前回の記事の続きです。



何が、誰が、いい、悪いじゃなく、

同じ状況で、同じ話を聞いて、
友達と私の反応が、
あまりに違っていて、
これってなんなんだろ、と、
考えてみたわけだ。

ある状況に対しての恐れと不安、
かたや、同じ状況でも別段気にならない、
その違い。



色々なケースがあるから、
一概にこうですとは言い切れないけど、

今回のこのケース、
それは信頼があるかないかの
違いじゃないかと思った。

人生に対しての信頼。

どんなことが起ころうと、
たとえそれが時に苦しむことであっても、
人は必ずそこから贈り物を受け取る、
そう思っている。

色々あったけど(ここでは省略・笑)
私の中でそれらは昇華し、
もはや「素晴らしい体験」なのだ。

なぜなら、
それがあったからこその恩恵、
気付きや成長があったからだ。

だから、娘も大丈夫。
何があっても何かを得て、
さらに成長していく、
そう思っているのだ。



でもね。

昔はそうじゃなかった。

何もかもが、心配で、不安で、
その心配や不安が現実にならないように、
必死でもがいていた。

すべての判断基準は、恐れと不安。
ああになったらどうしよう…
それを回避するために、必死だった。

今の私みたいな人を見ると、
ムカついた(笑)

「キレイごと言ってんじゃないわよ!
 あんた楽して生きてきたんでしょ、
 私がどんだけひどい目に遭いながら
 生きてきたのかわかってんの!?
 本当に苦しかったんだから!
 あんたに私の気持ちなんかわからない!」

って。



それが、なぜ今の私になったかと言うと、
それは、きっと、ずっと、
自分の癒しを進めて深めてきたからだと思う。

そして、初めて本当の自分の気持ちに気付いた。
気付き続けた ( ̄▽ ̄;) イヤハヤ…

表面でざわざわしている感情の、
その奥の方には、
実は、もっと別のことが言いたい自分がいて、
助けてほしくてもがいてた。



癒しが進むと、
痛い痛いを通り過ぎ、
その痛いのうしろに隠れていた、
たくさんの愛や輝きに出会い、
それからだった。

人生って捨てたもんじゃないんだ、
そう思うようになったのは。

今まで色々あったけど、
そのおかげで私ここまで来られたんだ、
そう思うようになったのは。

すると、今度は、
痛みからではなく、
心地よさの中から学ぶようになる。
そう感じてる。



書きながら、

ああ、そうか…
私はそういうプロセスを辿ってきたんだ…
と、気付く(笑)

少し前に「癒し疲れ」「癒し疲れ2」って、
記事をアップしたけど、
癒しも捨てたもんじゃないなー、
なんて、思った ( ̄▽ ̄) ヲイ

と、同時に、
自分はちょっと癒しから逃げていたかも、
とも思った。

癒しの先に大切なことがある、
なんて、大義名分的ことを言いながらも、
まだ、色々持ってるんだよね。
でも、無意識に逃げてたんだと気付く。

もちろん、癒しの先に大切なものがある。

人は癒しを進めていくと、
痛みの中からだけでなく、
穏やかさ、心地よさ、そんな中から、
学ぶことができるようになる。
(さっきも書いた・笑)

「癒し疲れ2」の記事に、
私の大好きなcocoさんがコメントをくださった。
そこには

「『癒しは必要、けれど、その先がある』
 今のわたしはそのバランスを求めているのだと思います」

とあった。

まさに、まさに、その通りだ。



ママ友が私に、
恐れと不安全開で、
ああだよ、こうだよ、
こうしなきゃダメだよ、
そういう姿を見せてきたってことは、

私も同じものを持ってるってこと。
まだ、持ってるってこと。

彼女と話した後、
ホ・オポノポノでクリーニングした。
私の中にあるそんな恐れと不安。



そして、
荒れている、ひどい、と言われる
中学校に通う娘を見ているママとして、
それでも、そんな彼女の人生を、
信頼している感覚を、
あらためて感じ、心地よく思う。

それは「しんらい」という
ひらがなで書くやわらかい信頼。
やさしい信頼。
心地よい信頼。

無理に、

「信頼しなくちゃ!」

と、気負うのではなく、
自然なままで、
その心地よさの中にいられることを、
とてもうれしく思う。



でも、ちょっと心配になって、
abuに聞いてみた。

「ねぇ、
 私、こんなに心配してなくて、
 よくないかなぁ…」

するとabuはこう答えた。

「何言ってんだよ。
 すごく心配してるくせに。
 心配しているところが違うだけだよ。
 朝だって、自転車で出かけるアンナを、
 姿が見えなくなるまで、
 ずーっと見てるじゃない。
 気になってしょうがないんだよ。
 結局ママなんだよね」

それを聞いて、
なんだか、ほぉ…っ、とした。

そか。
そういう心配なら、
いっぱい、いっぱい、したい、そう思った。
「しんらい」しているけれど、心配。
そんなお母さんな心配。



「しんらい」が生まれたのは、
生きてきたからだ。

痛いことも、痛すぎることも、ひっくるめて、
体験して、味わって、
なんとかしたくてもがいて、

けれど、どうにもできなくて絶望して、
それでも、何かをつかみたくて、

スピリチュアルな世界に出会って、
セラピーに出会って、
初めて本当の自分を知って、
ここまで来て。

癒しも、その癒しの先も、
とても大切で、
そのどちらも、
出会う人と一緒に体験していこうと、
思うのだった。

一皮むけたかな?
むけてほすぃ~(笑)





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