真逆の私。
正反対の私。
言ってることが違う私。
 

花


今日はきらい。
明日は好き。

今日は愛おしい。
明日は憎らしい。

今日は欲しくない。
明日は欲しい。

今日はやりたい。
明日はやりたくない。



私の心は刻々と変わります。

昔はそんな自分がイヤだった。


なんだかいけないことを
しているように感じた。

ずるいように感じた。

ひどいように感じた。

なぜひとつのことを
なぜひとつの気持ちを
貫けないの?って。



だけど今は
そんな自分も、ま、いっか、って
思ってます。



人は刻々と
変わるものだと思います。

季節が移ろうように。

今日きらいだったものが
明日好きになるのは

今日やりたかったことが
明日やりたくないのは

春になって
土の中の種が芽吹くような

秋になって
木の葉が落ちるような

そんなものに似て
とても自然なのだと思います。



それを責める人はいるかしら?

今日お天気で
明日雨だったら

それを悪だと言う人はいるかしら?



雨が降ったり
風が吹いたり
あたたかくなったり
寒くなったりするように

私たちの人生にも
いろいろなことが起こって
私たちの心の変化を促す。



すべてが大いなる
自然の流れのようだと
特に感じるこの頃です。



人間だから
人や出来事との
しがらみもあるでしょう。

変化とは時にそこでは
望ましくないこともあるでしょう。

それがイヤで
自分は変わってないフリをすることも
できるでしょう。



だけど…

枯れちゃうよね。
そうしていたら枯れちゃう。

「わたし」という花が咲こうとして
咲くために起こるあらゆることを
受け止めていく順当な流れの中にいて

その流れを止めてしまったら
息ができないみたいに苦しくなって
止まっちゃう。



起こることは
起こる時に起こるのだから。

起こったことに
正直に従っていく以外に
ないんだと思う。



感じること、思うこと
欲することが
日々違っていい。

今日きらいな人が
明日好きになることもあるし

今日好きな人が
明日きらいになることもあるし

今日したいことが
明日したくないこともあるし

今日したくないことが
明日したいこともある。

それでいいんじゃないだろうか。

それを偽らなくて
いいんじゃないだろうか。



胸を張って
昨日と違う今日の自分を
祝福する。

ひっくり返って
イエスと言うことを
ノーと言うことを
自分に許す。

周りの世界がどうだとか
周りの人がどうだとか
関係ない。

そう言うと
なんだか無責任なように
響くこともあるかもしれない。



けれど

そうやって生きている人がいたら
他の人がそうやって
生きていることもわかるから

相手のそれも
そういうものだと
わかっているのだろうと思う。

人間だから感情は揺れたとしても
わかっているのだろうと思う。

そして

そういう人と
つながりを持っていたい。



まず何より
私自身がそういう人でありたい。





 

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