コロナで家にいるように
という状況になってから
もう半年近く経つ。

 

今年のまだ寒い頃
想像もしてなかった状況が
日本のみならず世界を覆った。


いわゆる三密を避けるために
家にいる、人と接触しない
それを余儀なくされ

私たちの行動は
これまでと大きく変わった。

 

社会情勢も。

 

世界が動きを止めた。
未曾有の事態だった。

 

 

 

当初の私と言えば
まず最初に思ったのが


仕事どうなるの?
収入どうなるの?
 

ってことだった。

 

 

 

駄菓子菓子。

 

 

 

その一方で感じたのは

 

ああ、もう動かなくていいんだ

って気持ち。

 

心の底からほっとして
そして思った。


動きたくなかったんだ
動くことに疲れてたんだ
って。

 

これからのことはさて置き
正直な気持ちだった。

 

うん、主に仕事に関してだな。

 

 

 

んで
心置きなく動くのをやめた。

 

コロナ禍と時を同じくして
ぎっくり腰をやって
実際動けなかった。

 

今になって思う。
完全に動きを封じられた(笑)

 

聖霊、絶妙過ぎる。

 

 

 

んでもって
体を動かせる範囲で
無理しない程度の仕事だけして
あとはのんびり。

 

PCいじる時間も減った。

 

ジムもおやすみ。

 

ごはん作ったり
ゆっくり洗濯物たたんだり
いつかそのうち、と思ってた
家の中の片付けやリフォームしたり
庭のどくだみ摘んでチンキ作ったり
お昼寝したり。

 

庭の草や空を
ただぼーっと眺めることもした。

 

すっごく楽しかった。

 

なんでもない毎日って
おうちのことをするのって
しっかり暮らすって
こんなに楽しいんだ!って
思ったよ。

 

 

 

そう、これからのことは
さて置き、ね。

 

未来のことを考えることより
今感じることの方が
私にとってはずっと大事だった。

 

 

実際仕事は減ったけど
給付金をいただけたりで
暮らしていくにはなんとかなった。

 

そんな中
思いがけない仕事も入ったり。

 

その上、友達が
マスクくれるわー
お米送ってくれるわー
野菜送ってくれるわー
ラーメン送ってくれるわー
冷凍中華料理送ってくれるわー

 

もぉもぉびっくり
ありがとうのオンパレードだった。

 

おかげで暮らせたんだ。
 

 

 

その時思った。

 

私はこういう暮らしを
求めてたんじゃないのか

 

って。

 

そんなせかせかしなくても
そんなキリキリしなくても
おうちにいても
のんびりさんでも

 

いろいろ大丈夫で
いろいろ楽しくて
いろいろ安心な

 

そんな暮らしを。

 

 

 

そして

 

もう戻りたくない

 

そう思った。

 


コロナが収束しても
今までのようには
戻りたくない

 

って。

 

毎日満員電車に揺られて
会社に通ってる人だって
遅くまで残業してる人だって

 

それが大好きで楽しくて
これからもやりたい!って
思うだろうか、って
考えてた。

 

それがなくてもうまくいく
そんなのがよくないかな、って。

 

 


笑っちゃうのがね。

 

私の仕事って
実は以前から家でする仕事で
ずっとおうちにいた。

 

2018年から仕事を徐々に
オンライン化してて
(今思えばすごいタイミングだった)
 

一部の仕事を除いて
外に出ることも
直接人に会うことも
なくなってた。

 

かなり前から STAY HOME で。

 

冷静になってみると
やってることは
前と何も変わらなかった。


ぎっくり腰も重なり
余計な動きを止めたことで
私の動きはある意味洗練された(笑)

無駄なこと、余計なこと
しなかったと言うか
できなかったと言うか

 

@コロナ&ぎっくり腰

 

それでも
忙しくしてた頃と
何も変わらない
もしくはそれ以上の
成果があった。

 

あれ?

 

なんもこわいこと
なんも困ること
起こらんかったよ?

 

そうか
これでいいのか…

なんか素敵じゃね?



 

以前
せかせか、キリキリ
あれもやってこれもやって
もっともっとやって、って


何かに追い立てられるような
焦燥感がつきまとって
常に忙しくしていたのは
仕事や状況じゃなく
私の心だった。

 

私を追い詰めてたのは
私だった。

 

動け、動け、もっと動け
やれ、やれ、何かやれ
って。

 

具体的に何かやることが
あるわけではなくても
何かしなければならないと
自分を追い立ててた。

 

そんな観念があったことにさえ
気づかなかった(笑)

 

だから
仕事がない時も
何もしなくていい時も
何かしてすごーく忙しくしてた。

 

焦燥感から意味もなく
PCにかじりついてたことにも
気づいたんだよ。


いつも心が忙しなかった。
それが一番苦しかった。

 

そんなことしなくても
全然いいんだね?

 

いいんだね?

 

いらんもの捨てたよなぁ。
ここぞとばかりに捨てたよなぁ。
よっしゃー!って捨てたよなぁ。
私。

 

そして残ったのは
大切にしたいもの
大切にしたらいいもの。

 

 

 

ウチは子供がもう大きいから
そんなのんきなこと言える。

 

子供が小さいお母さんは
本当に大変だったと思う。

 

それに

色々なことで

大変な思いをなさった方だって

もちろんいるだろう。

 

 

 

それでも。

 

この大きな出来事は
たくさんの人の意識に
一石を投じたのではないだろうか。

 

本当に望んでいるものを
本当に求めているものを
はっきりさせたのではないだろうか。

 

状況が状況で
仕方なくそうしたことが
これからの光へと
繋がっているのではないだろうか。

 

 

神さまは
私たちを絶対に困らせない。

 

それなら
ここで私たちが
与えられようとしているものを
受け取ってもいいのではないだろうか。

 

何を見ようとするかで
見えることが変わってくる。

 

何を見るか
それを決めるのは自分だ。
つまり、これからを決めるのは自分だ。

 

それなら私は
今までと違う
望んでいた、求めていた
そんな世界を見て
それを生きたい。

 

これからへの
不安や心配にまみれて
それを見失うことだけは
しないでいたい。

 

そうした自我は
本当の自分ではないのだ。

 

それ無理、とか
仕方ない、とか
そういうものだから、とか
片付けてしまったものを

 

しっかりと拾い上げ
今こそ自分のものにして

必ず素晴らしいものである
まだ見ぬこれからを生きようと
あらためて決意した。


私はもう戻らない。

 

 

 

人生には
「いいこと」と
「もっといいこと」だけがある

 

みお塾の講師でもある
やすらぎの部屋の
川上美保さんにそう教わった。

 

私はそれを採用する。

 

それさえも
自分で決めていい。

 

うんちゃらの法則とか気にかけて

縛られてる場合じゃない。

だから仕方ない、なんて

それ受け入れてる場合じゃない。

 

信じたものが
決めたものが
自分のものになる。

 

何度も言う。
自分で決めていい。

 

体験から言う。

間違いない。

 

 

 

 

 

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