シンプルなんだろうなぁ。

 
私たちが
何かで苦しい気持ちになる時
愛ではないんだよな。
 
 
 
そもそも
愛って何、って
話になるんだけど
 
愛って
昔自分が思ってたような
そんなもんじゃないと
最近思うねぇ。
 
愛って
本当の自分
本当の姿であることだと
思うんだよ。
 
私たちの
元々の姿が愛ってことで。
 
 
 
苦しい気持ちになって
そこから、ふっ、と抜ける時って
きっといろいろなきっかけで
そうなるんだろけど
 
たとえば
 
誰かにやさしくしたり
誰かを励ましたり
誰かをわかろうとしたり
誰かの思いを汲もうとしたり
誰かのいいところを見ようしたり
誰かに感謝したり
 
なんかね
そんな時のような気がする。
 
目の前の
苦しい出来事には
関係なく
 
そんな時。
 
不思議だけど心が変わる。
 
 
 
心がほどけてゆく。
心が穏やかになってゆく。
心が安らいでゆく。
 
さっきまで
気にしていたことや
心乱していたことが
 
なんか
どうでもよくなって
内側が静かになる。
 
胸をぎゅーっと
させるようなものが
影を潜めてゆく。 
 
 
 
誰かにそうして
愛を届けることって
その行為が
自分を正気に戻してくれる。
 
誰かを通して
正気に戻れる。
 
誰かが
正気に戻してくれる。
 
そう思う時
つくづく人はひとりでは
生きられないのだと
思うのだ。
 
与えるように見えて
受け取るばかりだ。
 
私はどれだけの人に
生かされているのだろう。
 
 
誰かと自分を
切り離す時
 
誰かと自分を
比べる時
 
誰かと自分を
違うと思う時
 
誰かを
批判の気持ちで見る時
 
私は必ず道を見失う。
心が闇に覆われる。
 
太陽が東から登り
西へと沈むように
それは変えようのない真実だ。
 
何度も道を見失い
何度も正気に戻り
それを繰り返し
それが真実だと
確信している。
 
 
 
私たちは
元々が愛そのもので
それ以外の姿に
なることはできない。
 
元々の姿を
見失うことはあっても
それをなくすことは
できない。
 
誰ひとり例外なく。
 
 
 
私たちが愛でいる時
そこに障害物は何もない。
 
だから
苦しい気持ちでいる時
誰かを通して
愛を届けることを
させてもらえると
 
苦しみが消えていく。
 
起こっている出来事は
きっと本当は
私たちを脅かすことは
できはしない。
 
それを眺める私たちが
愛であるならば。
 
 
 
愛には
偽りもごまかしもない。
 
愛以外存在しない。
 
 
 
だから祈る。
本当の姿を見せてくださいと。
 
自分も。
他の誰もかも。
 
そこに奇跡が
舞い降りる。
 
 
 
 
苦しい気持ちになったら
いつでも祈ろう。
 
それは必ず
聞き届けられるから。
 
愛でいる時
本当の自分でいる時
 
私たちの心を
苦しくするものが
入り込む隙間がない。
 
だから
そうしてもらえるように
私は祈る。
祈り続ける。
 
 
私が、みんなが
本当の姿であれるように。
 
 
 
こんな時思う。
 
よくさ
人は自分とか言うじゃない?
 
イマイチピンとこないことも
そりゃあるけど
 
やっぱり
人は自分で
自分は人で
みんなひとつで
 
ただ、ただ
本当の姿に戻るために
愛でいるために
お互いを写し合っているのだと。
 
例外なく。
 
ホントそうだと思える
そんな瞬間。
 
こんな時間が増えることが
幸せのひとつなのだろう。
 
帰る旅は続く。
 
 
 
 

 

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