ドバイについてから13日経過。

毎日の3度の食事はひとりで食べている。


ひとりでお皿だけを見て無口で食事を続けることがこんなにも苦痛なことなのか 



ホテルに滞在している間、3食は会社がもってくれるビュッフェで食べれる


もちろん感謝している。


でも、無料のビュッフェよりも、自分で頑張って稼いだお金で買った食材で自分で調理したご飯が食べたい。



心底恋しい。



わたしはやっぱり東京などで一人暮らしは絶対にできないと思う。さみしさで死んでしまうと



どんなに辛い状況にいたり、悩みがある人でも、

一日が始まったとき、一日が終わる前に、共に食事をしてくれる相手がいるのなら、あなたにはひとつとても大きな幸せがあるということをわかってほしい



ひとりぼっちで食事をしている人がこの世の中にはたくさんいると思う


誰かと食卓を共に囲んで、会社や同僚の愚痴でもなんでもいい、会話があり笑顔があり、そういった時間があなたにあるのなら、わたしはいいなと思う



ベンツに乗れる人や高価で素敵なジュエリーを買える人に対しての妬みや嫉妬はないけれど、

そういう食事ができる人達のことはものすごくとうらやましい














わたしは昨日シモーンにSMSを送り、近いうち遊びましょうと誘った


すると「じゃぁ早速明日の夜はどう?」とめちゃくちゃ嬉しい返事がきたので、”Of couse!”


昨日から楽しみにしていたし、今日は予定も入れないで夜まで待っていた



でも結局シモーンからSMSがあり、今日はLong Dayでとても疲れているからキャンセルさせてと



残念だけど、だからといって昔のわたしのように、

「は?最低ー!」

とは思わない。



本当にピュアに、彼女たちと会うことを楽しみにしていただけなので、

彼女が疲れているから今日は無理だといってきたことに怒る要素はない。



あーー大人になったんだわたし。


すごく大きな変化だ。。。。すごい。人間って変わるんだね、



彼女とはまた近いうち、会えるだろう。


そして今日とつぜんい空いた夜の時間、わたしは化粧もする必要もなくなったし、髪の毛をカールする必要もなくなったし、ド暑い外を歩いて地下鉄に乗る必要もなくなった代わりに、


部屋着でリラックスしながらこうして文章をかき、ワインを飲み、ゆったりと休息することができている




だからいいのだ。




中東発! 裸で地球を生きる Eimee's Diary-kinokuniya

(紀伊国屋。とてもモダンな作り。漫画も日本の単行本もたーーくさん揃っていて驚く)







中東発! 裸で地球を生きる Eimee's Diary

最近またひとつの出会いがあった


そして彼女はわたしのルームメイトになる。



先週、わたしは本当に精神的にしんどくパソコンスクリーンにしがみついていた。

FacebookにMSN、Hotmailにあらゆるコミュニケーション手段にたよって、いろんな人とチャットをしていた。



そんなとき、ニューカレドニアで同僚だったニューカレドニア出身フランス人のDamienがFacebookにいたので、声をかけてみた。

わたしたちは同僚とはいえ、友達というものではないので長いあいだ全く話してなかった。

今彼はモナコのホテルで働いている。


今ドバイなのよーーなんてお話をしているうちに、彼はドバイに一人知り合いがいると話してくれた。


その言葉にわたしはくらいつき、”紹介して!”


「彼女、フェイスブックにいるから、Addしなよ。俺の元同僚だよって言えば全然OKだからー」と。


彼女の名前はサラ。

すぐさまわたしは彼女にFriends Requestを出してみた。


次の日起きるとRequest Approvedになっていていたので、すぐ彼女にメッセージを送った。



世の中っていろんな人がいるよね、メールや携帯メールを受信してもすぐ返さない人、1分以内に返してくれる人。

わたしは受信したらすぐ返すタイプ。それに見知らぬ人でもけっこう慣れ慣れしく長文を書いてしまうタイプです。


サラは即効返事を返してくれた。サラはわたしと同じく、とてもフレンドリーで詳細にいろんなことを長く書いてくれた。全く知らない相手なのに。

そしてわたし即効返事を出す。

そして即効サラから返事がくる。


とってもスピードが合う!! こんなのめずらしい



そしておとといの木曜日、初めて彼女とCity Centerというモールのフードコートで会うことになった。

フードコートの大画面テレビには、南アフリカで開催されているワールドカップが放映されていて、

ものすごい人だかりができていた。


普段からどこを歩いてもむさくるしい男ばかりのこのアラブの国。よけいにむさくるしい空間になっている・・。



人ごみをぬけると、わたしはすぐサラをみつけた。すぐにハグ!

そのとなりには、フランス人の女の子Chloeが座っていた。


ふたりは今日初めて会ったらしい。Bonjour Dubaiというフレンチのドバイ在住者のための情報サイトで知り合って、友達になったんだって。


「やっぱみんなさみしいんだー」とおもった。

サラは22歳の学生インターンで、クロエはなんと20歳で2ヶ月だけインターンでフランスのリヨンから来ているとってもかわいい若い女のこ。


わたしは29歳なのだが、そんなことはここでは関係ない。

この3人がこの国でこの場所で今出会っていることの力がすごいとだけに圧倒されていた


クロエもドバイについて1週間で、わたしと同じく一人ぼっちさみしい時間を過ごしていた。


3人は初対面だったが、とっても良い雰囲気で全く初対面がしない。


こういうときがもっとも、「真剣にフランス語勉強しておけばよかった」と心底悔む瞬間だ。

わたしは英語が話せるので、フランス語にあまり重点をおかなかったせいで、全然フランス語が伸びなかった。




サラはたまたまアパートを探していて、その日そのまま彼女が最近みつけたというアパートを一緒に見に行くことになった。


わたしは、会社の社宅に入る予定でいたが、サラと訪れたアパートがすっかり気に入ってしまった。


1Bedroomなので、ベッドルームもシャワーも全てふたりでシェアすることになる。


わたしはシェアが大嫌いな人間で、裸でもなんでも好きなように一人で空間や時間を過ごせるのが好き。

エアラインのキャビンクルーは、基本ルームメイトとシェアになるので、それが嫌だという理由でいままでなろうとも思わなかったくらいです。


でも今のわたし、人肌恋しい。ルームメイトが嫌だとか言っている場合ではない。

ガス台も冷蔵庫もベッドもテレビもない空っぽの社宅に一人で入るよりも、

窮屈でも、家具があり話し相手のサラがいてくれる空間のほうがいいと素直に思えた



もし生活感覚が合わなかったらそのときは違うアパートを探せばいい。

とにかく今はこれが自分にとって一番いいチョイスだと思ったの



そう、「チョイス」。

すべてはチョイス。

なんだか、最近、チョイスすることが楽しい。

だって、チョイスするとき、いつも自分の頭脳と決意が働いている。

そう考えると、わたしは考える力のある責任をとることのできる人間なんだと感じることができる





サラとの出会いもこれまた地球の大きな力が働いて起こった奇跡であり縁である。


あの日Damienと話していなかったらサラとは出会えなかったし、

あのタイミングでDamienと話していなかったら、サラと住むことにはならなかっただろう


もしニューカレドニアでDamienと出会っていなかったら、もちろんサラとは一生出会うことはなかっただろう




今からだを通して、縁の力を感じる。

縁があり自分の人生に入ってきたひとつひとつの縁を育てていくこと、

そしてその縁をいかに上手に自分のために活用していけるか の重要さも感じる


こんなこと、正直これまでのわたしは考えたことなかった。こういうこと15歳から考えて生きている子も世の中にはいるんだろうな?

わたしは28年かかったよ。それでも気づけてよかったよ。人それぞれの人生で流れている時間は様々なのだから、「気づき」のタイミングはそれぞれに違っていいのだもん。



自分のこれまでの歴史の中で起きた出来事や人々との縁、なにひとつとして無駄にしないようにする



そうしたほうが自分の人生がずっと豊かになると感じる



そして、周りの人の人生をも豊かにできたら本当にすばらしい人生になるんだろう



















あーー久しぶりの休みだー!! 夜勤の仕事がこんなにも身体的にキツイものだとは、体験した人しかほんとうにわからないね。


夜勤でお勤めのみなさんに、すごい・えらいよ!のエールを贈りますヾ(@^(∞)^@)ノ 

特に女性は、生理のサイクルや、肌の調子がおかしくなってしまいそう

あたしも心配。実際、すでに変な体系になってる気がするもん( ̄_ ̄ i)

変な時間にご飯たべて、しかも夜中あいているのはハンバーガ屋さんだけなので。しかもジムにいく時間もないし気力もないのでかなり体によくない気がします



中東発! 裸で地球を生きる Eimee's Diary-metro


”仕事”という言葉・表現はなるべく口にしたくない。だからテーマをあえて「ワーク」にしてみた

わたしは正直、仕事が嫌い(大嫌いね)な人間です。

お仕事しなくても生きていける人がいるのならかなりうらやましいと思う。(思っていた)

でも、今のわたしに、Workはとっても必要で、わたしが生きていける糧。

Workがなかったら、住むところもないし、食べるものもない。この異国の地で、自分という人間を正当化できる、自分に価値というものを与えてくれる唯一のものがWorkなのだ。


”生きるために、お金をもらうために時間を割く、その時間の中でするタスク”というスタンスで見ている。

それに、”Work”っていう言葉すき。”Work it”とか”Work out”とか、自分にとって良い影響を与えてくれるような響きがするから




わたしの勤務時間は夜の10時半から朝の7時半まで

7時半に帰宅して、なにもたべずにシャワーをあびて即効ベッドに入ります。

でも外はもうすっかり明るく、うるさいDeiraの通りに面しているお部屋なので車のBeep音がすごく、寝ていられない。それに今は昼間にアパートのことで電話がかかってきたり、HRの人に連絡を入れなくてはいけなかったりと、Settle downするまで忙しいので昼は寝ていられない。ということで先日は48時間まるまる一度も寝ていなかったおかげで、勤務中はもう目がしょぼしょぼだった。本当に”しょぼしょぼ”っていう表現が適切!

先輩は同僚の方にはほんとうに申し訳なかったが、本当に寝てしまう寸前の状態で仕事をしていた


そしておとといも今日も、別れたアメリカの彼から11時に電話がかかってきた。

わたしが夜勤あけで帰宅した頃は、彼はアメリカで花の金曜と土曜日のNight Out中。

バーやパーティーのあとわたしに電話をくれるのははっきり言ってとてもうれしい。

6ヶ月がたった今でも、彼はまだわたしのことを許せないし、戻りたいとも思っていないと思う。

でも6年という長い間愛し合った相手として、わたしのこと、わたしの体、わたしの声、私の存在を恋しく思っているのだろう。こんなに遠いところにいても、伝わってくる。



彼とはMSNでのビデオチャットをした。わたしは夜勤あけで2時間しか寝ていないが、

彼から電話がかかってくるとおきてしまう。


パソコンスクリーンの向こう側にいる彼の綺麗な瞳にわたしは心ごと吸い込まれる。

「この人が愛おしい」 と思う。

会いたい、今すぐに。


彼は「ドバイに行こうと思ってる」 と言った。


この彼の言葉だけでわたしはあとこれからの24時間を温かい気持ちで過ごせるとわたしは感じた。



それでもわたしは100%期待してはいないし、してはいけないことを自分の身をもって・経験によってよくしっている。




今日の朝も夜勤あけ、彼と話した。

わたしは彼との距離が近く感じるから、チャットはしたい。顔をみることもとてもうれしい。

でもこのまま二人が戻らないのなら、こんなことをしていることはおかしいし、自分を駄目にすると思っている


彼とチャットをしたあとわたしはベッドに戻ったけれども、罪悪感で気持ち悪くなりとても寝付けなかった。


そう、わたしは最近自分自身をリスペクトするということの大切さを学んでいるから・・。

自分があとになって後悔すると思うことを自分にしてはいけない・チョイスしてはいけない




何度も何度も、彼とのことは考えないようにしてMove Onしよう、Think forwardしようと自分で自分を励ましながら、泣きながら、苦しみながらもこの6ヶ月を過ごしてきた。


もし今わたしと彼が意味のないチャットや電話での会話をしているのなら、

わたしはこれまでの自分に対してのリスペクトがあまりにもないことになる。


今まで苦しみながらも頑張ってきた自分を裏切っていることになる。



でも、これも、もしわたしが「自分」をいうものをしっかりわかっていて、ぶれない強さや信念をもっているのなら、

いくら彼とチャットをしても電話をしても、別にいいのだ。


彼がドバイに来るとか会いたいとと言ってきたあとで後になってやっぱり戻れないグッドバイと言われすべてが完全に終わる日がきたとしても、


「彼がいなくても、地に足がついてしっかり根をはって強くいきていける自分」をいう確かなものをわたしがもっているのなら、別に問題はないのだから。




今わたしが欲しいのは彼ではなくそんな自分。

と言い切ってしまったら、嘘になる。もちろん、彼と戻りたくて仕方がない。またわたしだけのものになってほしい。


でもそれは、What I wantであって What I needではない。


「彼がいなくても、地に足がついてしっかり根をはって強くいきていける自分」


になることがわたしのPriorityであり、What I needなのだ。


いままでわたしは What I want to doなことをして自分の人生を運転してきた、けど

今年29歳になる自分、 What I need to doなことをちゃんとして生きていきたいと


いままでと同じわたしで彼を取り戻したとしても意味がないし、取り戻したくない



「彼がいなくても、地に足がついてしっかり根をはって強くいきていける自分」


という自分になれた上で、はじめて相手に与えることができ、相手を愛せるとおもう。

そして相手に愛してもらう資格があると思う。



自分も他人も認める、「愛する価値のある女・人間」になりたい




















二コールの家に伺うまえに少し時間があったので、モールにかけこみ、ちょっとしたお土産にとクッキーやチョコレートを探してみた。


けど、日本のデパ地下ようにはいかないので、ギフト用箱入りのかわいいスイ-ツ系は売っていない上に

UAE移住暦10日目のわたしは選択肢がなさすぎる。



なので、以前二コールが連れて行ってくれたカフェにて、クッキーとコーヒー豆をむりやり箱詰めにしてもらった。

二コールはここのコーヒーは好きと言っていたから。



さて、本日のコースの開催者であるイタリア人の女性がやってきた。


彼女の名前はChen Clarke。 Holistic Therapistだ。

アイルランド人の彼女はイタリアに住んでいる。


そしてもうひとり素敵な女性が隣に立っていた。

彼女の名前はSimone。

Chenのお友達で、今日わたしと同じく初めてこの手のコースを受講するらしい。

ドイツ人でドバイに住んでいるインテリアデザイナー。

独身と聞いて、わたしは飛び上がって喜んだ!! 「Let’s go out!」

彼女も、”あなた独身なの??” 「Let’s go out!」




今日のクラスはこの4人で揃った。わたしは正直に、わたしすごいと自分で自分をすごいと思った。

わたしは東北の田舎に生まれた日本人。英語は好きだけど一生第二外国語にしか過ぎない。

そしてわたしはアラブのドバイにいる。周りはみんな外国人で、英語でセラピーを受けている。

すごいこの空間、瞬間がすごいと感じていた。




クラスは、人前でプレゼンテーションしたりするとき緊張したりナーバスになったりするかという話から始まった。


世界中に自信をもっていえる程に、わたしはものすごいStage frightの持ち主で、人前でのスピーチやプレゼンテーションや全て避けて生きてきた。中・高校の国語の授業で先生に朗読しろと当てられた際も、わたしは極度の緊張のせいで誰にも聞こえるほどに声が見事に震えた。汗もかくし手も震える。


と思いきや、二コールもシモーンも”わたしも苦手、人前でスピーチとかもう頭が真っ白になる”と言っているではないか。

驚いた。二コールもシモーンもとても自信に満ち溢れている女性に見える。



そこで、シェンは”じゃぁ、あなたたち車で運転してるとき、シャワー浴びているとき、部屋に一人のとき鏡の前で、歌を歌う?”と聞いてきた



わたしたちは、いっせいに、”もちろん!大好きよあの感じ”


わたしも一人のとき、めちゃくちゃ気分よく熱唱する。クリスティーナアギレラやマライアキャリーはお得意中のお得意。



シェイ、”じゃ一人でめちゃくちゃ楽しく歌ってるときの自分でどんな場面も生きれたらどんなにいいと思う?”




”ステージに乗って人前で歌歌える?”



みんないっせいに、”無理ーーー!”



じゃ、今やってみよう。今夜この場所で、そのFearから脱皮するのよ!



このクラスはやりたくないことは一切やらなくていいし、言いたくないことは一切言わなくてもいい。


It’s ALL up to meだから。

向上したいのも、改善したいのも、問題に直視したいのも、変わりたいと願うのも、変わるために頑張ろうとするのも、全て自分のチョイスだから。



二コールが手をあげ一番手に歌いだした。


恥ずかしそうで、照れ隠しのために真剣ではなく面白おかしく歌おうとしている。

わたしたちに対して”ごめん、ごめん”とも何度も言う。



シェイ、「他人にごめんごめんという自分、拭い去りたい?」

二コール、「YES」



彼女は何度も何度も歌った。シェイの数々のアドバイスとともに、みるみると二コールのパフォーマンスは自信に満ち溢れ、声のトーンもクリアになってきた。体も横に振るようになり、彼女自身が楽しんでいるということが伝わるようになり、こちらにも伝わってきた。


わたしはその間も自分の歌う歌と歌詞ばかりを頭の中で考えていた。(そんな自分、変えたい。人のパフォーマンスに集中したい)



次はシモーンが手をあげた。


彼女の問題は、極度のControl Freakだということ。

歌詞も、メロディーも完璧ではないと歌いたくない。


シェイは、歌詞がわからなくてもメロディーを忘れてても、なんでもいいから歌うことが重要。

他人にどう思われようが、自分が楽しんでいればそれでいいのよ と



シモーンも何度も何度も歌う。あるときから、彼女の態度は変わり、「FUCK IT!」というスタンスになったので、声も大きくなり、のどもひらき、体のフリも大きくなり、歌詞がどうであれ楽しそうに歌い始めた。


そう、シモーンは彼女の最大の課題であるコントロールしすぎる完ぺき主義なところを拭い去ることで、

殻から脱皮することができたのだ。




次はわたし。

わたしは何を歌おうかずっと考えていた。トレイにも3回行った。


自分にとって意味のある歌を選んでといわれていた。

思い入れがある曲のほうが感情や問題をあらわしやすいのだろう。


わたしにはこの2曲しか考えられなかった。大好きな彼に対する思いがあふれたこの2曲は、わたしにとってはとても大切な存在。


Daniel Bedingfieldの If you’re not the one

Shania Twainの From this moment on



でも自分のターンになる直前になぜか、わたしは

Christina Aguileraの I Turn to you を歌おうと思った



そしてリビングに仮説で作ったソファーのステージにたって歌うことをはじめた


これまでの人生でずっとそうだったように、わたしの心臓はすごく早いペースでどくどく動き始め、

手も振るえ、声も震え出した。(わたしの場合、ほんとうに声が震えます)



歌自体は下手ではないので歌はうまいなわたしと思いながらも(誉めるところは誉めておくこと重要)、

わたしの問題は緊張しすぎること。ナーバスになりすぎて本質に集中できないこと。



シェイ、「この曲はあなたにどういう意味があるの?」

わたし、「I sang this song as if he was here in front of me. I've always thought this song describes exactly how I feel about him. I've wanted to sing this song to him」


シェイ、「この曲を彼のためじゃなくて、あなたのために歌ってみて」

彼を想って歌うのでじゃなくて、自分のことを想ってこの曲を聴いたことも歌ったことも一度だってなかったのでためらいはあった。



わたしはシェイの言うように、観客のみんなからのエネルギーを自分の中に吸収し、そのエネルギーを自分の背中全体で感じ取り、そのエネルギーと地球の力を全て取り入れて観客にお返しする、といった感覚に自分をもっていき、歌い始めた。



すると、自分でも信じられないことがおきたの。


声もクリアで、胸の置くから声が出てくる。自分自分に訴えるかのように強く歌えるようになったの。

この曲の歌詞は、



わたしが辛いときや落ち込んでいるとき、いつもあなたが励ましてくれる

一人迷ったとき、あなたがいつも背中をポンと押してくれる


嵐をよけるシールドとして、明日を生きる強さとして、安心させてくれる友達として、わたしはあなたに寄り添う



と言ったような内容の歌詞。


わたしはこれまで6年間、いつだって歌詞の「YOU」を彼に置き換えて歌い、感謝してきた

今夜わたしは「YOU」をわたしに置き換えて歌ってみたら、

すごく大きく強いエネルギーが自分の体に走ったのだ。まるで熱のようだった。熱が自分の体中の血液中に伝導したような感覚で、鳥肌とはちがう、熱のような興奮が体中をめぐったのだった。



「わたしへの歌だよね。だっていつだってあたしを守ってわたしを元気づけて、背中を押してきたのはわたしじゃない!」

と、自分への感謝の気持ち、自分へのとてつもなく大きく愛おしい愛情を感じた瞬間だった。



わたしは泣きそうな感覚になり、興奮状態だった。

そして、二コールは感動で半分泣いていた。


「かのじょのこと、まだ1週間しか知らないしあったのも2回目だけど、ほんとうに彼女の中での変化を今目にした。彼女のためにとても今嬉しくて幸せだと感じる」といってくれた。



そんな彼女をみて、わたしはただただ「ありがとう」と感謝する気持ちとUndescribableでAmazingな気持ちでただただいっぱいになっていた。



そしてわたしはオーディエンスの視線や、彼女達がこちらに注目していることを心地よいとまで感じることができていたのには、自分が一番驚いた。


28年間の人生、わたしは人に見られること、注目されることをひたすら避けて生きてきた。

4年大学に進学しなかったのもカリフォルニア大学の規律で、スピーチのクラスをパスしないと進めなかったからだったし、歌うことだって好きだし女優にもなりたいとも夢みたこともあった。

けどいつだって、人の前にたつことが絶対に出来ないから無理だとすぐに諦めてきた。






他人の評価や、リアクションを気にすることにエネルギーを使っているのなら、

その分全てのエネルギーを自分自身の中に取り入れ感じ取ったほうが絶対に良い。

だって、絶対にそう。自分をわかってあげて、自分をがんばっただけ・がんばった以上に評価してあげて、優しい心で見守って、勇気と共に前に進んでいこうと出来るのは、自分しかない。




自分をリスペクトし、強く大きな愛情で自分自身を愛してあげることがどんなに大切なことなのかを、

わたしはこの機会に体感することができたのだった


わたしは昨日、とってもInterestingな体験をした。


一週間前に初めて二コールとお話したあの日に、今後こんなクラスがあるから興味があったらぜひ来てといわれていたクラス。


実際にどんなことをするか詳細はよくわからないのだけど、どうやら

”新しいものを吸収したり、自分にこれから必要なものを取り入れるためには、心の奥底に溜っているものを取り除く必要がある” そういうことをみんなで一緒にするクラスらしい。


-”Sort out and clear out your head to be able to start taking in what you need”-



275ディルハム(7000円)なので、貧乏なわたしは最後までしくじっていたのだけれど、

やっぱり当日になって、この機会をテイクしないでどうするのよ私!と思い、いくことにした。

時々、お金じゃない。こういうことだと思った。



二コールの家でホストするこのコースは、イタリアからスペシャリストの女性が来て実施された。



二コールの家には、メトロとタクシー。かなり遠い。ドバイはどこへもタクシー。日本よりははるかに安いが、チリも積もればで、月末にはタクシー代でほとんどなくなる気がする。



行き先は・・・・・・ なんと

PALM JUMEIRA宝石ブルー



自分がPALMの上に足をつける日が来るなんて。人生って面白い。

(Palm Jumeiraは、人工で作られたヤシの木の形をした島のこと)



二コールの家はすごかった。というかPalmに建っているというだけで、もうすごい金額だろう。

でも今のわたしに嫉妬や妬みという文字は心の中にまったく存在しない。

そのことには自分でも驚いた。


これまでのわたしは、昨年いやつい数ヶ月前まで、他人の持っているお金や豪邸やライフスタイルをやたらに妬んだり嫉妬したりする人間だった。もともとわたしは白人上位意識の塊の人間だ。


カタールにいるときに、お金もちの人たちの家にいくたびに、いいなーお嬢様は、とかヨーロッパ人は良いトリートメントをされて幸せねと思ってた。



でもPalmに建つ、南国風のソファーとゴルフの芝がある庭からオレンジ色の夕日が海に沈む景色が広がる二コールの家を訪れても、わたしは妬みを全くかんじなかった。



二コールの人柄がそうさせたのかな


失恋のおかげで、わたしの体内からすーーーーーーーーーっと嫉妬や妬む力が消えたことは確かだった。

彼へ向けて書いた手紙にも綴ったことなのだけれど、



I love every single person around me now. I have to love everybody to fill up the space where you used to own.

I used to feel jealous for many people and complain about many things.

Suddenly all the jealousy and complains are gone now.

When I feel jealousy or complain, it takes my happiness away from me.

When I can be happy for other people’s happiness, it gives me happiness.

When I appreciate in a small thing, it gives me warmth.

Then I can survive each day now without you.


今わたしは出会う人一人一人を愛する。

わたしの周りの人々すべてを愛することで、かつてあなたが所持していた空間を埋めることができるから

かつて、わたしはいろんなひとを妬み、いろんなことに対して不満を言ってきた

でも突然に、妬みや不満は消え去っていった

妬みや不満を感じるとき、わたしから幸福が逃げていく

人々が幸せなことに対して幸せだと思えると、幸福がわたしへと舞い込んでくる

小さなことに感謝ができると、わたしは温かい気持ちになることができる


そうすることで、あなたのいない今日という日を生き抜くことができるの





































こうして二コールとの出会いがあり、彼女がLife Coachになる過程であることを知った。



二コールとの出会いには素敵な運命のいたずらが隠れている。


わたしは5月、崖っぷちの精神状態のなか彼にあうためにアメリカへ飛んだ。

彼は家に入れてくれないといっていたので、わたしはダウンタウンにホテルを一泊とっておいた。

彼に5分でもいいから会いたいだけだった。ただただ、この6年間ありがとう、愛していたと伝えたかったから。


彼の町の飛行場に到着し、タクシー乗り場を探したがタクシー乗り場はない。

どうやらタクシーは頼まなくてはこないらしいので、インフォメーションのおじさんのもとにいきタクシーを頼んだ。

インド人の年老いたおじいさんは耳が遠く、何度かこちらの用件を伝えてはじめてタクシーを呼んでくれた。


わたしの後ろには一人の白人女性が同じくタクシーを頼むために並んでいて、彼女もわたしと同じくおじさんに、タクシーをヒルトンホテルまでと頼んだ。


そしておじさんからあのタクシーに乗ってといわれ、わたしだけが乗り合いのタクシーへと案内された。

”うしろに並んでた女性は乗らないのかな?”



そのまま乗り合いのタクシーにのりダウンタウンに向かった。タクシーの中には別の白人女性がのっており、

挨拶をかわしたあと、わたしはあまりにも正常ではない精神状態から彼女とお話することにした。

自分がこの土地にきた理由などをすべてさらけだして話した。彼女はビジネスでこの町に数日出張できたらしい。



15分ほどタクシーはハイウェイを走り、空港からダウンタウンまでもう半分きたというあたりで、運転手さんの携帯がなり、”もう一人お客さんを広いに空港まで戻らないといけないから、戻る。その代わり一人当たりの運賃安くする”といわれ、


もうすぐホテルなのにもかかわらず、U-turnして来た道を戻ることになった。



空港のArrivalについてわたしたちの乗るタクシーを待っていたのは、さっき列のわたしの後ろに並んでいた女性だったのだ。



彼女とわたしは目があうとすぐさまに、アイコンタクトでお互いに訴えかけた。

What the hell???” まさにこんな感じのアイコンタクト。



”あのインドのおじさんはなんであの時一緒に乗るよう言ってくれなかったんだろうね”

という会話から始まり、ホテルまでの間お話することになった。



先に乗っていた女性との会話同様、この町にきたPurposeを彼女ともお互いに話した。



わたしの語る内容に彼女はひどく驚いていて、”ワォ、あなたは勇敢な女性ね”と何度も言った。


Self-Estimeの低いわたしは、”勇敢なんかじゃなくて、ただただこういう風にしか出来ないんです”と答えていた。


もしわたしが昔のわたしだったら、彼氏もいて順調で幸せな心をもっていた頃のわたしだったら、

彼女とあんなにも積極的に会話をしようとしなかっただろう。



彼女の名前はPat。カナダのトロントの近くの町からビジネス会議のためにこの町にやってきたらしい。

彼女は50代の独身女性。

離婚をし、それまで長年住みなれたエドモントンを離れ・子供も残し、

女一人でケベック州に移り人生を一からやり直したという話を聞かせてくれた。

そして今彼女は”Life Coach ”という職業をもっている


人々が持つPublic Speaking(人前でスピーチをすること)への恐怖を取り除いたり、Courage勇気とConfidence自信を人々に持たせる内容の公演をしていて、全米中を飛び回っているビジネスウーマンなのだ!

自分の離婚の話、離婚後どうやって立ち直ったかを赤裸々に交えながら、

離婚や別れを体験した女性がその後の人生をどうやって強く生きていったらいいのかという本も出版している。

すごいでしょこの運命。。。


そして彼女は後に、この本をメールに添付してわたしに贈ってくださったのだから、人間の温かさとつながりというのは本当にすごい力だ。

実際ここまで親切に、してくれる人はそうはいない。



彼女と話をしているだけで大きなパワーを感じた。


かっこいい。良い意味で本当にたくましい女性がPatだ。



タクシーに乗るもう一人の女性もまた、”I’ve been there”(わたしも離婚経験者よ)


血色の悪く気力ゼロで落ち込んでいるわたしに対して、二人は”人生はいろいろあるよ、辛いことも起こるけど、

生きていくしかない。強くね”と言った。



そのときのわたしには、そうですよねと素直に思える気力もなかった。



わたしが単身ドバイに引っ越すことをしり、Patはこう言った。

”この間CaliforniaでのLife Coachの会議のときに、とってもラブリーな女性と知り合って、彼女ドバイに住んでいるのよ”


わたしは、”その方と知り合いになりたいです。紹介してもらえますか?”と聞いてみた。


Patは心よく、”もちろん。わたしたち女性は女性同士お互いを助け合っていかないといけないもの!”


そしてPatは名詞をわたしに渡し、”ここに連絡ちょうだい。あなたと彼女と紹介するわ。そして、あなたが彼と会えたのか、その後どうなったのか是非教えて”と言った。


そう、二コールは、そのタクシーでPatがわたしに紹介すると約束してくれた相手だったのだ。



わたしもまた、必ず連絡すると心から約束をした。


彼女と交わした言葉のひとつひとつも、最後に交わした約束も、わたしは何一つとしてお世辞やその場しのぎの言葉とは捕らえなかった。


全てがちゃんと意味をもった言葉、共に交わした会話なのだと感じていた




informationのインド人のおじさんがちゃんとした仕事をしていたら、Patとわたしはべつのタクシーに乗っていて彼女との会話は一生交わされなかったかもしれない

あのとき、フリーウェイをU-ターンしたのは、

わたしをどうしてでもPatに会わせようとした、目には見えないけれど確実に感じることの出来る大きな地球の力だった


今のわたしに必要なPatと出会わせてくれたPower of Universeだった


わたしとPat,

わたしと二コール

この地球上で、生きている人生の時間の中で出会うことになった

運命のいたずらがもたらした素敵な出会いの瞬間だった



どこから話をはじめていいのか迷ってしまうほどに、きっと神様がくれた運命のいたずらと地球の大きなパワーがもたらしてくれた出会いの数々があった。ここ最近のことばかり。


きっと彼という大きな存在を失ったことで、わたしの心やMindは世の中や人々を広い視野・広い心をもって感じたり”気づく”ことが出来るようになったのだ。



前にもお話したように、わたしはドバイに移ってきた時点でこの町に知り合いは一人もいなかった。


けれど、一ヶ月ほど前からドバイ在住のある一人の女性とメールのやり取りをしていた。


彼女はオーストラリア人で二コールという女性。ドバイには2年半ちかく住んでいるらしい。



わたしたちは全くの”Strangers”。会ったこともないし、お互いが何者なのかもしれないふたり。


失恋の深い傷を負った日本人の女の子が、知り合いもいないなか単身ドバイに引っ越してくる、ということで助けてあげたいと思ってくれたのかもしれない。彼女はわたしが日本にいる頃から、

彼女の電話番号やスカイプIDなども教えてくれて、とっても親切に親身になって(!!!両方とも字に”親”という文字が含まれている。深い)接してくれた。



さて、わたしがドバイについてみるとわたしは心と体で悲鳴をあげながら泣く日々が続いた。涙はこの過去2ヶ月間でもう完全に枯れているのでもう出なかったけど、見知らぬ国のインド街にあるホテルの部屋で一人、心が泣いていた。


そんなときも、二コールやSkypeやメールで”大丈夫?どうしてる?”と気遣ってくれるだけでなく、

実際にわたしのホテルの部屋に何度か電話までしてくれた。


メールやチャットで言葉をかけることは簡単にできても、なかなか電話までしてくれる人はいないよね?



ドバイについてから4,5日たってやっと彼女と実際に会うことにした。

Burj KhalifaのとなりにあるDubai Mallのスケートリンクの前で待ち合わせをした。

そこには、とってもラブリーな二コールという女性が笑顔でわたしに向かって歩いてきた。

お互いに、名前を確認することもなく、すぐにお互いが約束した相手同士なのだとわかった。



中東発! 裸で地球を生きる Eimee's Diary-burj Khalifa



その後わたしたちはコーヒーショップでランチをしながら3時間近くお話をしたの。


わたしはその日の朝、すごくしんどい精神状態で朝を迎えていた。

目覚めるとともに、心臓が別れた彼のことを想いだしながらどくんどくん動いていて、わたしの脳みそに声をききたいから電話しろと訴えた。

わたしたちは別れたあとも連絡はとっていた。

東北の地元から新幹線にのってドバイにくる日の朝も、彼から電話があって、彼の声からはまだ彼もわたしのことが好きなのだという想いはちゃんと伝わってきた。ただわたしは自分が起こした過去の出来事によってかなりの傷を彼の心に負わせてしまった。だから好きだから戻る、今後きっと戻れるとはもう願えないところまできていた。


二コールと初めてあったその朝、わたしは彼に電話をすると一向に出てくれないので頭がおかしくなり、何度も何度もダイアルをした。何度も何度もダイアルすると一回だけつながったと思ったら、どうやら彼の意思とは別に、ジーンズのポケットの中で勝手にボタンが押されてつながってしまったようだった。

彼はバーにいるかなにかで、女の子と会話する声がわたしの耳に入ってきた。そこで切ればいいものを、わたしという人間はどうにも究極の辛さまで自分をもっていって自分を試す傾向があるようで、数分そのまま受話器をおかずに聞き入ることをチョイスした。


やがてあっちから電話は切れ、その後わたしはベッドの枕をパンチして叫んだ。アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!



その後数十分後にまた彼にかけてみると今度は彼の意思でつながった。もう寝るから明日話そうといわれた。

彼は部屋にひとりだった・・・・。ホッとした。 


ここでホッとした自分に対してわたしは冷静に、”ここでホッとしちゃだめだよ、今だけなんだから。いつかきっとこうやって話せなくなる辛い日がやってくるのだから”と自分の心に声をかけた。






というような怒りと落ち込みから始まった日だったので、二コールとカフェでお話したときもわたしは頭の中がモヤモヤしていた。


彼女は旦那さんの仕事の関係でオーストラリアから家族で移住してきたExpat。

といっても、彼女自体はもともとイギリスバーミンガム出身のイギリス女性。

19歳のときに、旅行中のオーストラリア人の今の旦那さんとイギリスのクラブで出会い、

そのままオーストラリアに移住してからこれまでずっと一緒なんだって。

娘さんは17歳、息子さんは15歳。


二コールの歳は計算してでもとくに知ろうとはまったく思わない。いまだに、暗算すれば何歳かわかるのに、それさえも特にしようとは思わない。きっと彼女もわたしの歳は知らない。


そんなことは本当にどうでもいいことだから。


彼女はとっても深く優しい心をもった素敵な女性で、この人の世界を知りたい、共有させて欲しいとすぐに思った。




















最愛の彼と別れることになった4月、わたしは東北の地元で派遣で働いていた。

彼とわたしは壊れ飛び散ってしまったガラスの破片をひとつひとつ拾い集めるかのように、ふたりの関係を修復しようとがんばっていた。それも日本とアメリカとで離れていた



がある日、彼から”もう無理だ”という電話で全てが終わってしまった。



それからわたしは拒食の状態になり、笑うことができなくなった。

会社でも勤務している間涙があふれてくる。コールセンターだったので、お客さんとお話しているときは空元気で笑顔で対応できるのだが、電話がない間はひとりPCの画面をみては涙が止まらない。

考えるのは彼のことだけ


そんな風に仕事はしていられないし、日本にいて何も行動できない自分の状態もいやだった。

そしてわたしは数日いないに、すぐに決心した。


アメリカ行きの航空券を購入すると。

そのときの貯金はゼロ。 (嘘じゃない) 本当にゼロになっていた。


それもあって派遣で仕事をしていたのだけど、お給料はまだ入っていなかった。


次の月に入るお給料15万円だけをあてにし、クレジットで13万円のアメリカ行きの航空券を購入した。


ゲリラで行くつもりだった。

わたしはとてつもないロマチストで、全てがドラマのように流れると信じているところがある。


彼の家に現れれば抱きしめてくれると思っていた。


でも、ゲリラはやっぱり相手への尊敬がないので、彼に電話で行くことを伝えたが、怒られた。

会いたくないし、家にも来るなといわれた。



わたしの心はズタズタだった。6年も寄り添った相手の冷たい言葉の数々が、同じ彼から発されているという現実が悲しすぎた。


もしアメリカにこのまま行って会ってくれなかったら、会ってくれてもとても冷たくされうまくいかなかったら、と考えると、やっぱり購入した航空券は破棄するしかないとさえ思えてきた。



アメリカへ行くことを、台所で家事をしていた母についに話した。


すると母は、完全に反対した。行ってどうするんだ、何になるんだと。

そして、”こんな状態で、行かせることは出来ない”と、

”行かせてしまったら、どっか行ってしまうようなきがする。帰ってこないようなきがする”と。


毎日来る日も来る朝も夜も、ベッドで泣くしかなく何も食べれない半分死んでいる人間になっていたわたしを母は見ていたから、相当心配していた。



9割型、もうアメリカに行くことはやめようとおもった、けどそのときもうわたしは仕事も辞めていた。


アメリカへ経つ便の前日の朝、わたしはやはり心臓の痛みとともに起きた。起きたとたんに苦しく涙がでてきて、発狂して泣くしかないのだ。

母はとなりにいて、”お母さんと話がしたい。聞いていて”と母に言った。


長く話しをしたあと、母は、”行ってきなさい”といってくれた。


びっくりした。あんなに反対していたのに。


”今行かないとまた後悔するよ。きっとこの一ヵ月後、半年後、一生、”あああの時行っていれば何かが変わったかもしれない”ってずっと思うようになる。なら行ってきなさい” と。


違う涙がでた。



そしてわたしは次の日アメリカへ経った。

あのときの精神状態はありえなかった。不安と期待。その期待はしてはいけない期待であり、きっと期待しても意味のない期待だったけれども。

彼が来てくれるかわからないけれども、会えるかわからないけれども



家を出るまえに、彼にメールを送った。


○○便でつきます。○○にいるので、何時にきてください。まっています 







この続きはまたいつか









中東発! 裸で地球を生きる Eimee's Diary-town


ニューカレドニアでもカタールでも、その地に着いた次の日からは仕事のトレーニングが始まった。

どこも日本の会社だったので、メールでのやり取りや会社側からの指示もちゃんとあった。


けど今回ドバイでわたしの雇い主はアラブの会社であり、HRもアラブ人、フィリピン人、インド人などで、正直話が通じてないし、コミュニケーションが取れていない。

英語が話せるからコミュニケーションがとれるわけではないということがこの環境でよくわかる。


ドバイはあまりにもいろんな人種が混ざりすぎている。

特にアラブ人は仕事の仕方が全く違う。日本人とたぶん正反対だけど、わたしはあえて”日本人みたいに仕事しろよ”といった意味不明な無理な願いや期待は最初から持ってはいない。


採用がきまってから渡航までに2ヶ月間もあったのに、わたしの仕事上での制服はまだ用意されていない。IDパスもないので、仕事場にアクセスできないの。

まず、制服のために寸法を測るよう指示があったのが渡航する1週間前だったし。



エミレーツのキャビンクルーや、駐在員の奥さん達はドバイ空港についたとたんに送迎があり、そのまま会社が用意した家具つき・全てつきのアパートに案内されて良い生活が過ごせると思う。

テレビもあればチャンネルももう見れるし、インターネットも引いてあるし、電気やガスを自分で電話して注文することもない。



けど、わたしの場合はすべて逆。全てが全くそろっていない。

わたしの会社から届いたコントラクトには、”社宅を用意する。用意できなければ、その分のお金を支払う○○○○ディルハム”と記載があった。


実際、その社宅のレベル・場所・地下鉄の駅までのアクセスなどそういったことは一切記載がなく、

その後20回以上HRの担当者に質問をしたが、HR担当者じたい4回も変わって、毎回みんな違うことを言う。

適当なのだ。


コンディションはかなりヤバイことになりそうなのは自分でも周知していたけど、

あの人生で一番の心の暗闇からどうにか逃げ出すために、わたしはどうしてもドバイに来るしかなかった。

あのまま日本にいたらわたしは50%の確立で自殺していたと思う。

生きるために、ドバイにきた。



のだから、いくら会社の待遇が適当で、毎日不安と心配で崩れそうになっても、生きているだけでまだいいのだと思うしかない。



よいお給料をもらうため、よいキャリアを築くため、楽しいナイトライフを過ごすため、素敵なマンションに住むためにドバイにきたわけでじゃなく、

死ぬか生きるかの選択で、生きてみるしかないという決断の結果ドバイに来たのだから




最初に見せてもらった社宅はわたしてきにはNGだった。綺麗ではないし、場所は会社からは近いが周りになにもないので、休日には煮詰まってしまうとおもった。



2件目は、会社からは遠いBur Dubai地区にある。一言でいうと、”インド人コミュニティー”。

外を歩いているのは99%インド人男性。怖い。人相悪いし、怖い。

でもアパート自体はまだ住んでる人がほとんどいないくらいの新築なので、ねずみやごきぶりの心配はない。

ジムもあるので、あたしはここがいいと思った。

Unfurnishedとは聞いていたが、まさかキッチンのガス台までも自分で買わなきゃいけないなんて考えもしなかった/・・・。

日本、アメリカも、普通ガス台なんてあたりまえでついているもん。

こっちはガス台もなにもないの。。


社宅ときいていたので、冷蔵庫や洗濯機などはついていると思っていたのは間違いだった。


窓とフロアしかないアパート。全ていちから全部そろえないといけない。



カタールのときは、到着したその日からFurnishedのアパートが会社から用意されていた。

わたし専用の運転手さんもいて、好きなときに24時間運転手を呼んでいい。

アパートも2ベッドルームのお部屋がすべてわたしだけのもの。シェアじゃない。

敷地内にプールも3つあり、ジムも2つあるビリヤードやゲームをできる施設もあれば、テニスコートにスカッシュコートも完備されていて自由に使えた。

お給料もドバイの2倍。ついて1週間で友達にも恵まれ本当に恵まれたラッキーな生活を味わえていた。

カタール航空のスッチーよりも待遇がよかった。



中東で就職するとそういう待遇がまっていると完全にわたしは思い込んで、ドバイにきてしまったからさあ大変。


そして何よりも心のゆとり、心のパワーがいまのわたしにはない。


彼がいなくなったことで、わたしの心は空っぽになり、喜びや幸せ、うれしさを感じることが出来なくなったいる。


ニューカレドニアでもカタールでもいくらさみしくても、いくらカルチャーの違いで苦しくて泣きそうになっても、常にわたしには彼というとても大きな支えが心の中にいた。


さみしかったら、国番号1、彼の携帯の番号をおして、”寂しい!!”

つらかったら、”辛い!”

上司の愚痴が言いたかったら、”聞いてよ、もう最悪なんだから!!”

楽しいことがあったら、”今日こんなことしたんだよ、あなたが一緒にいたらいいのにな”



って電話する相手がいたのだ。



今わたしは世界に一人ぼっちだ。という意識でドバイにきたのだから、ほんとどうやって今わたしは毎日を生きていけているのか自分でも不思議でならない。生命力、それだけだと思う。そして健康だというBlessing。