ってごらん!』と諭したくても、コミュニケーション能力に障害がある子どもは私の諭しの言葉さえも理解できないとわかり、その場でひれ伏すこともあり・・・。


しかしそのうちに、その子どもたちにそーっと『泣いていいんだよ。』とか、

『お友達と遊びたかったね~。本当はたたきたくなんかないんだよね。』

と声をかけるだけで、重障害を持つ言葉を発しない子どもたちさえもすーっと落ち着いていくのを実感したのです。



「悲しい」や「悔しい」という一見ネガティブに聞こえる気持ちをしっかり受け止められるようになることが、「強くなる」第一歩である気がします。


反対に自分の気持ちをそのまま素直に受け止められないでいると、「強くなりたい」という思いだけが先行して、どうしても沸きあがってくるネガティブな気持ちに悩まされてそのギャップに人は振り回されてしまうような気がします。
(それが原因で大人になってからウツになる人もいますしね・・・・)



子どもに対しても強さを求めるばかり、人間の生まれ持った弱さを無視することはできません。


人間は弱いからこそ、ぼちぼちと強くなろうね!でいいじゃないですか~ニコニコ






とかいって・・・・・・・・シラー



今日の朝、息子が台所で叫んでいました。


『ママ~、カイちゃんのココア勝手に飲んだでしょーーー!

置いてあったのに~~っっ!!』



母なる私はすかさず、

『えーーっ!? そりゃあ放りっぱなしにした自分が悪い!

そんなに世の中は甘くないね!』



と言い放って去ってしまいましたパンチ!



息子はさらにギャンギャン床で吠えておりました・・・・。


きっと姑あたりが『ひどいママを持ったものね~』と共感してくれていたことでしょう。にひひ






 
子育していると、ふと自分自身の性格や育った環境を振り返ることってありませんか?

息子はエネルギーに溢れていて、お調子者。
私が口をすっぱくして「調子にのりすぎ!」と息子に発している言葉は、そのまま私が子どもの頃に母から言われていたことですシラー


私のこども時代は、エネルギーがつねに外へ向いている感じの外向的タイプ。

アイデア命で、グループで作業する際にもだいたいは私のアイデアが採用されるも、じっくりと考え実際に実行に移すのは大の苦手でどうでもいい・・・得意げ

今でもいろんなアイデアは次々と浮かんでも、それを実行に移す忍耐力や計画性に欠けているので、結局妄想だけの人です。笑



母は小さいころから私の良い部分を誉めることなく、苦手とする部分や劣っている部分を必死で埋めようとする教育を受けました。

親や先生の言うことに大きな影響を受けていた私は、どこか自分に足りないところ、もしくは人より劣っているところがあるといつも感じていて、その頃から社会に合わせて自分が出ないように抑えてきた人生でした。

そんな偽りの自分に少し疲れたこともあって、しがらみのないアメリカに来ることにしました。

もちろん自由の国アメリカに来ても、じっくり考えなければならない場面に遭遇して自分の器量を試されることもあります。

しかし今になって立ち止まってみると、やはりこどもの頃からの基本的な性格は変わっていないことに気付きます。

そして今まで良い面を伸ばしきれず、苦手な部分は今だ苦手なまんまなんですよね・・・しょぼん



私は母親を責める気は全くありません。


社会の常識に沿ってその世代に生きた母が、こどものためを思って選んだ子育てのポリシーですし、私自身も自分らしく生きたいというエネルギーが十分にあれば、自分でいくらでも人生を変えられてきたでしょう。

しかし人生にはイフ(IF)はタブーですが、もし私が違う環境のもとで育ってきたなら今の自分とは全く違う人生を歩んでいただろうか・・・と思うことが子を持ってひしひしと感じるのも否めない事実です。



振り返ってみると、息子が生まれてからずっと彼のない部分を追っていたような気がします。

どうしてじっくり遊べないんだろう。
どうしてABCが覚えられないんだろう。
どうして・・・・どうして・・・・はてなマーク


親子が同じタイプのような場合は、こどもに自分自身をみると、「あーーやばい!これは治さないと~。私も苦労したから・・・」という気分になりますし、親子でタイプが違った場合には「なぜこんなことができないの?」といった思いが生じるかもしれません。



この世には外向的な人間と内向的な人間がバランスよく存在すると言われています。


外向的な人のアイデアを、じっくりと練り上げ実行していける内向的な人がいなければこの世は成り立たないですもんね。

そしてどちらもこなせる人間は案外いないものなのかもしれません。


そしてどちらのタイプもかけがえのない尊い人間なのです。



外向的な人はやる気に溢れ理解も早いけど、すぐに飽きてしまい一つのことをやり遂げるのが苦手だったりします。

内向的な人は興味がなさそうだったり、理解していないようでも、実は心の中でじっくりと考えをめぐらせて思考を深めることができます。

今さらどうして内向的なの?
外向的なの?
と責めてもしょうがないですね・・・・。
(とくに伴侶には求めがちですが・・・べーっだ!


親がこどもに求めることのひとつに、「人生を自分らしく幸せに生きてほしい。」という期待があるかもしれません。

人生にはいろんな波がおそってきますが、その波を超えられるパワーの源は「自分らしくあること」だと私は思います。

自分を偽って強がってみても、根のない大木と一緒です。

自分らしく生きるところに本来の強さが宿るのではないでしょうか。

親としてこどもの素質を見極めて、そっと見守ってあげるのはとても大事だと思います。


とかいって・・・、

今日も何度言っても「みどり」と「黄色」の区別がつかない息子の背中に向かって、大きなため息を浴びせてしまったことに大反省しました~。

だって最近の息子は「NO!」と言う代わりに、「OBJECTION!(異議あり)」といいながら挑んでくるのですが、覚えるなら「黄色」が先じゃないの~??


でも彼には「黄色」と「みどり」を比較してじっくり観察するなんていう行動が伴わないのです。

きっと私が「あの人、黄色的にかっこいいわ~♪」なんて黄色の服を誉めてみれば、直感で物事を感じたり、判断する息子はきっと、「その言い方頂きました!」ってことですぐに覚えるのでしょうがそれもなんだか許せない・・・笑得意げ


その直後にニュースをみながらオットに聞きなれない単語の意味を聞くと、それって結婚してからもう何十回も同じこと聞かれてるんですけど!とあきれられてしまいました。



外向モノも内向モノも、開き直って幸せに生きましょう!!ニコニコ








1歳半のH君とママが来てくださいました~。ニコニコ

H君は新しい場所と人に少し警戒しながらも、興味が行動に溢れ出る男の子でした。

新しい何かを見つけに歩いては、リセットしにママのところへ帰ります。

ママが愛情いっぱいにH君を見守っていていらっしゃるのをみて、こんなママだからこそH君はのびのびとして自立と甘えのバランスが上手にとれたお子さんなんだな~と感じました。

こちらの準備が十分でなかったにもかかわらず得意げ、H君は時々笑顔を見せてくれてとても楽しい時間でした。

またH君の世界が少しずつ広がっていく様子に私はとても感激していました~。ニコニコ

また何かの形で再会できることを願っています!