うちの息子はよく泣きます。
朝から晩までよく泣き、3歳になった今でも夜中にちょいちょい起きて泣いてくれます
。
おしゃべりしていないと気が済まない性格でもあるので突然夜中に起きると、
『今は怖いとか、寂しいとかいう気持ちで泣いてるんだけど~』
としゃべりながら号泣です・・・
。
子どもが泣いたり、何かの局面に差し掛かった際には、親の声がけが重要となってきますよね。
親御さんの性格も十人十色なら、その声掛けもイロイロ。
こどもが転んだときなどは「大丈夫! 痛くないよ!」と励ます人や、
「あ~かわいそうに~!」と急いで駆け寄る人もいます。
私のモットーでもある「子育てに王道はなし!」いう言葉どおり、これまた上の状況においての正解答はないわけです。
明るく太陽のようなママに「大丈夫!」だといわれれば大丈夫な気分になるだろうし、優しい愛情に溢れたママに「大丈夫?」と聞かれればそれだけで傷は癒されるわけです。
しかし人間の基本って何だろう・・・と、もう少し深く、そしてもう少しだけシンプルに思うことが子育てや仕事をしていてあります。
子ども、大人に関らず生きているとウォーーーと叫びたくなることや、やたらとネガティブな気持ちを引っ張られる出来事があります
。
もちろん嬉しいことも、その後を追いかけるようにやってきてくれるわけです
。
その凝縮が人生ってものだと思うのですが、その時々をうまく乗り越えられるキーポイントが人からの『共感』だったりするのではないかと思うのです。
こどもに関しても、実はほめられるということより「共感」してもらうということが成長に大きく影響しているのではないかと、こどもを実際に見ていて痛感するのです。
いきなりですが、こんな夫婦の会話を想像してみてください。
夫: 『いたぁぁぁーーーーいっっっーー!!
足の小指をたんすの角でぶつけたんだ
よ~っっ!!!!!』
妻: 『痛くないよ! 大丈夫!』
夫の気持ちはきっと・・・・
お前にこの痛さの何がわかるーーーー!!!
一回、足の小指になって、
たんすの角に頭から突進してみろーーーっ!
でしょうか・・・・
調子に乗ってもひとつ、夫婦編の例題行ってみましょう
妻:『今日ね、隣の奥さんに「コンニチハ」って挨拶したんだけど、完全に無視されちゃったのよ~。』
夫:『お前の声が小さかったんだよ~。
お前は家では声がでかいけど、外へ行くと蚊が泣くような声しかでないんだから。』
妻の気持ちはきっと・・・・・
声の大きさだけが特技のあなたに言われたくない・・・
。
かもしれません。
もしご主人が「そうか~、それは気分が悪かっただろうね~。」と言われたら、その時点で早くも妻側の会話は気持ちよく終了~!だったのではないでしょうか?
そのあとご主人がどんな貴重なアドバイスを呈してくださろうとも、そこはあんまり重要でない可能性もあり・・・・^^;
基本は誰かにそのもやもやの気持ちを聞いてもらいたかったのではないでしょうか?
子どもだって同じです・・・だって・・・小さくっても人間だからです・・・。
痛いものは痛いのです!
悲しいものは悲しいのです!
親としては強い人間に育って欲しいという願いから、厳しく叱咤激励を飛ばす方もよくお見かけしますが(小学生になればそれも必要でしょうが)、幼児のうちは子どもに共感するだけでいいと私は個人的に思っています。
痛いと泣いていたなら、「痛かったね~」と子どもの言葉を繰り返し、欲しいものが買ってもらえなかったら「欲しかったんだもんね~」と気持ちを代弁してあげると子どもの気持ちはすーーっと解消されると同時に、
自分はまるごと受け止められているんだな~という気持ちから安定感が生まれます。
(受け止められると余計に泣き声が激しくなる場合あり。
)
こんなえらそうなことを書いている私も、以前は職場でこどもに良かれと思い、とにかく強くなれ!頑張れ!と励ましていました。
しかし障害者の子ども達と仕事で関ってから、目からうろこが落ちるような心境に陥ったのです
。
泣き叫ぶ障害児に『泣かないで~!』と言いたくても、言葉が一生出ないであろう子どもに泣くことさえ許さなかったら、
彼女たちの気持ちはどこへ持っていけばいいんだろうか?と切なくなることも多々あり・・・。
乱暴なこどもに『お友達と遊びたいのだったら、そう言葉で言ってごらん!』と諭したくても、コミュニケーション能力に障害がある子どもは私の諭しの言葉さえも理解できないとわかり、その場でひれ伏すこともあり・・・。
しかしそのうちに、その子どもたちにそーっと『泣いていいんだよ。』とか、
『お友達と遊びたかったね~。本当はたたきたくなんかないんだよね。』
と声をかけるだけで、重障害を持つ言葉を発しない子どもたちさえもすーっと落ち着いていくのを実感したのです。
「悲しい」や「悔しい」という一見ネガティブに聞こえる気持ちをしっかり受け止められるようになることが、「強くなる」第一歩である気がします。
反対に自分の気持ちをそのまま素直に受け止められないでいると、「強くなりたい」という思いだけが先行して、どうしても沸きあがってくるネガティブな気持ちに悩まされてそのギャップに人は振り回されてしまうような気がします。
(それが原因で大人になってからウツになる人もいますしね・・・・)
子どもに対しても強さを求めるばかり、人間の生まれ持った弱さを無視することはできません。
人間は弱いからこそ、ぼちぼちと強くなろうね!でいいじゃないですか~
。
とかいって・・・・・・・・
今日の朝、息子が台所で叫んでいました。
『ママ~、カイちゃんのココア勝手に飲んだでしょーーー!
置いてあったのに~~っっ!!』
母なる私はすかさず、
『えーーっ!? そりゃあ放りっぱなしにした自分が悪い!
そんなに世の中は甘くないね!』
と言い放って去ってしまいました
。
息子はさらにギャンギャン床で吠えておりました・・・・。
きっと姑あたりが『ひどいママを持ったものね~』と共感してくれていたことでしょう。
朝から晩までよく泣き、3歳になった今でも夜中にちょいちょい起きて泣いてくれます
。おしゃべりしていないと気が済まない性格でもあるので突然夜中に起きると、
『今は怖いとか、寂しいとかいう気持ちで泣いてるんだけど~』
としゃべりながら号泣です・・・
。子どもが泣いたり、何かの局面に差し掛かった際には、親の声がけが重要となってきますよね。
親御さんの性格も十人十色なら、その声掛けもイロイロ。
こどもが転んだときなどは「大丈夫! 痛くないよ!」と励ます人や、
「あ~かわいそうに~!」と急いで駆け寄る人もいます。
私のモットーでもある「子育てに王道はなし!」いう言葉どおり、これまた上の状況においての正解答はないわけです。
明るく太陽のようなママに「大丈夫!」だといわれれば大丈夫な気分になるだろうし、優しい愛情に溢れたママに「大丈夫?」と聞かれればそれだけで傷は癒されるわけです。
しかし人間の基本って何だろう・・・と、もう少し深く、そしてもう少しだけシンプルに思うことが子育てや仕事をしていてあります。
子ども、大人に関らず生きているとウォーーーと叫びたくなることや、やたらとネガティブな気持ちを引っ張られる出来事があります
。もちろん嬉しいことも、その後を追いかけるようにやってきてくれるわけです
。その凝縮が人生ってものだと思うのですが、その時々をうまく乗り越えられるキーポイントが人からの『共感』だったりするのではないかと思うのです。
こどもに関しても、実はほめられるということより「共感」してもらうということが成長に大きく影響しているのではないかと、こどもを実際に見ていて痛感するのです。
いきなりですが、こんな夫婦の会話を想像してみてください。
夫: 『いたぁぁぁーーーーいっっっーー!!
足の小指をたんすの角でぶつけたんだ
よ~っっ!!!!!』
妻: 『痛くないよ! 大丈夫!』
夫の気持ちはきっと・・・・
お前にこの痛さの何がわかるーーーー!!!
一回、足の小指になって、
たんすの角に頭から突進してみろーーーっ!
でしょうか・・・・

調子に乗ってもひとつ、夫婦編の例題行ってみましょう

妻:『今日ね、隣の奥さんに「コンニチハ」って挨拶したんだけど、完全に無視されちゃったのよ~。』
夫:『お前の声が小さかったんだよ~。
お前は家では声がでかいけど、外へ行くと蚊が泣くような声しかでないんだから。』
妻の気持ちはきっと・・・・・
声の大きさだけが特技のあなたに言われたくない・・・
。かもしれません。
もしご主人が「そうか~、それは気分が悪かっただろうね~。」と言われたら、その時点で早くも妻側の会話は気持ちよく終了~!だったのではないでしょうか?
そのあとご主人がどんな貴重なアドバイスを呈してくださろうとも、そこはあんまり重要でない可能性もあり・・・・^^;
基本は誰かにそのもやもやの気持ちを聞いてもらいたかったのではないでしょうか?
子どもだって同じです・・・だって・・・小さくっても人間だからです・・・。
痛いものは痛いのです!

悲しいものは悲しいのです!

親としては強い人間に育って欲しいという願いから、厳しく叱咤激励を飛ばす方もよくお見かけしますが(小学生になればそれも必要でしょうが)、幼児のうちは子どもに共感するだけでいいと私は個人的に思っています。
痛いと泣いていたなら、「痛かったね~」と子どもの言葉を繰り返し、欲しいものが買ってもらえなかったら「欲しかったんだもんね~」と気持ちを代弁してあげると子どもの気持ちはすーーっと解消されると同時に、
自分はまるごと受け止められているんだな~という気持ちから安定感が生まれます。
(受け止められると余計に泣き声が激しくなる場合あり。
)こんなえらそうなことを書いている私も、以前は職場でこどもに良かれと思い、とにかく強くなれ!頑張れ!と励ましていました。
しかし障害者の子ども達と仕事で関ってから、目からうろこが落ちるような心境に陥ったのです
。泣き叫ぶ障害児に『泣かないで~!』と言いたくても、言葉が一生出ないであろう子どもに泣くことさえ許さなかったら、
彼女たちの気持ちはどこへ持っていけばいいんだろうか?と切なくなることも多々あり・・・。
乱暴なこどもに『お友達と遊びたいのだったら、そう言葉で言ってごらん!』と諭したくても、コミュニケーション能力に障害がある子どもは私の諭しの言葉さえも理解できないとわかり、その場でひれ伏すこともあり・・・。
しかしそのうちに、その子どもたちにそーっと『泣いていいんだよ。』とか、
『お友達と遊びたかったね~。本当はたたきたくなんかないんだよね。』
と声をかけるだけで、重障害を持つ言葉を発しない子どもたちさえもすーっと落ち着いていくのを実感したのです。
「悲しい」や「悔しい」という一見ネガティブに聞こえる気持ちをしっかり受け止められるようになることが、「強くなる」第一歩である気がします。
反対に自分の気持ちをそのまま素直に受け止められないでいると、「強くなりたい」という思いだけが先行して、どうしても沸きあがってくるネガティブな気持ちに悩まされてそのギャップに人は振り回されてしまうような気がします。
(それが原因で大人になってからウツになる人もいますしね・・・・)
子どもに対しても強さを求めるばかり、人間の生まれ持った弱さを無視することはできません。
人間は弱いからこそ、ぼちぼちと強くなろうね!でいいじゃないですか~
。とかいって・・・・・・・・

今日の朝、息子が台所で叫んでいました。
『ママ~、カイちゃんのココア勝手に飲んだでしょーーー!
置いてあったのに~~っっ!!』
母なる私はすかさず、
『えーーっ!? そりゃあ放りっぱなしにした自分が悪い!
そんなに世の中は甘くないね!』
と言い放って去ってしまいました
。息子はさらにギャンギャン床で吠えておりました・・・・。
きっと姑あたりが『ひどいママを持ったものね~』と共感してくれていたことでしょう。
