年齢を重ねると

子供の頃や若い頃には

想像もできなかったことが

人生に起きてくる。

 

それを

どこかで見ていたとしても

自分のことではなく

ただそういうことがあると

知っているだけで。

 

今それを目の当たりに

していることのひとつが

ばーちゃん、実の母の介護。

 

 

 

認知症歴も長く

介護認定3。

 

介護認定3でも

きっと色々な人がいると思うけど

うちは分別がつかなくなってるみたいで

行動が不思議(笑)

会話も成立しない感じ。

 

さっき話したこと

さっきあったこと

さっき食べたもの

覚えていないのはデフォルト。

 

冷蔵庫の盗み食いもあったりで

冷蔵庫に鍵かけたい気分(笑)

 

おうちでひとりには

してはおけない状態。

 

ふらふらどこかに行ってしまうし

隣の市まで徘徊してもーたことも(笑)

 

以前は仕事をしていて

ちょっと目を離したスキに

家を出て行ってしまった時は

コケて頭を打って

救急車で運ばれたり。

 

火のついたストーブの上に

なぜかバスタオルをかけて

幸い燃えるには至らなかったけど

 

帰ってきたら家がない!

なんてことになったらどうすっぺ…と

ちょっとのお出かけもひやひや。

 

トイレの失敗も

時々あったりして

 

まぁ、介護ネタは

あげればキリがないけど

とにかく珍事件を巻き起こす。

 

 

 

私とあぶは

ふたりとも

精神的にかなりまいってました。

 

それで

デイサービスに

通ってもらう日を増やして

なんとか今の状態に

落ち着いたのが去年。

 

出張の時や旅行の時は

ショートステイも

利用するようにして

 

ようやく生活が

介護をしながらも

落ち着いたものに

なってきたのでした。

 

ケアマネージャーさんと

施設の方たちに

本当に恵まれてね。

すごくよくしてもらってて。

 

そしてなにより

あぶが本当に力になってくれてて。

 

たくさんの人に

助けられてる。

 

 

 

それでも

ばーちゃんが

家にいる時もあるんで

 

私はキレイごとなんぞ

言えないのだよ。

 

認知症なのはわかってる。

 

それでも

ほんっと大変で

ほんっと頭にきて

テメーコノヤローってことが

たくさんありすぎて

 

憎らしいのです。

疎ましいのです。

 

母が。

 

ボケてるんだけど

しっかり悪態はつくし(笑)

言い合いになることもある。

 

お母さんは認知症だから

それをわかって

あたたかく見守る

なーんてこと

できる気分じゃなくてね。

 

いなかったら

どんだけ楽だろうと思う。

 

介護をしてなかった時は

そういう人を見て

そんな風に思っちゃうんだ…

って思ってけど

 

思っちゃうんだよ。

 

 

 

そして。

 

そんなふうな

私でいさせてもらえることを

本当にありがたいと思う。

 

このくそばばあ、なんて

言い合いのケンカしてると

言っちゃうし

 

そんなふうな

私でいさせてもらえることを。

 

私は本当に

母に甘えてるんだなぁって思う。

 

そうでなかったら

こんなふうになんてなれない。

 

 

 

時々、夜中

母の部屋の前に行って

ぺこり、と頭を下げる。

 

お母さん、ありがとう、って。

 

そうすると

あったかぁいものが

心の奥の方から

じわぁんと湧いてきて

とってもうれしくなる。

 

すべてが消える。

 

これが本当の私なのだ

そう感じる。

 

こういう時

私も、母も

本当に姿なのだと。

 

憎らしいまま

疎ましいまま

 

私は母に感謝している。

 

なんて

愛されているのだろうと

感じる。

 

彼女の意識の上での

なにがしかではない。

 

彼女が今の彼女として

認知症老人として

ここにいることが

すでに愛なんだと感じる。

 

 

 

そう思う時

 

やっぱり心は痛むけれど

 

しばらくの間は

介護に辟易する

実の母親を憎らしく疎ましく思う

私でいさせてもらおうと思う。

 

目の前で起こっていること

そこで感じること

そうしたものすべてを超えて

 

そこには

愛しかないんだなって

思う。

 

本当に幸せだと思う。

 

ほとほと困り

イヤになることが

そこにあろうとも

 

不愉快で苦しい感情が

そこにあろうとも

 

心の一番奥の奥は

なぜかいつもとても

穏やかで

 

どんなに揺れて

どんなに我を見失っても

そこに帰ってこられることが

何よりの幸せだと思う。

 

そこには

心の平安しかない。

 

それを超えられるものが存在しない。

 

私が帰りたかった場所は

ここなのだと

今ならわかる。

 

 

 

これは

私と母の物語だけれど

例外ではない。

 

きっとこの世界のすべてが

そういうものなんだと思う。

 

そこには

愛しかないのだろう。

 

目の前で起こっていることが

そこで感じることが

たとえどんなものであろうとも。

 

 

 

気がついたら

こんなふうに思う

私になっていた私は

知らないうちに

聖霊に改造されたに違いない。

 

改造人間まめこ(笑)

 

*まめこは私の家でのコードネーム

 

 

 

 

 

 

 

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