望んでも望んでも手に入らなかったことに関しての決着と安心。 | 海岸通り通信〜自分を生きて世界を創る オトナ女性の自分らしい幸せを個人相談・算命学でサポート

海岸通り通信〜自分を生きて世界を創る オトナ女性の自分らしい幸せを個人相談・算命学でサポート

海辺でオットとネコとイヌと暮らす59歳。
ココロのコリをほぐす個人相談・ワークを提供して約10年。現在は算命学の知恵も活かして、アラフォー・アラフィフ女性の「自分らしい人生の波乗り」をサポート。

 

 

黄砂がスゴいらしいので、

お散歩は様子見です・・@海岸通り。

 

空が霞んでる・・?

 

 

アメブロさんが教えてくれる

去年の今日、書いた記事。

 

 

叶ったことは、

とても小さなことばかりだけど、

 

ワタシにとっては

とても大切なことばかりで、

こうして読み返してみると、

うん、本当にありがたい・・という

思いが湧いてきます。

 

でも逆に、

記事にも書いたように、

望んでも望んでも、

叶わなかったこともある。

 

その時は、

ちょっとおかしくなるくらい?

悩んだりもしたけど、

 

それが教えてくれたのが、

「執着しない」ということの

意味と難しさと大切さ・・だったのかなと

思います。

 

で、

50代になって、

算命学と出会って、

自分の構造を知り、

 

そこが自分の

「欠け」

であることに気づいた時の

驚きよ・笑。

 

 

 

最近、しみじみ感じるのは、

 

誰もが、

特に若い頃は、

 

叶わなかったり、

思い通りにならないことだったりが

いろいろあるけど、

 

誰もが、

いろんなことを通じて、

それぞれに

自分なりの「決着」を

つけていく。

 

 

そこに至るまでには、

人それぞれに、

必要なプロセスがあるし、

その意味というものも、

 

月日を経るにつれて、

自分の中で

変わっていくものでもあると思う。

 

 

ワタシにとっては、

算命学で自分の「欠け」を知ったことは、

 

自分なりに決着をつけてきた事への

自然界からのアグリーのように感じられ、

 

「欠け」は、ある意味「安心感」に

変わっていったのでした。

 

生きていくことって、

自分の欠けを知って受け入れること。

それは決して、

残念なことではなく、

ある意味、

私達が最も欲しいもの・・「安心感」に

繋がっていくんじゃないかと、

そんなことを感じています^^。