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emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。





2階ですが

今年ならではの豊臣兄弟が

お出迎えしてくれています





この👆の大まかだけれどわかりやすかったな


中央上に稲葉山城

その左下に北方城(安藤守就)

曽根城(稲葉一鉄)、大柿城(氏家朴全)


👆西美濃三人衆を調略!



そしてこの墨俣



墨俣は今回の秀吉の一夜城の合戦だけでなく、

下の説明のように天下分け目と言ってもいいほどに

重要な場所だったのですね


私は前回「鎌倉殿の13人」で

訪れました











小牧・長久手でもこちらは出てくるのでしょうか?















色々と写真を撮ってきて、ゆっくり見ていますが
もう一度ゆっくり見たい感じです

とても読みやすいし、わかりやすかったです






大河ドラマ第7話で
この二人前野(将右衛門)長康と蜂須賀(小六)正勝が
「義兄弟」の契りをした仲だったのが
いつからか、互い違いをしてしまったけれど
どのようにして
一緒にこの墨俣一夜城を作ることになって
いくかという話も進み、

その一方で西美濃三人衆と竹中半兵衛を調略の
話が進み
今後の展開でですが

安藤守就を義理父として「相婿」となり
どちらの奥さんが年上なのかは
わかりませんが竹中半兵衛と羽柴秀長は
義兄弟となるんですね


この歴史資料館ではおもに


 




「武功夜話」の話をもとに
歴史資料を紹介されています

昭和34年伊勢湾台風の被害で蔵を整理している
時にたまたま発見されたそうです
世紀の大発見かとされていましたが、
なぜか近世になってできた町の名前がこれに
書いてあったそうで、信頼性に疑義があると
されてしまっているそうです

でも、歴史をよく知っている人が手を加えたのか
どういう経緯を辿ったのかは
わからないですけれど、それを踏まえてでも
この資料館の開設がされています













2月28日は

久しぶりに関ヶ原を超えて

歴史探訪してきたのですが


◎豊臣兄弟大河ドラマ館in中村

◎安東伊賀守守就関係

◎墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)


大概こんな感じで予定を立てて

遊びに行きました







太閤出世橋



「木下藤吉郎秀吉の像」


羽柴藤吉郎秀吉ですかね

直衣を着ています





この墨俣歴史資料館は

大垣城を模して資料館として

立てたそうです



大垣城(2022年)


似てるかな?



資料館の外観には一夜城の馬柵のように

していたりしています







歴史資料館は5階たてになっていて、
2月28日(土)の次の日3月1日にドラマで
「墨俣一夜城」が完成するということで
すごい人だったような気がします

実はこの近くには「鎌倉殿の13人」の時にも
来ていて源頼朝の義弟、義経の同母兄でもある
「義円」が戦死した場所でもあって、
来ていました

その時は墨俣歴史資料館はスルーして
いました💦


まずは人並みを考えて
一気に5階まであがってしまいました











こうして見ると、明らかに遠くからみても
山じたいが綺麗な稜線をしていて
そびえている山です

その上に建っている城はまたすごい👍
ということなんですね


さぁ、これから下におりて資料を
見てきます


続く!











15年経つのですね


あなたもスタンプをGETしよう



ということは関西へ引っ越しをしてから

15年経ちました

そのうち1年だけ戻っていたので

住んでいるのは14年目とちょっと

複雑なのですが💦




群馬で「学童」で働いているときに

被災しました


その後に「輪番停電」というのを

経験したのですけれど、

輪番の時間帯によっては、

主人は夜中に働かなければ

行けなくって、それで少し体を壊して

しまって、10月に転勤することに

なったのですね



寝る前に枕元に洋服、靴などを置いたりして

いたのですけれど、

「ガソリンは満タンにしておく」たまたま

ですが、震災前日に満タンにしておいてて

ガソリンスタンドが長蛇の列だったり、

無くなってしまって補充できないとか

ありました。


その後、放射能の関係ですぐに群馬からも

逃げなければいけないかと思って、

ガソリンを使わないようにして

自転車をフルに使ったのを思い

出しました


無事に皆さんが過ごせますように!












「豊臣兄弟」で稲葉山城を攻略するために

調略した西美濃三人衆筆頭の「安東守就」は

天正10年(1582)、

この地で戦死しました




幟が新しくってとてもわかりやすかったです








安藤(安東)伊賀守守就の馬印









立派なのが立っています

「第9話」で西美濃三人衆と竹中半兵衛は
織田信長に仕えることになったが
仕えてのちも武功・武勲をあげていったが

天正8年(1580)武田方に内通したとの
嫌疑により、守就父子は関・谷口の
汾陽寺に追放・蟄居
北方城は西美濃三人衆の一人
稲葉一徹に預けられた

天正10年(1582)6月2日
信長が本能寺の変で
明智光秀に討たれると
守就は北方城に戻ろうとし
これを阻む稲葉一鉄(良通)との
間で戦いが始まった
これを「北方合戦」といい
一時は北方城を奪い返すまで至ったが
最終的には城を出て
「千代母ヶ渕」までおしやられ
力尽きて守就をはじめに
一族が戦死を遂げたと言われて
います
上記の「千代母ヶ渕」が現在の
この地とされている

現在は小さな小さな川であるが
その昔は大きな川だったそうです


今回は「北方城」には行けなかった
のですが、何かの機会に行けたら
良いなと思いました

「安藤」「安東」と両方名乗って
いるようですが
私は「安東」なのではないかと
思っています

安藤(安東)守就の娘と竹中半兵衛との
婚姻において後に長男の重門は
「竹中」の姓を継いでいきますが
その子孫として「安東」を継いで
いることになっている家系があること
に注目しています



また信長によって追放されてしまって
いますが、織田家と武田家の交渉役として
恵林寺の快川和尚がいますが、
その引き継ぎと関係があったのでは
ないかと思っていて、その武田家との
交渉が失敗となると
織田方の交渉人は
始末されてしまうはずで
それが織田信長が安東を追放と
なったのではないかな?と

それを本能寺の変を起こした
明智光秀にしても長宗我部氏との
交渉人で失敗に終わっていましたが
その交渉人としての失敗の報いを
恐れてのことも本能寺の変の動機の
一つではなかったかと思ったりも
しています

後に豊臣方と徳川方の交渉人
石川数正が失敗に終わると
豊臣へといったのも
わかるような気がします


今回のドラマは豊臣兄弟の話し
で信長についてではないけれど
秀長の正妻は「慶」で
※「慶」と書いて「ちか」だったかと

安藤守就の娘ということになるので
どのように描くのか楽しみですビックリマーク














中村公園内には

豊臣秀吉、加藤清正の生誕地に建つ

歴史博物館があります

中村図書館の2階にあり、入場無料です













☝️ガラス越しにみられて良かった



常設展示室と

3月1日までの特別陳列室は

「長篠合戦 三英傑は共にたたかった」という

題目で並べてありました


3月14日からは

「清正 秀吉を支え続けた武将」が

公開になるそうです






新城にある

長篠城址史跡保存館もあるのですが、

こちらでも見られてありがたかったです