駿府城 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

久々の静岡駅近辺、駿河城にきました。



駐車場の関係で今回は

駿府城の北御門(跡)から入りました。





















早咲き桜の「河津桜」が満開でした。




以前駿府城については書いているので、

簡単に…


今から約650年前の室町時代、今川範国が駿河守護職に

任じられて以降、駿河国は今川氏によって治められました。

9代今川義元の今川氏全盛の頃、徳川家康が7歳〜18・19?歳まで

の間、人質として駿府で暮らしました。

永禄3年(1560年)今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、

今川氏は急速に衰退し、永禄11年(1568年)武田氏により

今川氏真は武田氏に攻められて掛川に落ち、駿府は焼き払わ

れています。

その後、徳川家康は武田氏を天正10年に(1582年)に

追放する際には再び戦火に遭いました。

同年(1585年)には駿府城の築城を開始し浜松城から

天正17年(1589年)に完成させます

この際できた城は天正期のものは現在の城跡に比べると

一回り小さかったと考えられ、現在の二の丸跡あたりに

あったとされています。

しかし、豊臣氏によって関東に移封され

この駿河城は中村一氏が城主となります。

その後は徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利して

慶長8年(1603年)に征夷大将軍に任じられ、

江戸幕府を開き慶長10年(1605年)に将軍職を秀忠に譲り、

慶長12年(1607年)には大御所として三度駿府に入りました。

前回の天正期の城よりも拡張され、駿府城は壮大な城として生

まれかわりました。




















静岡市歴史博物館では明日閉幕とされている

「徳川家康と駿府」というイベントを

見てきました。






前回来た時にはこの博物館はなかったのですが、

旧青葉小学校の敷地に建設されたそうです。かつては

城代の居住地だったとのことです。


家康の後は三代将軍家光の弟「忠長」が城主になしましたが

改易された後は城主を置かずに城代を置いて幕末まで管理して

いました。


館内は当時の道と石垣に遺構が展示されていたりしました。

小学校を取り壊した際には偶然戦国末期の道と石垣が発掘された

ことからそれをそのまま使う形にしたとのことです。


今回はそういうのも見ながら、

企画展を見てきました。


3階は展望台になっていて、




櫓を上から見る事ができます。



この後は、

静岡浅間神社内に

「どうする家康」静岡ドラマ館があると

いうので行ってきました。