佐和山城跡 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

近江八幡には安土城があるのに、

横目にして「また今度きます」と告げて

一路、佐和山城跡に向かいました。




暑くなりそうだし

山登りなどは危険かな?と思っていたのですけれど、

主人と「安土城」は日向が多そうだから、

今回はスルーしようと話して


ならばどこに行くか?

を私に委ねられました。


「佐和山城」に行きたい。


「彦根城じゃなくって?」


「はい」


「新幹線から見える看板の佐和山城?」


「はい」


「登るの?」


「はい」




駐車場もあって、数台置いてありました。




これも読み耽ってしまった💦

先を急ごう。


どうやら2ルートありそうですが、








龍潭寺の横を通って行ってきます。


「龍潭寺」といえば、「大河ドラマ直虎」で

直虎が出家したお寺で

遠州の井伊谷にあるのを1600年に直政は

佐和山城主になった時に移建開山したのですね。

懐かしい寺名をみて少し小躍りしてしまいました。







「石田三成公銅像」があるのをこの目でしっかり

みてから行きます。




銅像の裏には有志で1982年5月に

三成公ゆかりのこの地に像を建てた

記してありました。


また、石田三成が向いている方向は

龍潭寺の隣の清涼寺です。


清涼寺は嶋左近の屋敷跡とも言われています。





三成公の像からまた少し🤏歩くと石碑があり


「大久保忠隣公幽居之跡」とあります。


大久保忠世の長男である忠隣です。


「どうする家康」では

大久保忠世と本多正信は友だったという

設定にもなっていたけれど、

忠隣は出てくるのかな?

「大久保長安事件」までは取り上げないでしょうね。








立派な山門を通ってから





七福神を右手にして右へと進んで行きました。




そうそう、トイレは駐車場にあるので

済ませておいた方が良いです

少し急な坂になってきます。








階段がありますが一段が低いので

慌てずゆっくり登れば大丈夫だし、

涼しい風も感じました。


幸い、往路は誰とも会わなかったので

細い道でしたが乾いていたこともあり

滑らずに行けました。


急な坂みちや階段を左右に曲がりながら

10分から15分くらいかけて登りました。





切り通しを歩き








流石に登り続けると汗は出てくるけれど

暑さは木陰になっているので安心です。


(パンフレットには木が繁っていないので

暑いのかと思っていましたが、夏は木が幾重にも

繁ってくれています)









「西の丸」には南北方向に3段の曲輪が描かれて

いますが、パンフレットのようには木々のために

よくわかりません。

あまり人が踏み入れていないところには

いかないようにしないとですね。

そうそう、本当に僅かに下に下界が見えます。







肉眼でやっとです。

パンフレットと実際では





さて、ここからは1番急になるし、

木が少ないので西の丸で少し休憩して、

本丸へと向かいます。







急に空が見えてきて


「本丸へ着いた?」


と聞いてしまいました。


返事は「着いたよ〜」


流石にラストスパートは汗だくでした。



パンフレットには本丸が





これでは暑そうですが、

実際には








こんな感じで日陰です。



登山の数人で来ている方、

1人で来ている方、

私たちを含めて4組くらいの方々が

いらっしゃいました。





そうそう、塩味のおかき、飴、タオルのほかに

濡れている紙タオルをもって登りました。


水分補給と塩分補給。




「武士の夢、佐和山」


右手下には彦根城が見えています。


やっと来れた。


新幹線で看板みては行ってみたいなぁ、

他の方のブログ見てはいきたいなぁ。

叶いました。


下でみてきたのですが、

ここには




こんな天守があったんですね。

三層とも言われているらしいけれど、

ここではやはり五層になっていましたが

「破城」されていて、

彦根城に使われているというし

わからないことが多いですね。



「石田三成には過ぎたるものが二つあり

嶋の左近に佐和山城」

ともうたわれています。


実際には三成は佐和山城主になる

時期としては1595年からですが、

実質は秀吉がいた伏見城にいることが

多く、佐和山城に蟄居を命じられてから

関ヶ原までとほんの一年と数ヶ月を過ごせた

かどうかです。


また、関ヶ原合戦の後に

この領地をもらった井伊直政も

佐和山城で亡くなったとされています。


「武士の城、佐和山城」


やはり来れて良かった。


下山します。


他の道とも思って途中分かれ道で

往路と違うところに行こうとしたのですけれど

蜘蛛の巣に阻まれ、

やめました。

また、迷っている時に上にいた方が

下山途中に声をかけてくれて


そっちは弁財天部出る方だよ〜って

声かけてくれたけれど、

アッというまにいなくなられて、


間違ってはいなかったけれど、

無理しないで同じ道を辿ってかえる

ことにしました。


「ハイキングコース」とありますが、

帰りは特に山歩きも可能な靴の方が

滑らないので良さそうですよ。




下山して龍潭寺へ行ってきます。