私が傍若無人な父に
育てられたことは
このブログにも
何度も書いてきた。

それを虐待と
呼ぶのかもしれないし
パワハラとか
呼ぶのかもしれない。



ただ、今の私には
そんなことはもう
どうでもいい。

今は、ただ、ただ
本当に愛されてたんだなぁと
それだけを感じてる。

どれだけ大切に
守られてきたかを。



どうしてそうなったか。

それは
私が生きてきたから。

生きて
色々なことを体験して、感じて
ここまで来たから。

理屈じゃない。

 

お父さん

「his life」写真:エイミー


中学生の頃までは

父がこわくて
怒鳴られないように
殴られないように

私は必死だった。

父が気に入るように
話し、振る舞い
父にとってのいい子でいるために
すべてのエネルギーを注いだ。

そうでもしなかったら
私は家にいることに
耐えられなかったから。

そのかたわらで
凄まじいフラストレーションを
つのらせていった。



高校生になると
自分のしていることが
バカらしく思え

父に対しての
怒りと嫌悪と憎しみが
頂点に達し

以後
父とろくに
話をすることも
接触することも
なかった。

私の方から
父の存在を無視していた。



アンナぽが生まれてから
接点を持つことは増え

そこに色々な想いこそあれ

それでも心を開くことは
なかった。



それは
父が亡くなるまで
続いた。



父に怯えながらも
父を慕って
まともに話して
腹の底から笑ったのなんて

小学生の低学年までじゃ
ないだろうか。

そういう意味で
私が父と心通わせ
過ごした時間は
人生の中で本当に短い。



私と父の関係は
そういう意味では
希薄だったかもしれない。

私は父が嫌いだったし
会話を避けたし
接触を避けたし

そのおかげで
身の安全を
確保することができたし

生き延びた、とも言える。



本当にひどかったからさ
父がしてきたことは(笑)

まともに食らったら
精神的死を迎えるしかなかった。

避けていても
避け切れるものじゃなく
半ばおかしくなってたからなー(爆)



アパートの留守電に
「殺してやる」
と父のメッセージが残ってた。

摂食障害があった。

リスカしてた。

アパート中の食器全部叩き割って
その破片をぎゅっと握って
わざと手を切った。

痛みと赤い血が
私の言葉だった。



私は父を許していない。

厳密に言うと
許すとか、許さないとか
そういうのは
どうでもよくなってる。

ただ、父に
愛されていて
大切にされていた。

たくさんの
悲しみと苦しみを
たずさえて
父なりの形で。

ということが
無条件にわかった。

それだけだ。

そこには
愛があった、って。



二度とあんな体験は
したくない
絶対にしたくないし

本当に苦しかったし
毎日死ぬことを
考えざるを得なかったような
あんな日々

それに感謝だなんて
絶対に言えない。



それは、それ。



苦悶は人間を
本来の姿から遠ざける。
その人の美しさを隠してしまう。

それがわかった。
それだけだ。

父は美しかった。
それが目に見えは
しなかっただけで。



私がまだ小さい
雪の降るある日
父は私の写真を撮った。
近所のお寺の境内で。

とてもいい写真。

私はそのお寺まで
散歩に行った。

そして

父が私の写真を撮った時と
同じ場所に立ってみた。

うれしそうな父が
そこに立っているのがわかった。
(霊感あるんぢゃないよ・笑)

あの日の父のことが
とてもよくわかった。

私は泣いた。



「お父さん、ありがとう。
 大好き」



心から言えた。

もう何もいらなかった。

いや、もうすでに
たくさん受け取っていた。



愛は
関わる時間や
好きか嫌いかに関係なく

また、それが感じられるか
感じられないかに関係なく

ただそこに
あるのだとわかった。

それだけだ。



生きてきてよかったと思った。

生きるということは
経験するということ。

経験してこそ
わかることがあるし

そこでわかったことから
さらにもっとわかることがある。



いい話を聞いたって
いい本を読んだって
人は変われない。

それは単に
ひとつの種みたいなもんで
心の中に落ちて
いつか芽吹いて
花が咲くためのもの。

その花を咲かすには
生きるしかない。

生きて経験するしかない。
生きて実践するしかない。


経験することでしか
その種はきっと
育たないんだろう。



情報とは
おいしい料理の
作り方のようなもの。

料理をしなければ
おいしい料理は
出来上がらない。

逆に
何も知らず
やみくもに料理しても
うまくいかない。

おいしい料理の
作り方を知っていることで
それを形にできる。

どっちもだいじ。



若いうちは
未熟がちょうどいい。

未熟でみっともないのが
ちょうどいい。

眉をしかめられるような
生き方をしたっていい。

たくさん傷ついて
たくさん失敗して
ボロクソになって
あれこれ悩んでいい。

どうしたらいいか
わからなくて
絶望していい。

それでも朝日は昇る。
 

 


いい年になっても
そんなことを繰り返す。

そして
それでいい。



いずれ、どうあっても
幸せになるように
人生はできているようだ。

幸せとは
何かの状態に
なることだけでは
ないと思う。

まず幸せを感じる心
そのものなんだと思う。


自分の心が
そうした心に
育っていくことが

もしかしたら
幸せってことなんじゃ
ないかしら
なんて考えたりする。



私は自分が苦しむ度に
父の苦しみを知っていった。

愛したいのに
愛せない苦しさを。

だから
愛されているとわかった。



もしもそこに
誰かの愛がなかったら
私達の誰ひとり
生きていることは
できないだろう。

ここで
生きているということは
必ず受け取っている。
誰かの愛を。


仮にそうは
見えないかもしれないけれど
誰かの愛を。



それが父が私に
教えてくれたこと。

たったそれだけなんだけど
それに尽きること。

父からの贈り物。

本当にうれしく思う。



生きるってすごい。
人生は美しい。

 

 

 

 

 

 

 

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