小牧→色金山→御旗山 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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「どうする家康」




中央の金色の扇ですね。



ここを目掛けて突進する大坂方。


初期においては「厭離穢土欣求浄土」の纏と

併用していたようですが、

後に「金扇の馬標」のみになっていったようです。


「大坂夏の陣」においてはこの金扇の馬標に

突進して行ったのに対して、

「小牧・長久手の戦い」の資料を読んでいると

この金扇が立てられた時に不利とみて

退却したと言われている堀秀政の

「桧ヶ根本陣跡」を見つけました。










堀(久太郎)秀政


堀秀政は、

美濃斉藤道三の家臣である堀秀重の長男として

天文22年(1553年)生まれました。

その後、一時期秀吉に仕え、信長の小姓として

取り立てられました。

(顔が美形だったとも言われています)

外交にも有能だったし、戦働きでも功を

立てるので「名人久太郎」とも言われて

いました。


「小牧・長久手の合戦」においては

秀吉軍にて参加


前回のブログで書いた




「岩崎城の戦い」において丹羽氏重軍を

3時間余りで

全滅させてしまった羽柴軍。

「三河への中入り」

小牧城を通り越して岡崎へ攻める作戦も

成功かと思っていたのかな?


「どうする家康」でも小牧山を通っても

気がついていなかった、ずっと堀を掘っている

様に見せかけていた徳川軍。


第一次隊の池田勝入恒興

第二次隊の森長可

第三次隊の堀秀政隊

第四次隊は三好(羽柴)秀次


池田、森、堀隊、三好隊が休憩、

その間に布陣を

整えている間に、

この四隊の正面には水野忠重、丹羽長次、

大須賀康高、側面には榊原康政が攻撃を

しかけました。

岩崎城主の丹羽長次も弟が犠牲になって

いるので本体がやってきています。



第四次隊の三好(羽柴)秀次、

この作戦における大将である秀次軍が

後に言われる「白山林の戦い」で

後方、側面より奇襲を受けて本陣が

壊滅状態になって

いたのです。

この作戦における大将が壊滅状態。



堀秀政のところにもその秀次が敗れた

奇襲作戦を成功した徳川軍

大須賀康高、榊原康政軍がなどが勢いにのり

攻撃してきますが、

返り討ちにして追い返しました。


しかしその後、堀秀政がこの陣において


「御旗山」に「金扇の馬標」が立てられて

家康が到着したことを知った

堀隊は不利を悟り撤退したんですね。






池田隊、森隊からも援軍要請があったと

言われているのですが、

それを断ってまでも退却したといわれています。



↑の地図見れば家康は南側にある

「色金山」にいたと思ったら

堀隊と池田、森隊の間の「御旗山」に移動。


金扇の馬標を掲げたんですね。


援軍に行ける訳がない。



池田恒興、森長可は討死して

「小牧・長久手の戦い」は徳川の勝利で

終わりました。





この時に秀次隊は総崩れになって


木下勘解由の討死した場所の塚にも

行ってきました。

もう、辺りはすっかりマンションや薬局など

車の往来も激しい場所にありました。








秀次は敗走時に木下勘解由利匡が自分の馬を秀次に渡して、逃して自分は兄とともにこの地で

討死したという場所だそうです。




家康がこの長久手で陣を構えたという

「色金山」












4月8日午後8時ごろ約9000の兵を率いて小牧山を出発


9日早朝にこの色金山に兵を勧めました。


この上の石で軍議を開いたり、座ったりしたという

「床机石」と呼ばれているそうです。









歴史公園になっています。



「御旗山」は行ってみたのですけれど、

駐車場がみつからず、周回して帰ってきました。


その後、堀秀政は秀吉の家臣として

小田原城攻めの時に疫病にかかって急死した

そうです。

享年38歳。

同年代には毛利輝元がいたり、

高山右近、蒲生氏郷あたりも年が近く

まだまだこれからだったのにです。


最後になぜ堀秀政が気になったかというと、

主人のご先祖様が信州飯田藩の堀家を思い出し

調べてみました。

秀政の次男の家系でもあるんですね。


これまでの「小牧・長久手の戦い」を

ブログにあげるのに、



現地でいただいた資料




クリアファイルを買ったり




こんな松潤もいたり



沢山の資料を参考にさせていただきました。


この辺りをウロチョロしたので


お昼には






味噌煮込みうどんをいただきました。



このお店の前は


「岩作城跡」で現在は長久手町役場に

なっています。



ちなみに…


「岩作城」の読み方は


「いわさく城」ではないんです。



「やざこじょう」


と読むそうです。