熊川城 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

古代より朝廷に食料を献上する「御食国」

(みけつくに)との一つでした。

日本海で獲れた魚や貝が遠路はるばる京都へ

運ばれて、

特に18世紀後半からたくさんの鯖が

若狭の海で陸上げされ、

「鯖街道」と称されるようになりました。


そんな街道の若狭と近江の国境である

熊川に位置し、若狭街道を見下ろすように

に伸び丘陵上に築かれています。

東側は河内川、西側は急斜面に守られた

立地にあります。


入城に関しては👇の資料館にて概要図を

いただいて行ってきました。









「若狭鯖街道熊川宿資料館」

「宿場館」に御城印などがあると書いてあったので、

入場に関してのアドバイスを伺ってから登ることに

しました。


入場口に関しては2箇所あり、

この宿場館の裏手の駐車場からと白石神社の

2箇所、おすすめとしては

白石神社からの入場して城壁などが残っているので

そちらを見てから、この会館の裏手に

帰ってくる方が

良いとのことでした。


ではそのおすすめのルートを通って見ることに

しました。




白石神社

白石神社の創建は不祥で、古くから

熊川郷(熊川宿)の氏神として崇敬されてきた

神社です。

宿場町には👇の様な看板もあったので、

この頃は神社ではなく権現様だったかな?





得法寺というような道で

熊川城主である沼田氏の供養塔を右手にして

進みます。









👆これは得法寺から撮った写真です。


この得法寺ですが、元亀元年(1570年)

織田信長による越前侵攻の際には信長に従軍した

徳川家康が往路で得法寺で宿泊し境内の松に腰をかけたと

して、現在はその松の根の部分が残されています。


👇






ここで突き当たりを

左手に進みます。




階段がまっています。




五条の畝堀りなどもみられました。








城壁もわずかに残っているとのこと

本当に良かったです。










このお社から登っていきます。




急に細い道になり、整備されているものの

山城を登る感覚十分です。

4月22日とはいえ、まだまだ風の強い寒い日

で、小石や細かい枯れ木があり

乗ってしまうと尻餅をつきやすいので

しっかりとした靴などの準備が必要です。
















急斜面になってしっかり堀がみられました。








しっかり廓の跡も残っています。






主郭は3段構造で南東方向に延びる尾根上にも

廓が4段ほど続いていました。


若狭街道を眼下にできるデッキもできていて、

そこから見渡してみました。


ゆっくりあたりを写真撮りながらだったので

20分くらいかかりました。




張り出されているデッキがあったので

そこでゆっくり周りの景色をみて、

帰りました。












往路はまだ良いのですが、

帰りは結構この小石と枯れ枝に乗ってしまって

怖かったです。










左側の御城印は季節限定だそうです。


観応3年(1351年)将軍足利尊氏によって

若州瓜生下仕職に補任された沼田氏によって

熊川城は築かれました。

以来足利将軍の直属の武士として奉公しました。


その後は

◎永禄8年(1565年)には三好、松永の

軍勢が足利義輝(室町幕府13代将軍)を襲い、

沼田光兼の長男光長が戦死、

◎永禄10年(1567年)には細川藤孝、明智光秀を

伴った将軍足利義昭が、熊川城館で宿泊。

◎永禄12年(1569年)には松宮清長(玄蕃)が

 沼田一族を襲い近江は逃れる

◎熊川城には松宮清長の子どもの左馬亮を城主と

 して近江から若狭へ入る街道筋を掌握する

◎元亀元年(1570年)4月22日織田信長は

 朝倉義景討伐のため越前は侵攻する際に

 松宮氏は熊川城下得法寺などに宿泊した


朝倉を討つためには琵琶湖を挟んで京より

ルートからと滋賀の浅井からと攻め込むという

逃れられない攻略を着々とつけていたことが

わかります。


右側の麝香(マリア)の武将印は、

細川藤孝(幽斎)の妻、沼田光兼の娘です。

細川忠興の母で、細川ガラシャの義母・姑に

なる方です。



           熊川城のパンフレットより



信長は意気揚々として進軍し

寝泊まりしたところとされていますが、

まさか、1ヶ月もしないうちにここを

死に物狂いで走り抜けて引き返さなければなら

なくなるとは思ってもみないでしょうに。




久しぶりの山城攻め。

足腰大丈夫かな?



このまま真っ直ぐに行くと小浜城ですが





今日は金ヶ崎城へと

私たちも進行します🚙




見えてきました。


                  続く