2023年2月25日(土)

 

勤務先での打ち合わせの場で、「言語化」とか「見える化」、「解像度を上げる」といった言葉を口にする方々を多く見かけます。

 

そのあとに続く説明を聞き尤もだと納得するのですが、同時に「そんなに格好付けて言うようなものか」と心の中で呟いてしまう私がおります。

 

「言語化」と聞きますと、何となく高度な印象を受けますが、要するに「認識していること、考えていることを、言葉にして皆が分かるように具体的に表現して下さいよ」ということですよね。他者に分かるように働きかけなければ、周りの理解は得られませんし動きませんのは、当たり前の話です。

 

「見える化」「見える化」といいますが、この言葉を企業文化として使用しているところを除けば、「可視化」がより自然ではないでしょうか。誰の目にも見えるように可視化の手間を惜しまず、物事を把握・分析して状況を具体的に表現して下さいということです。

 

「解像度を上げる」については、「経営の解像度を上げる」などのように使用して、これも然も高邁な表現に仕立て上げられる場合もありますが、要は

「企業経営をする上で重要なポイントが現時点で経営者に十分に示されたり伝えられたりしていない。これにより正確な経営判断ができないことは問題だ。

であるから、経営者が知りたいときにはいつでも、分かりやすい形で、それらを示せるようにするように。そうすれば経営者はより的確な経営判断ができ、企業を発展させることができるのだ。」と言いたいのではないのでしょうか。

 

経営者のようなリーダーは、社員へ方針を伝える際に、得てして象徴的・印象的な言葉を用いることがあります。これはリーダーとして部下を動かすメッセージを伝える上では必要なことです。

一方で、それを現場で実践する人々は、その意味するところを十分に噛み砕いて理解せずに、経営者の真似をして、宛らオウムのようにそれらの言葉を安易に用いると、そのコミュニケーションは伝わっているようで伝わっていない、意味のないものになるのではないかと思うのです。

象徴的な言葉は、個人間で理解や認識に差があり、人それぞれが都合の良いように解釈しますから。

 

畑村氏の本書籍の中でも、「人間は見たくないものは見えない性質がある」とあります。逆の言い方をすれば「自分の見たいように現状を解釈する」性質となります。

 

太平洋戦争、戦後の復興、いずれも前半戦は好調でした。

しかし、太平洋戦争では、開戦前から「最初の1年までは大丈夫」と山本五十六が言っていたように、長期戦ではアメリカに敵わないことは識者には最初から見えておりました。

戦後驚異的な復興を遂げ現在に至る過程でも、1980年代後半からの経済バブルとその崩壊以降の長期低迷、アジア諸国の台頭以降は、「技術立国日本」「世界第2位の経済大国日本」は過去の栄光になっているのに、その気持ちを完全に吹っ切りことができていない人が私を含めて少なからずおります。

 

現在の日本や世界の抱える問題についても、できれば考えたくないものがかりですし、これらは一個人でどうにかなるものでもありません。しかし、祈ることはできます。

 

せめて自身の人生や所属する組織の行く末のことくらいは「見たくないから見ない」で済まさずに、あるべき姿から目をそらさずに、体を張って進みたいものです。