「史跡西宮砲䑓」
通称 築洲台場
築城主 徳川幕府
「城巡り」の一環として「西宮砲台跡」あり、
リア責めをしてきました。
右側に手すりがあって壁を登ります。
壁は厚みがありますが、上に立つとかなり怖い
西宮砲台
兵庫県西宮市御前浜(香櫨園浜)にある
江戸末期の砲台跡。
国の史跡に指定されています
江戸時代末、国防不安を感じた江戸幕府は、
将軍徳川家茂の時代になり、
勝海舟の建議を取り入れ、
勝海舟の門人である
佐藤与之助が設計しました。
文久3年(1863年)大阪湾の海防のために
和田岬砲台
舞子砲台
今津砲台
などとともに西宮砲台などが建設が
開始されました。
黒船来航(嘉永6年・1853年)
桜田門外の変(安政7年・1860年)
外国船の脅威に対処するために、
幕府や諸藩は日本の軍事施設である
「台場(砲台)を築造しました。
西宮には「今津砲台」と「西宮砲台」が築かれました。
しかし現在「今津砲台」は今津堡塔の残石でできた
記念碑が建てられているだけのようです
砲台を背にして、海へ向かって行くと
右手には👇芦屋の浜
西宮・今津と両砲台は、円筒形の砦である「石堡塔」と
その周囲をめぐる防御にための土塁「外郭」を持つことが
特徴で、その設計は19世紀のヨーロッパで実用されて
いた「マルテロ・タワー」という海防施設をモデルとして
全国に1000基以上あるとされる台場のうち、
4基ににみ採用されました。
4基とは
西宮・今津・和田岬・湊川崎砲台が築かれましたが
現存するものは「西宮砲台」と「和田岬砲台」のみ
この内、石堡等と外郭が現存するのは「西宮砲台」だけ
となっています。
文久3年(1863年)に工事を着工し、
慶應2年(1866年)に完成しました。
西宮砲台などの日本の西洋式台場は、
世界で最後期のマルテロー・タワーとして位置付けられ
日本史だけではなく世界史においても重要な価値を
有しているそうです。
砂地に建てるため多数の松杭(1541本)を打ち込んで
地盤をかたくし、
その上に、瀬戸内海中部の島々(主に岡山県笠岡市)から
運んだ花崗岩を海路にて運搬し、
積み上げています。通常の2倍の賃金を支払って
熟練工を集め、突貫工事で完成を急ぎましたが
足掛け4年を要する難工事となってしまいました。
砲台の高さは約12m、直径約17mで
外側には漆喰が塗られていました。
2層目に見れられる12個の孔は大砲で四方を狙うため
の11個の砲眼と窓で、
内部には井戸・弾薬庫が設けられていました。
完成後試射(空砲)しましたが
砲煙が内部に充満して実用には向かず、
一度も使われないまま明治を迎える
ことになったようです。
実際に松杭は最終的に本数が多いかもしれないし
また、兵庫県には「御影村」からの切り出しをすれば
良いのではないかと思いましたが、
注釈によると陸路より海路の方が瀬戸内海の中部
備中・備前では石質も良く安価で船より陸揚げ
するだけ済んだので海路になったようですね。
阪神線でも西宮と神戸の間には
「御影」という駅があるのでそこからは?
と思ったので少し調べてみました。
内部を見てみたいなぁと思っていたところ
10月27日(日)
13時〜16時までは開放される
そうです。
「