自分にとっての

「楽しい」の意味が

変わってきた。

 

うーん

意味が変わった、と言うか

楽しいことが変わった、と言うか。

 

 

 

 

昔「楽しい」ってことは

それをやること自体が

楽しいことをそう言ってたけど

 

最近の私の「楽しい」は

そうではないことが

多くなってきたように思う。

 

どういうことかって言うと

 

それをやること自体が

楽しいことではなくても

 

それをやったことで

自分が納得すると言うか

やってよかったと思えると言うか

 

そんなものが

「楽しい」になってきた。

 

なんか

 

楽しい、イコール
気持ちいい、清々しい

 

みたいな感じ。

 

後味がいいもの、みたいな。

 

それが静かなわくわくに

なってきたと気づいたこの頃。

 

することそのものより

その質と言うか

それが大事になった。

 

それが好きなことになった。

 

 

 

例を挙げるなら、掃除。

 

 

面倒、できれば避けたい。

やってる間も特に楽しくない。

 

ただ淡々とやってる感じ。

 

けれど、やった方が気持ちいい。

よくやった自分、って思える。

 

そういう感覚を得て

心が満足することが

今の私には大事で

それがわくわくみたいだ。

 

 

 

もちろん
それをやること自体が

楽しいことではなくても

 

苦痛なことは別。

 

やることで

心が蝕まれるような

心が病んでいくような

そんなことはしない。

 

することとして選ばない。

 

選んではいけないのだろうと

私は思う。

 

 

 

何かをすることを

自分に課せられるのは自分だけ。

 

人に言われたからと言って

仕方ない状況だからと言って

嫌々でもそれを受け入れたら

それは自分が選んだこと。

 

誰かや何かのせいにはできない。

 

それで違うと思うなら

やめるだけだ。

 

 

 

 

遊んだり、好きなことをしたり

それが楽しいのは当然なんだろう。

 

それももちろん

私の人生の要素としては

ちゃんとあるしやる。

 

とても大事なことで

魂の栄養なんだと思う。

 

ただ、それをして

後味がよくないであろうと

思うことはしなくなった。

 

 

 

そういう意味で

私の毎日は楽しい毎日だ。

 

早起きも楽しい。

疲れてぐっすり寝て

寝坊したらそれも楽しい。

 

ゴミ捨ても楽しい。

掃除も楽しい。

 

仕事も家事も昼寝も楽しい。

 

自分が決めて

そうしてよかったと

思えることみんな

楽しいことになる。

 

 

 

 

楽しくないこと

つまり後味が悪こと

しちゃった時は

楽しいことに戻ってくる。

 

嘘つくのも

自分をごまかすのも

我慢するのも、無理するのも

手を抜くのも、何かをサボるのも

ちっとも楽しくない。

 

本当は…とわかっているのに

それを無視するのも楽しくない。

 

だから

自分が納得できる自分でいるように

後味のいい自分でいるように

することを選び直す。

 

自分の心地よさを裏切らない。

 

それが今の私の「楽しい」こと。

「わくわく」すること。

 

 

 

楽しいことだけをしていても

結果楽しくない、何かが違う

そう思ってた。

 

それは

自分に背かないために

やるべきことを

やってなかったからだ。

 

「べき」とか「ねば」は

使い方次第では

敬遠したい言葉だけど

 

こういう場合は

すごくいい言葉になる。

 

人生やる「べき」ことがある

そう言う時。

 

 

 

そして辿り着いたのが

 

楽しくないことをすると

楽しいというパラドックス

 

なかなかいい。

 

 

 

 

 

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