恐れがなかったら
罪悪感がなかったら

自分の欲望のために
何かはしないだろう。

 

純粋に心が欲することを
するだろう。

 

そして
ひとりひとりの小さなそれは
世界を変えていくだろう。

 

 

 

ここで言う欲望とは
恐れや罪悪感に基づいて
何かを欲する気持ち。

 

不安、心配、恐れがベースにあり
それを回避するために
何かを欲すること。

 

簡単に言っちゃうと
心配してることが、不安に思うことが
こうなったらどうしようと思うことが
起こらないように何かをすること。

 

また
自分には何か欠けていて
何かが足りなくて
何かがダメダメで
それを埋めようとすること。

 

暗くて淀んだ場所を
かき回して手を汚し
その手で心を汚しながら
生きるかのようだ。

 

 

それは終わりのない戦いであり
葛藤だった。

 

ほとほと疲れていた。

 

そして、その戦いと葛藤を
続けない限り
この世にはいられないような
気がしていた。

 

意識しないようにしながらも
間違いなくそこにあった絶望だった。

 

 

 

けれど
もし恐れや罪悪感がなかったら
それが必要ない。

 

私の場合は
自分のすることの多くは
恐れや罪悪感に基づいている。

 

人生の多くの時間を
どんだけそれに費やしてることか。

 

何やってんだろ(笑)

 

 

 

私は最近
自分の設定をアップデートした。

 

絶対に困ったことにならない

最高のことしか起こらない

 

という設定にね。

 

それは
パソコンの初期設定みたいなもので

パソコンは設定した通りに動くように
人生も設定した通りになる。

 

シンプルで痛快だ。

 

それをみお塾で
美保さんに教わったのよ。

 

でも、とか、だって、とか
とは言っても、じゃなく

 

「理屈抜きにそういうもの」

 

ということにしてる。

 

人生いろいろ、ではなく
人生には、いいことと
もっといいことしかない

 

それも教わって設定した。

 

 

 

そんな
都合のいいことが…
ではなく

それが本当の世界なのだよね。

 

 

 

それから

心が揺れることがあっても
その度にそれを思い出し
自分に言い聞かせる。

 

それを毎日繰り返した。

 

すると面白いことに
心は決めた場所に戻っていく。

 

 


そういう設置をすると
まず心が変わり始める。

 

困ったことがある世界という前提が
困ったことがない世界に変わるからだ。

 

それに伴って
心が恐れに覆われる時間が減っていく。

 

恐れが必要なくなる
自分を責める必要がなくなる
何かを隠す必要がなくなる。

 

なぜなら
困ったことにならないし
最高にしかならないから。

 

それは過去にも未来にも及ぶ。

 

私には
どういうことが困らないことか
どういうことが最高か
さっぱりわからない。

 

わからないけれど
とにかく困らないし
最高になるということだけは
設定しているので

 

以前より
笑ってしまうほど
何かをどうしようかと
くよくよすることがなくなった。

 

恐れが全くないとは言わない。

 

不安になったり
心配になったりすることが
全くないとは言わない。

 

それが出てくる度に
あ、違う、違う
そうならないと設定したんだ、と
意識をそこに戻すことをしてる。

 

設定するとは
自分がどんな世界に住むかを
決めるようなもの

 

その結果は
まるで安心に満ちた世界に
引っ越したかのような気分。

 

 

 

それは私が
そうしているのではなく

そういうふうに
心を変えてもらった結果。

 

そうなってみて
奇跡のコースが言っていることは
マジで、ガチで、本当じゃん!と驚く。

 

 

 

恐れは心を縛る鎖のよう。

 

心の中の多くを
縛り付けて閉じ込めてきた。

 

 

設定を変えることで
心が解き放たれている時間が
増えてきて思う。

 

恐れがなかったら

自分の欲望のためのことはしない

 

する必要がなくなるので
それをしなくても
安心していられるのでしない

 

って。

 

何かするとしたら
欲望ではなく

 

子供がただ遊びたように遊ぶように
心が欲することをするのだろう。

何の計算もなく。

 

そうすると心が自由になる。

 

 

 

心が自由になると

 

錆びた鉄のような
重いフタが外れたみたいに

 

溢れてくるものがある。

 

これまでもこうして
何かが溢れてくることは
たくさんあった。

 

けれど
それを自我がかき消した。

 

溢れてくるものは
この世界の「これはこういうもの」に
軽快に反してくれるし
いや、それ、ないっしょ、ってな
ことも結構ある。

 

それやったって


意味ないじゃん、とか
何の得もないじゃん、とか
むしろ損するじゃん、とか
評価されないじゃん、とか
お金にならないじゃん、とか

 

そんなものばかり。

 

愛したい、楽しみたい
それさえも自分に禁じてた。

キツかっただろな(笑)

 

 

 

今までと同じことをするにも
怯えながらするのか
心を解き放ってするのかには
大きな違いがあることも知った。
 
 
 
かと言って
 
手を抜かないこと
適当にやらないこと
 
無理をしないこと
 
細心の注意を払って
人や事に臨むこと
 
丁寧にやること
 
意識を常に対象に向けること
それができない時はしないこと
 
そうしたことが
今まで以上に大事だと感じてる。
 
軽やかにやっても
雑にはやらない。
 
自分から溢れてきた
大切なものだからこそ
ぞんざいに扱うのは違う。
 
えー、難しい、じゃなく
そうするのだと決めて
 
離れては戻り
 
私にしては
かなりハードルの高いスタンスを
自分のものにしようと
心の中で挑戦している感じ。
 
 
 
欲望という名の電車、という
映画があったな。
 
あの言葉
欲望という名の電車
言い得て妙だ。
 
もう降りよう。
欲望という名の電車を。
 
 
電車みたいなものだから
降りられる。
 
それは元々そこにあったんじゃなく
私たちが乗ったから
そこにあるんだ。
 
だから、決めた。
降りると決めた。
 
そのためにすることは
何かをすることではなく
まずそう決めることだ。


絶対に困ったことにならない
最高のことしか起こらない
 
そう設定したことで
私は奇跡のコースで学んだ
自分が元いた世界というものを
垣間見たような気がする。
 
実際には
想像もつかないような
本当に素晴らしいものだろうけど
想像もできないので
垣間見た、としか言いようがない。
 
ただ、明らかに
私が今まで知っていた世界とは
違う世界があることを
 
そして、そこに
引っ越していいことを感じてる。
 
 
 
住みたい世界に住むために
できることは何でもしよう
そう思う。
 
本当は住みたくないけど
こういうものなのだから仕方ない
そう思って住んでいた世界より
 
本当に住みたい世界に私は住みたい。
 
そのためにする努力は
時々キツイかもだけど
とても楽しいだろう。
 
いまいちパッとしないものに
エネルギーを注ぎ続け
いまいちパッとしない結果を
なんとなく味わうより
 
最高に素晴らしいものに
 
    それを「本当のこと」と
    呼ぶのだろう
 
エネルギーを注ぎ続け
想像もできないものを
心ゆくまで味わうことを選ぶと決めた。
 
 
 
そうなって今
エネルギーのベクトルが
外側に向くのを感じる。
 
欲望を満たすことを
つまり、内側の暗い穴に向かって
燃料を入れ続けるようなことを
常に考えていた時にはない感覚。
 
自分を満たす必要がないのは
満たされている時であり
満たしてくれるのは愛であり
その愛は私たちが
生まれながらに受け継いでいる。
 
内側でその愛を育み
外側に放つ。
 
愛ってよくわからないけど
その表現がしっくりくる。
 
 
 
世界が新しいターンに入る。
 
見たことも聞いたこともないとは言え
確かに存在する世界が
私と、あなたと、共にやってくる。
 

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