いよいよドライブの後半!
さて、いよいよ藤堂高虎の生誕地へ
他にもたくさん築城しています。
「藤堂高虎」は知っていたけれど、
こうして調べたことはなくって、
とても新鮮であまりにも知らなすぎたので、
情報がたくさん入ってきて
まとめられなく
なっています💦
高虎は黒田孝高(官兵衛)・加藤清正と並美、
「築城三名人」の1人と称されています。
ここ近江国犬上郡藤堂村城之内
(甲良町在子)
上の碑の概約では在子村は、
井伊侯(直孝公)が元名「藤堂村」を在子村と
改めたとあります。
出生地の碑があるところが当てはまると
推測されているそうです。
とても車を停めて置けるような場所はないの
ですけれど、
冬季休業中だったので
もう少し資料が欲しかったのですけれど、
残念💦
ここの駐車場をお借りして、
出生地とされるう場所に行ってきました。
雪が残っているところもあったので、
まだまだ寒かったです。
でも藤堂高虎の体格は身長190㎝(六尺二寸)、
体重120kg(体重30貫)の筋骨たくましい怪童
だったようで、
15歳で浅井長政の仕え、その後数度主人をかえて
最後に徳川家に仕えていきました。
色々と主人をかえて仕えていく中で、
やはり私は「豊臣秀長」との出会いが大きかった
のではないかと思いました。
今回は本当に何か「藤堂高虎」という人に
ついて興味を持ってしまいました。
築城の名人といわれていますが、
藤堂高虎はこの出身地である
この「甲良」という土地と
高虎の出身地が近く寺社大工の
「甲良大工」・石垣作り「穴太衆」を束ねて
いたともいわれていますね。
日光東照宮の最初に縄張りを造営を担当したのも
高虎といわれています。
甲良の三大偉人として
①藤堂高虎
②甲良豊後守宗広
③佐々木道誉
なんですって。
私は甲良豊後守宗広って知らなくって
調べているうちに
藤堂高虎と日光東照宮が結びつき、
そういえば、駐車場に座っている
銅像をみたことを思い出しました。
高虎は家康から東照宮を頼まれたけれど、
現在のよりも質素だったのを
家光が「甲良豊後守宗広」に
作り替えさせたとか⁉️
みたいなことを思いだしました。
わぁ、なんか点で知ったことが
繋がりましたね。
日光東照宮で有名な左甚五郎は
この甲良宗広さんの女婿になったとも書いて
ある資料はありますが、実際にいたのかどうかも
定かではないともありますね。
藤堂高虎って?
少し気になってみたら、いろんな方向に
外れてしまったけれど、
出生地の場所を探していたら、私が間違えてしまって
👇の場所あたりに出てしまったんです。
左端のハート❤️あたり。
そこには👇
尼子氏発祥の地
高虎が子どものころは
どの様に尼子が残っていたのだろうか?
全くその日に行き先場所を簡単に決めて
来てみたけれど、
たくさんの発見があってびっくり‼️
もう雨が降りそうで寒かったけれど、
まだ時間がありそうなので、
三大偉人の1人
バサラ大名 「佐々木道誉」の関係場所に
行ってから帰ります。
では…続く