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emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

今年の1番の楽しみは



黄金瑠璃鈿背十二稜鏡(南倉)



ガラス質の釉薬を使う七宝焼きの宝物。

とても光沢があり、

キラキラしていてました。


正倉院に伝わる鏡の中で唯一、七宝を

施している銀製の鏡だそうです。


鏡は思ったより大きく感じるものや、

小さく感じるものがあり、

主人とも共通に思ったことは、


「思ったより小さい」


というのが印象です。


大きさをみると直径18.5㎝で

縁の厚さは1.4㎝



緑の模様の飾り(鏡の背面)には

31のパーツに分けた金胎七宝が貼り合わせて

あるようですが、

文献がなく、いつどこで使われたのかは

わからなく

唐の時代に流行した想像上の植物・宝相華を

表していているそうです。


陳列はポスターの様に

立てかけているのではなく、

平置きにして置いてあるので、

また違った感じがします。



いつもは初の10時台の部だったことや、

コロナ禍よりも相当予約制とはいえ

増えていふのでお土産を買う列が長蛇の列

でした。

また、外国の方もたくさんいて

私たちが並んでいると私たちの

カゴの中のもので欲しいものがあったようで、

どこにあるのか聞かれて

取ってきてあげました💦



すごい人で多分、人混みには入らなかった

のだろうなぁと思いました。







☝️これが欲しかったそうです。








正倉院展の開催日が発表され、

チケットの発売日がきてから

3ヶ月くらい待っていたので、

あっという間の時間がすぎました。


愛また、来年も楽しみです愛飛び出すハート






「第76回正倉院展」


にきています。










楽しみです。



駐車場はいつも県庁の近くに停めますが、

値上がりしていました💦



朝は県庁東の交差点の角にあるスタバで

朝食を食べました、








スタバの看板












「城めぐり」のアプリで


「続・岡山城 宇喜田家二代とその妻」


というイベントに参加してきました!!



岡山城

沼城

乙子城

足守陣屋

備中高松城

金川城

明禅寺城

白石城

常山城

砥石城



の10城が対象になっていました!!



最初に


「金川城跡」にいっていたのですが


「岡山県岡山市北区御津金川」にあります

👇下の酒蔵でパネルでどんなお城なのか紹介して

くれていました。













歴史的には古代の部の名や荘園としての名が

残る地名も見られた。(吾妻鏡・宇甘郷ウカイ

後白河法皇院宣所々地頭沙汰…云々

また、築城年代は定かではないけれど
鎌倉幕府方につき軍功のあった
松田盛朝は、備前御野郷に所領を与えられて
定かではないけれど承久3年(1221年頃)に
最初の築城があったと
考えられています。

新補地頭



その壱


その弐





その後松田氏は岡山平野に進出し、

富山城に本拠をおいていたが、

室町時代中期の文明年間(1469〜1486)、

応仁の乱の混乱期に

松田元成は富山城より本拠を金川城にうつした。


元成は城を拡充し連郭式の山城(標高225m)

として整えた。



👆 台頭する宇喜多氏を読んでみて?

   宇喜多直家の凄さがよくわかりますね。





金川は宇甘(ウカイ)川が旭川に合流する地に

位置し、この二つの川を利用する水運の基地であり、

備中高梁へ向かう松山往来の起点でもあり、

備前国西部の内陸の要衝であったのではないだろうか?

この地の利を背景に備前西部の実質的な守護代として

勢力を持っていたこともあり、富山城から金川城に

移ったのではないかとされている







岡山県下でも天神山城と並んで

最大級の規模を誇る中世山城であり

「西備前一の堅城」と謳われ、

一度も陥落したことはなかったが、

戦国時代の永禄11年(1568)時の当主・

松田元賢が妻の父である

宇喜多直家に攻められた際に、

あらかじめ宇喜多方と通じていた家臣の

伊賀久隆に開戦前に城内の一部を占拠されるなど

不意打ちを受けた事もあり、

わずか2日で落城してしまった。

落城が7月7日であったので

土地の人々は長い間七夕祭りを行わなかった

とされています。















御津郷土歴史資料館へ

     行ってみよう飛び出すハート
























今春、「かたくりの花」を

見に行った

丹波「清住」」で

コスモスが咲いているというので

行ってきましたコスモスガーベララブラブ


👇カタクリの花のblogです。



コスモス畑





















この時期の丹波は、花も良いけれど、





丹波栗に黒枝豆



getしてきました。



丹波の「おばあちゃんの里」という


道の駅に行ったり、


帰りには丹波篠山に行って「ポン栗」を

買って食べ歩きです。



お昼は丹波篠山でいただきました。





お昼には黒豆ご飯、栗ご飯がついている

御膳をたべました。




ここの美味しいもの三昧でした。


これに




アイスもついているんです。


大満足愛飛び出すハート




さて三連休の初日、そして行楽日和したね。



三連休2日目明日はどこに行こうかな?


「史跡西宮砲䑓」


通称 築洲台場


築城主 徳川幕府






「城巡り」の一環として「西宮砲台跡」あり、

リア責めをしてきました。








右側に手すりがあって壁を登ります。





壁は厚みがありますが、上に立つとかなり怖い叫び


西宮砲台


兵庫県西宮市御前浜(香櫨園浜)にある

江戸末期の砲台跡。

国の史跡に指定されています





江戸時代末、国防不安を感じた江戸幕府は、

将軍徳川家茂の時代になり、

勝海舟の建議を取り入れ、

勝海舟の門人である

佐藤与之助が設計しました。


文久3年(1863年)大阪湾の海防のために


和田岬砲台


舞子砲台


今津砲台


などとともに西宮砲台などが建設が

開始されました。



黒船来航(嘉永6年・1853年)

桜田門外の変(安政7年・1860年)



外国船の脅威に対処するために、

幕府や諸藩は日本の軍事施設である

「台場(砲台)を築造しました。


西宮には「今津砲台」と「西宮砲台」が築かれました。

しかし現在「今津砲台」は今津堡塔の残石でできた

記念碑が建てられているだけのようです









砲台を背にして、海へ向かって行くと

右手には👇芦屋の浜








西宮・今津と両砲台は、円筒形の砦である「石堡塔」と

その周囲をめぐる防御にための土塁「外郭」を持つことが

特徴で、その設計は19世紀のヨーロッパで実用されて

いた「マルテロ・タワー」という海防施設をモデルとして

全国に1000基以上あるとされる台場のうち、

4基ににみ採用されました。


4基とは

西宮・今津・和田岬・湊川崎砲台が築かれましたが

現存するものは「西宮砲台」と「和田岬砲台」のみ


この内、石堡等と外郭が現存するのは「西宮砲台」だけ

となっています。


文久3年(1863年)に工事を着工し、

慶應2年(1866年)に完成しました。

西宮砲台などの日本の西洋式台場は、

世界で最後期のマルテロー・タワーとして位置付けられ

日本史だけではなく世界史においても重要な価値を

有しているそうです。






砂地に建てるため多数の松杭(1541本)を打ち込んで

地盤をかたくし、

その上に、瀬戸内海中部の島々(主に岡山県笠岡市)から

運んだ花崗岩を海路にて運搬し、

積み上げています。通常の2倍の賃金を支払って

熟練工を集め、突貫工事で完成を急ぎましたが

足掛け4年を要する難工事となってしまいました。


砲台の高さは約12m、直径約17mで

外側には漆喰が塗られていました。

2層目に見れられる12個の孔は大砲で四方を狙うため

の11個の砲眼と窓で、

内部には井戸・弾薬庫が設けられていました。


完成後試射(空砲)しましたが

砲煙が内部に充満して実用には向かず、

一度も使われないまま明治を迎える

ことになったようです。



実際に松杭は最終的に本数が多いかもしれないし

また、兵庫県には「御影村」からの切り出しをすれば

良いのではないかと思いましたが、

注釈によると陸路より海路の方が瀬戸内海の中部

備中・備前では石質も良く安価で船より陸揚げ

するだけ済んだので海路になったようですね。



阪神線でも西宮と神戸の間には

「御影」という駅があるのでそこからは?

と思ったので少し調べてみました




内部を見てみたいなぁと思っていたところ



10月27日(日)


13時〜16時までは開放される



そうです。