人間には知覚というものがある

目で見て、
耳で聞いて、
鼻で嗅いで、

様々な手段で人や物を捉え、その概要を把握する

逆に言ってしまえば、知覚出来ない得体のしれないものを畏れ、恐怖する










それは気付いたらやってきていた



どれくらい前だろう
友人と別れ、一人で歩き始めてからだったならば10分程度だろうか

なんら変わりない暗いというだけの見慣れた道

しかし、ひりついたような空気と全身の毛穴から滲み出してくる汗に違和感は感じていた
まるですぐ後ろであざ笑っているかのようだ











GEOを越えて警察署にさしかかった頃に奴は突然牙を剥いてきた















お 腹 が 痛 い







完全なる便意である。










否、言うならば完全なる便意である。








これが微々たるものであったならばどれほどよかったであろうか

私が武田氏ならば奴は織田の軍勢

長篠合戦の如く、便意の騎馬隊が私のケツの本陣に今まさに駆け下りてこようとしているのだ!





既に日も暮れ、開いている店もない





万事休すっ…





もしここが地下労働場ならば何万ペリカを払ってでもトイレ使用権を買っただろう









どうする…
いまからGEOに戻るか…
いやっダメだ
トイレが空いているという保証はないっ…!








歩こう…
俺たちの楽園(エデン)まで…









一歩(幕ノ内)、









また一歩(幕ノ内)と歩みを進める










ここで終わるわけにはいかない
もしここで負けたならば大切なもの
というか成人男子として大変なことになる

仮にリミット限界に来て一人野外フェスをしたとしよう









もし見られたらどうする!?

「it's now or never」

とでも言えと?

やるなら今しかねえ…

ってやかましいわ!





そんなことを考え、かつ、腸に刺激を与えないように2ステップ気味に自室の前にまでたどり着いたのだ






僥倖っ!
腹が治まってやがるっ!





一刻を争う中、鍵を突き刺し、左に回すっ!



ドアは開いた!
衣服をルパン三世よろしく脱ぎ捨て、銀のレバーを下げた




















いま、ここに、新たなアレが着水した。



マジで間にあってよかった…

理想と現実というものは大概かけ離れているものである。

幼少のころはスポットライトを浴びて華やかなステージで歌うと言う夢があっても、

現実では中小企業でデスクワークをするのが関の山。


夢というものは持っていても自身に重くのしかかり、

ないならないでどこか物足りないものである。


女性の体系がスレンダーであると言うほどいいというのはここ十数年において日本において変わらない考え方だ。

実際、欧米などにおいては


「日本人は痩せているのに、まだ痩せようとする?

これはどういうことなんだい?

おいおい、ルーシー。別に君に対する当てつけなんかではないよ。

君は確かに痩せてはいないが、そのグラマラスなぼdh、おい、ルーシー、

その手に持っているのはなんだいルーシー。

なんでまた君はその手にスミス&ウェッソンなんかもっt、ルーシー!

ちょっと待てルーシー!ルゥゥゥゥゥッゥシィィィィィィーーーーーー!」


とも言われている。


日本人はそこまで痩せた女性を魅力的に感じるのであろうか?


私は確かに痩せているほどいいが、周りの友人たちに共感は得られない。

むしろ、飲み会の場でそのことを言ったらば、同席した女性の友人たちに糾弾され、頬に一筋の雫すらも流れてしまった。


そう、別に痩せているよりも適度にふくよかな方が女性的で魅力的ではあるのだ。

故にかつての日本社会においてはおしりの大きな女性がいいとされた。

それは骨盤が安定しており、安産型だからと言われている。

かつての家制度のよって女性は後継ぎを生むことこそが正義とされていたからだ。


しかし、現代においては代々続く旧家ならまだしも、女性の権利も主張され、そんなことを重んじるわけでもない。

女性の本能に従い、良き家庭を作るのが正解でもあり、自らの可能性を試そうと仕事や夢に生きることもけして間違いではない。

キャリアウーマン万歳。なんなら養ってください。


だいぶ話は脱線したが、結局のところ、痩せていること=男性側から見た理想の女性像ではない。

しかし、それは標準以上にふくよかな女性がモテるということにイコールではないのだ!


たしかにそういう趣味の人もいる。全体のボンキュボンより、ボンボンボボンボンボンボヨシコイ!が好きな人もいる。

だがそれは少数派だ!マイノリティだ!そこの勘違いをすると大変なことになる。

自身の中学生時代、B-BOY全盛期に触発され、首から目覚まし時計ぶら下げていた私ぐらい大変なことになる。


結論としては、健康的な標準体型の人がモテるのだ。

だから、ふくよかな人は健康的に痩せよう!

痩せている人は健康的にふくよかになろう!


そんなことを自分の腹を鼓にしながら考えている。


僕の周りにはオタクが多い。
まあ、なにを持ってしてオタクというのかと聞かれたら甚だ疑問ではあるのだが。

とにかくアニメや漫画が好きな人が多いのだ。
僕はアニメはそんなにではあるのだが、漫画が大好きだ。
アパートの漫画を100冊近く処分したが、優にダンボール2つは残っている。
ジャンルも特に限らず劇画から少女漫画まで、幅広く、あぶさんから君に届けまでなんでもござれだ。
最近特に感じることは少年漫画と少女漫画における恋愛観のギャップである。
少年漫画では、なんの変哲もない主人公が突如ハーレム状態におちいる通称赤松状態が多く、恋愛漫画に置いて、好きな人の為に努力するということは稀である。
しかしながら、少女漫画では基本的に主人公は可愛い、もしくは可能性を秘めているポテンシャル型が多いのだ。

つまり、少年漫画においては主人公に変化はないまま突然女の子にもてはじめる。少女漫画では、隠れた魅力が開花され、努力の末に成就する、というのが定石である。
そして、その恋をする相手という者は総じて理想の具現化である。

このような事態から男女における恋愛傾向の違いが読み取れるのではないだろうか。

そして、漫画という余りにも偏った情報源からこのような類推をするということが自らをオタクかつ、奇人であると露呈しているような物ではないだろうか。

高校時代は漫画やアニメが好きということを同性の近しい友人以外にはひた隠しにしてきた。
もちろん、モテる上でマイナスの材料となると信じていたからである。
しかし、その努力も虚しく狙っていた他校の女の子にバンドの話をしていたら、
「あんた音楽オタクじゃん」
と一蹴されたことは良き思い出であり、公園でそのまま振られたのもしかりである。
最近、mixiに足跡が付いていたことで若干思い出したことは一切関係ない。

ママになっていたのも一切関係ない。




関係、、、ないんだ。。。